「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

原題はThe Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトンの奇妙な症例)。「グレート・ギャツビー」のスコット・フィッツジェラルド原作なのに、驚いたことに初めて訳されたのだそうだ。本文は80ページ足らずの短編で、それをハードカバーで出版するというのも珍しいが、もちろん、映画公開に合わせてのことだ。ちょうど、これ、小学生が読むぐらいのハードカバーの分量ではないかと思う。

映画の予告編を見て、いったん年を取った男が徐々に若返る話かと思ったが、原作は違う。主人公のベンジャミン・バトンはいきなり70歳の男として母親から生まれる。いったい身長170センチの男がどうやって生まれるんだと思ってしまうが、そういう部分の説明はない。父親のロジャー・バトンが病院に行った途端、医者と看護師からヒステリックな暴言を浴びせられる、という出だしからクスクス笑える。ロジャーが病室で見たのは「大きな白い毛布に包まれて、ベビーベッドに体の一部を押し込まれた、どうみても七十歳ぐらいの老人」だった。

「一体全体どこから来たんだ? お前は誰なんだ?」バトン氏は狂ったように言い放った。
「自分が誰かなんて言えませんよ」老人はぶつくさとこぼした。「だって、まだ生まれて数時間しか経たないんですからね--でも確かに苗字はバトンですが」
「嘘だ! お前はサギ師だ!」

家に連れ帰られたベンジャミンは年を経るごとに若返っていくことになる。50歳ぐらいまで若返った20歳の時にベンジャミンは恋をして結婚する。しかし、若返るベンジャミンと妻との仲は次第に悪くなっていく。それでもベンジャミンは若返り続け、ついには息子よりも孫よりも若くなる。スラップスティックかと思えるような設定で始まった話は次第に透明な悲しみに包まれていく。この感覚はそう、ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」に似ているか。子供に若返っていくベンジャミンは知識も同時に失っていくのだ。

翻訳者の都甲幸治のあとがきによれば、フィッツジェラルドは「人生の一番いい時は最初にやってきて、一番悪い時は最後に来るってのはつらいよなあ、というマーク・トウェインの発言にヒントを得て」、じゃあ逆にしたらどうかと思い立ったのだという。あとがきにはSFと書いてあるけれど、奇想小説と呼んだ方がふさわしいのではないかと思う。たった80ページ足らずの本文で1300円は少し高いと思えるかもしれないが、イラストの入ったしっかりした本であり、内容と合わせて考えれば少しも高くない。だが、角川文庫からはこの小説を含めて「フィツジェラルドの未訳の作品を厳選した傑作集」が文庫本(500円)で出ている。