「路上のソリスト」

「路上のソリスト」

「路上のソリスト」

サブタイトルは「失われた夢 壊れた心 天才路上音楽家と私の日々」。ロサンゼルス・タイムズの記者とホームレスの音楽家との交流を描く。ジョー・ライトが監督した同名映画の原作となったノンフィクションで、そうでなければ、手には取らなかっただろう。著者がまえがきに書いているように、これは2005年から2007年までの2年間の物語であり、「この物語がこの先どうなるかのかは分からない」。フィクションのようにすべてが丸く収まったハッピーエンドを迎えるわけではないのだ。文体は平易で読みやすいけれども、文章的に強く印象に残る部分は個人的にはあまりなかった。それでも統合失調症やホームレスの問題を提起した内容は読ませるし、現状を伝えることには意味がある。

コラムの題材を探していたスティーヴ・ロペスはホームレスがたむろするスキッド・ロウで弦が2本しかないバイオリンを弾く五十代のホームレス、ナサニエル・アンソニー・エアーズと出会う。ロペスは音楽には素人だったが、心ひかれるものを感じた。これはコラムに書けると思ったロペスは何度もナサニエルのもとに通うようになり、ナサニエルがニューヨークの有名な音楽学校ジュリアードの出身であることが分かる。ナサニエルはジュリアード在学中に統合失調症となり、退学した。それでも音楽への夢をあきらめられずに、というより、音楽を心のよりどころとして、路上でバイオリンを奏でているのだった。ナサニエルについて書いたコラムは反響を呼び、支援のためのバイオリンやチェロが送られてくる。ロペスは危険な路上ではなく、心を病んだホームレスを支援するアパートにナサニエルが住むように勧めるが、ことはそう簡単には運ばなかった。

こういう物語を読んで思うのは数多くのホームレスの中から1人だけを救済することに意味があるのかということ。蜘蛛の糸にしがみついたカンダタがそうであったように、ナサニエルも他のホームレスたちに理不尽な怒鳴り声をあげる。起伏の激しい言動は病気のためであるにせよ、人間的にも問題があるのである。著者自身、ラスト近くで「もう1回でもここに来てみろ、それがてめえの最後だ」との罵声を浴びせられる。それで交流が終わらなかったのは著者がナサニエルに対して友情を感じていたからだ。ロペスとナサニエルのほかに、この物語にはホームレスや統合失調症の人を支援する人々が描かれる。こうした人たちの粘り強い活動がなければ、現状の改善は進まない。1人でできることには限界がある。しかし、何もやらないよりはやった方がいい。

ナサニエルのジュリアード時代の同期には世界的なチェリストのヨーヨー・マがいた。終盤にあるヨーヨー・マとナサニエルが会うシーンはこのチェリストの穏やかな人間性がうかがえる。

「あなたに会ったことがどういう意味を持つかを、いいますよ」とヨーヨー・マはミスター・エアーズの目をまっすぐに見て言った。「それは、ほんとうに、心から音楽を愛している人と会ったということなんです。わたしたちは兄弟なんですよ」

人間性と言えば、本書の前半で統合失調症についてのトム・クルーズの発言を著者は強く批判している。クルーズはテレビのショーでこう言ったそうだ。

「ぼくは一度も精神医学などというものを認めたことはない」とクルーズは『トゥデイ』のホスト、マット・ロウアーに話した。「サイエントロジストになる前にも、ぼくは一度も精神医学を認めたことはない。さらに精神医学の歴史を勉強しはじめてからは、どうして自分が心理学を信じなかったかがますますよく理解できるようになったよ」。

統合失調症は「ドーパミンと呼ばれる神経伝達物質の機能不全を含め、さまざまな異常が起こる生物学的な脳の障害が起こり、そのために妄想や現実がゆがんで見えたりするようになることが研究の結果明らかになっている」そうだ。クルーズのような有名な俳優がテレビで間違った自説を披露することほど有害なものはない。

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「路上のソリスト」」への2件のフィードバック

  1. 45

    ホントに頭が下がります、そういう「支援する人たち」が身近にいるので。
    彼らは本当の意味で厳しいです。
    そしてすごく大きくてシンプルです。
    虚飾を持たず受け入れてくれ、どんな相手にも必ず何かを感じてくれるんですよ。
    あれはすごい。

    これ、キネマ館で上映しますよね!
    で、ユーミンですね!

  2. hiro 投稿作成者

    予定には上がってますけど、まだ日程決まってないみたいですね。
    予告編を見ると、かなり脚色はあるようですが、ジョー・ライトなので絶対見に行きます。あの長回しはあるのかな。

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