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「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」

「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」

「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」

買ったのは昨年7月。これがミレニアムシリーズの最後の1冊かと思うと、もったいなくて読む気にならず、昨年12月から読み始めたが、他の本も並行して読んでいたために途中で中断。映画「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」を見たことでようやく再開、読み終えた。

第2作「火と戯れる女」のラストから始まる直接的な続編である。第1作の「ドラゴン・タトゥーの女」から少しずつ描かれてきたリスベット・サランデルの過去が第2作ですべて明らかになり、今回は少女時代のリスベットに不当で残虐な仕打ちをした公安警察の一部に対する決着が図られる。下巻の終盤、裁判の場面がこの小説の白眉。主人公ミカエル・ブルクヴィストの妹で弁護士のアニカ・ジャンニーニの弁護の手腕が鮮やかだ。そしてここで強調されるのは第1作の原題でもあった「女を憎む男たち」というテーマ。解説の池上冬樹も引用しているけれども、ミカエルはアニカにこう言う。

「だから言ったろ、この裁判にはおまえがうってつけだって。この事件の核心は結局のところ、スパイとか国の秘密組織じゃなくて、よくある女性への暴力とそれを可能にする男どもなんだ」

人権派のジャーナリストだった作者のスティーグ・ラーソンらしい言葉だ。ミレニアムシリーズはミステリのいろんな要素を集めたエンタテインメントであるけれども、こうした芯の硬さが作品の魅力になっていると思う。

リスベットは前作の最後で瀕死の重傷を負い、本書の上巻は病院に入院しているのであまり動きがない。リスベットファンとしては残念なのだが、終盤に活躍の場面が用意されている。第2作で行方をくらました金髪の巨人との決着が待っているのだ。

リスベットの妹の動向が分からないという部分は残っているのだけれど、ミレニアムシリーズはこの第3部まででリスベットの話としては完結している。作者が急逝したために予定されていた第4部、第5部は幻となってしまったが、ミステリ史に残る傑作であることは間違いないと思う。

ちなみに映画「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」の字幕監修はこの原作の共同翻訳者であるヘレンハルメ美穂が当たっている。この映画のパンフレットにはラーソンの唯一のインタビューが掲載されている。その中でラーソンは「推理小説を読んでいて、苛立つことがあります。それは、主要人物が通常ひとりからふたりに限られていて、しかもその人物の属する社会の外の環境描写に欠けていることです」と語っている。ミレニアムシリーズにさまざまな多くの人物が登場するのはその苛立ちを払拭するためだったのかもしれない。

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「エヴァ・ライカーの記憶」

「エヴァ・ライカーの記憶」

「エヴァ・ライカーの記憶」

アメリカでの出版は1978年。1979年に文藝春秋から出てベストセラーとなり、週刊文春ミステリーベストテンで4位に入った。昨年8月、創元推理文庫で復刊された。タイタニック号を扱った小説の中では最も面白いと言われるが、僕にはクライブ・カッスラー「タイタニックを引き揚げろ」の方が面白かった。

物語は1942年のハワイで始まる。警察官のノーマン・ホールは「夫が毒殺された」というマーサ・クラインと出会う。夫のアルバート・クラインは車の運転中、急に苦しみだし、車を暴走させたという。いったんホテルに帰ったマーサを迎えに行ったノーマンはそこでマーサのバラバラ死体を発見、あまりの無残さにそのまま逃げてしまう。20年後、ノーマンは警察官を辞め、ベストセラー作家になっていた。そこへ雑誌社からタイタニック関連の記事の依頼が来る。億万長者のウィリアム・ライカーがタイタニックの遺留品の引き揚げをしようとしていたのだ。タイタニック号に乗っていたライカーの妻は謎の死を遂げ、娘のエヴァは生き残ったが、精神的な打撃を受けていた。ノーマンに白羽の矢が立ったのは死んだクライン夫妻もタイタニック号の生存者だったからだ。調査を引き受けたノーマンはタイタニックの関係者に当たり始めるが、重要な関係者が死に、ノーマン自身も命を狙われる。

さまざまな要素が入っているが、基本的には本格ミステリ。545ページのうち第1部「事件」が320ページほどで、第2部「解明」が200ページ以上ある。解決編がこれほど長いミステリも珍しい。しかも、関係者を集めて主人公が事件の真相を説明するというクラシックなミステリを踏襲している。ここで利用されるのがタイタニックで被害に遭ったエヴァ・ライカーの記憶というわけである。エヴァは当時の記憶を失っていたが、催眠術で当時のことを語った。それを録音したテープを元に、回想シーン(再現シーン)を入れて展開するこの第2部はまあ面白い。

問題は作者の文体にある。省略しても差し支えない描写や通俗的で下手な形容が所々で目に付き、読み進む上で引っかかったところが多かった。これ、すっきりした文体で書けば、3分の2程度の量で収まるのではないか。主人公のノーマンをはじめ、キャラクターも通俗的で魅力に欠ける。だから引用したい文学的な部分もない。大衆的なベストセラーの典型のような小説と言える。

作者のドナルド・A・スタンウッドは28歳までに8年間かけてこの小説を書き、成功を収めた。川出正樹の解説によると、それからさらに9年かけて書き上げた2作目の「七台目のブガッティ」は「処女作の輝きが嘘のような駄作」だったそうだ。この文体、書き方なら、そうだろうなと思う。

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「ゼロの焦点」

「ゼロの焦点」

「ゼロの焦点」

以前、知り合いと話していて、ミステリが好きということが分かった。何を読んでいるのか聞いたら、「松本清張はほとんど読んでます」と言う。僕は松本清張の小説を読んだことがなかった。「砂の器」を少しかじっただけ。この本を手に取ったのは犬童一心監督の映画が11月に公開されるのに合わせて、松本清張を少し読んでみようかという気分になったからだ。というか出張の際に書店に寄ったら、買いたい本もほかに見つからなかった。

印象としてはまるでテレビの2時間ドラマ。なにしろ50年前の作品なので、今のミステリの水準に比べると、手法を著しく古く感じる。特に最終章で主人公の推理が延々と説明される部分は興ざめで、これはプロットであって小説ではないと思う。犯人が殺人を犯さざるを得なかった経緯を小説にするのが本当ではないか。

困ったことに、夫の失踪の謎を追う主人公が事件の捜査を続ける理由も説得力を欠く。夫の行方は分かったのだから、その先はあなたにとっては不要なんじゃない、と思えてくる。探偵役の動機が弱いのだ。関係者が次々に殺されていくので、犯人の目星も早い段階でついてくる。これを名作というのは少し違うのではないか。最近のミステリを読み慣れている人なら、そう思うはずだ。

では全然つまらなかったかというと、そんなことはなく、そういう古い推理小説として時代色を楽しんだ。終戦から13年の昭和33年、まだ戦後が色濃く残っている時代。「もはや戦後ではない」と経済白書が記したのは昭和31年だけれど、人々はまだ戦後を引きずっている。そういう部分が面白かった。

主人公の板根禎子は見合いで、広告会社の金沢出張所に勤める鵜原憲一と結婚する。夫は結婚を契機に、東京に異動の予定だった。結婚して10日後、仕事の引き継ぎで金沢に行った夫は帰る予定の日を過ぎても帰らなかった。禎子は金沢に行き、夫の足取りを追い始める。そして夫には隠された生活があったことが分かってくる。同時に夫の兄や出張所の社員など夫の失踪を調べ始めた周辺の人間が次々に殺される。

「君は若い身体をしているんだね」と夫に言われ、禎子は誰と比較しているんだろうと思う。

禎子は顔をおおいながら、夫は自分の身体と比較しているのであろうかと思った。三十六歳と二十六歳の十歳の開きが気になるのか。が、夫の目にも口調にも、その羨望らしいものは少しもなかった。禎子は、それで初めて気がついた。夫は過去の女の誰かと比較しているのではないか。たしかにそんな言い方であった。夫のそういう過去については、禎子には未知であった。これから夫について未開のことがしだいに溶解してくるに違いないが、その部分だけが一番最後になるのではないかと思った。

相手のことをよく知らずに結婚することは現代ではほとんどないだろうが、この時代にはあったのだ。予告編を見ると、映画はそうした時代を舞台にしているようだ。そうでなくてはこの話は成立しない。あらすじを読むと、いろいろと変更点もある。犬童一心監督がどう映画化しているのか気になる。

ただし、映画の予告編で「アカデミー賞に輝く3女優が共演」というのはどうかと思う。広末涼子は「おくりびと」でアカデミー外国語映画賞を受賞、中谷美紀と木村多江は日本アカデミー賞で主演女優賞を受賞しているからだが、日本とアメリカのアカデミー賞を同じ名前だからと言って同列に扱うのはなんだこれ、と思ってしまう。

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「グラーグ57」

「グラーグ57」

「グラーグ57」

トム・ロブ・スミス「チャイルド44」の続編。グラーグ57とはシベリアのコルイマ地区にある過酷な第57強制労働収容所を指す。主人公のレオ・デミドフは国家保安省の捜査官時代に自分が逮捕した司祭を脱出させるために囚人としてこの収容所に潜り込むことになる。だが、潜入して早々にレオの正体はばれ、囚人たちから凄絶な拷問を受ける。一緒に潜入するはずだった捜査官は死に、助けは来ない。前作以上に絶体絶命の危機がレオを待ち受けている。

今回もページを繰る手が止まらない面白さ。ただし、完成度においては「チャイルド44」の域には達していない。あんな大傑作を立て続けに書けるわけはないので、これは仕方がないだろう。

「チャイルド44」は国家の命令通りに動いていたレオが国家の在り方に疑問を感じ、人間性を取り戻し、妻ライーサの愛を勝ち得ていく話だった。今回はかつて自分が起こした事件の被害者から復讐される話なので、前向きな気分にはならないのだ。どんなにレオがひどい目に遭おうと、どんなにかつての自分とは違うことを訴えようと、復讐者の恨みには一理も二理もあって、理解できる。それはもちろん、トム・ロブ・スミスも分かっていて、後半、ハンガリーの動乱に舞台を移してから物語は別の様相を現してくる。今回もまた、真の敵は別の所にいる。

原題は「Secret Speech」。フルシチョフがスターリン時代を批判した秘密の演説を指している。復讐者はこれを利用してかつての国家の手先たちを告発していく。レオが収容所に潜り込むのは復讐者から養女のゾーラを誘拐されたためだ。今回、レオは家族を守るために行動を起こすが、物語の中盤で自分が設立した警察の殺人課もライーサの愛も失ってしまう。すべてを失ったレオはどうするのか。

北上次郎の解説によれば、レオ・デミドフのシリーズには第3部が予定されており、それで完結するとのこと。この第2部は物語の真ん中に当たるための弱さが出たのかもしれない。いずれにしてもトム・ロブ・スミスの筆力の快調さは今回も確認できたので、第3部でどんな決着を用意しているか楽しみにしたい。

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「ニーナの記憶」

「ニーナの記憶」

「ニーナの記憶」

今年のMWA賞でメアリ・ヒギンズ・クラーク賞を受賞した。原題はThe Killer’s Wifeで、シリアル・キラーの妻を主人公にしたサスペンス。3分の2ぐらいまでは夫が殺した娘の父親から理不尽な攻撃を受ける主人公と、夫が逮捕されるまでの過去の生活の回想(これが邦題の理由)、終盤の3分の1が何者かに連れ去られた主人公の息子を巡るサスペンスとなる。前半の方が面白いが、著者のビル・フロイドはこれがデビュー作だそうで、最初の作品でこれだけ書ければ十分だろう。

主人公のニーナがショッピングセンターの食品売り場で「リー・レンでしょう?」と60代の男から声をかけられる場面で始まる。「ええ、そうです」と答えた途端に男の態度は豹変する。

「あんたの本当の名前はニーナ・モズリー。一九九七年十一月八日、あんたの夫ランドル・ロバーツ・モズリーが私の娘キャリーを殺した」。
この世のすべてが遠くに見えた。両足や空いているほうの手と同じく、つかまれた手から力が抜けたが、チャールズ・プリチェットがあからさまに力を加えて関節が音をたてそうなほどわたしの指を締めつけている。手を引き抜こうとしても、彼がカメラのストロボのように目を光らせてしっかりつかんでいた。

悪夢のような場面。ニーナは逮捕された夫ランディと離婚し、名前を変えてこの町に移り住んでいたのだ。プリチェットはニーナがランディの共犯に違いないと思い込み、私立探偵を雇って行方を突き止めた。事件の犯人の家族が世間から冷たい目で見られるのはアメリカでも同じらしい。

ランディは10年余りの間に少なくとも12人を殺害した。死体の眼球はえぐられ、代わりにサイコロなどが詰め込まれていた。ニーナは当初、そんなランディの正体にまったく気づかなかったが、やがて不審な点が目につき始め、決定的な証拠を突きつけられる。そして自分から警察に通報するのだ。しかし、最近になってランディの手口と似た殺人事件が発生する。

著者は2005年に逮捕されたシリアル・キラーをモチーフにこの小説を書いた。逮捕された男は郊外に住む普通の家庭の夫で、家族は誰一人、夫・父親が連続殺人の犯人とは気づかなかったという。

この小説、ランディが及ぼす力などに「羊たちの沈黙」の影響が見られるけれども、無駄に長くないのがいい。殺人者の妻の心理を詳細に描きながらサスペンスを盛り上げ、きっちりとまとまった佳作。