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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

2011 年 11 月 1 日 火曜日
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた最強の柔道家木村政彦とプロレスラー力道山の世紀の一戦は今もYouTubeで見ることができる。力道山側によって意図的に編集されたこの動画だけを見ると、「力道山の空手チョップの威力はなんて凄かったんだろう。力道山の圧勝だ」と思ってしまう。試合が行われた昭和29年当時の人々もみんなそう思った。木村政彦の本当の強さを知る一部の人々を除いて。

著者の増田俊也は世間に定着したこの誤解を正すため、ゆがめられた歴史を修正するために二段組700ページを費やして“事件”の真相を明らかにしていく。著者は1993年の木村政彦の死後、現在まで「十年以上かけて人に会い、数百冊の書籍、数千冊の雑誌、数万日分の新聞」を手繰ってきたという。木村政彦がいかに強かったか、だけではなく、その人となりを浮き彫りにし、戦前から戦後そして現在までの柔道の歩みと変遷、多数の格闘技家の姿を活写する。木村の生き方をさまざまな関係者の声で綴った最終章は、悲憤の涙なくしては読み進められない。何よりも本書には著者の対象への愛と熱気がこもっている。読み始めたら夢中になって読んでしまう第一級の読み物であり、重量級の傑作。格闘技ファンもそうでない人も、本好きなら何を置いても読むべき本である。

著者はプロローグにこう書く。

力道山関係の本は掃いて捨てるほどあるが、木村政彦の本は技術書を除けばゴーストライターに任せた『鬼の柔道』と『わが柔道』という二冊の自伝しかない。
 本書では、捏造されて定着してしまった“あの試合”の真相究明を軸に、力道山への怒りと、さらにそれ以上の哀しみを抱えながら後半生を生き抜いた、サムライ木村の生涯を辿りたい。

木村政彦は1917年、熊本の赤貧の家に生まれた。父親の仕事は川の砂利取り。小学生の頃から、父親の仕事を手伝った木村はそれによって強い足腰と腕力の基礎を作った。小学4年生のころ、柔術の町道場に通い始める。めきめきと力を付けた木村は鎮西中学時代に拓殖大柔道部師範の牛島辰熊からスカウトされる。この“鬼の牛島”との出会いが木村の人生を決定づけた。牛島は自分に果たせなかった天覧試合での優勝を目指して木村を鍛え上げる。木村もそれにこたえ、人の3倍の1日10時間の練習に打ち込む。この厳しい師弟関係を描く前半と力道山戦後に落魄した木村がコーチとして拓殖大柔道部に迎えられてからの物語が個人的には最も心に残った。復帰した木村は後の全日本選手権チャンピオン岩釣兼生と出会い、今度は指導者として日本一を目指すのだ。

グレイシー一族最強と言われるヒクソン・グレイシーは力道山戦のビデオを見せられて著者に言う。「木村は魂を売ってしまったといってもいい。これだけの実績のある武道家がフェイク(八百長)の舞台に上がること自体が間違っている」。木村がプロレスラーに転向したのは戦後の柔道を取り巻く外的要因と木村自身の経済的要因がある。台本(ブック)があり、真剣勝負とは相容れないプロレスの世界に身を置いたことが間違いの始まりではあっただろう。三倍努力のトレーニングによって怪物のような筋肉を身にまとい、一時期、世界最強の座にいた木村はシャープ兄弟との14連戦で力道山に常に負け役を強いられる。それに怒っての力道山戦だったはずだが、力道山が示した引き分けの台本を信じたために、取り返しのつかない事態を招いてしまうのだ。

「私はあえて断言する。あのとき、もし木村政彦がはじめから真剣勝負のつもりでリングに上がっていれば、間違いなく力道山に勝っていたと」とプロローグに書いた著者は長く詳細な検証の末、第28章で「木村政彦は、あの日、負けたのだ」と書くに至る。負けを認めることは著者にとって苦渋の思いだろう。それは読者にとっても同じことだ。しかし、綿密な取材で木村政彦の全体像と時代背景を描くことで、本書からは偉大さと同時に弱さを併せ持った木村政彦という人間の悲劇に対して強い共感の思いがわき上がってくる。著者はこの試合を木村と牛島にとっての“魔の刻”と表現する。個人の力ではどうにもならない運命の時。この本は木村の負けを認めることでより一層深みを増し、輝きを増している。

木村の死の7カ月後に行われた第1回UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)で優勝したホイス・グレイシーは「マサヒコ・キムラは我々にとって特別な存在です」と語ったという。力道山戦の3年前、木村はグレイシー柔術の創始者であるエリオ・グレイシーとの凄絶な死闘を制し、その名をブラジルの地に深く刻んだからだ。日本では既に表舞台から消え、忘れ去られていたが、木村の名前は南米ブラジルのグレイシー柔術関係者の間で脈々と生き続けていた。著者はこのことによって、グレイシー一族が木村の名誉を回復した、と書いているけれども、木村政彦の名誉を本当に回復したのはこの本にほかならない。木村政彦はこの本によって救われたのだ。木村政彦はこの本によって復権を果たすことができた。

重厚長大かつ分厚く熱い感動を呼ぶ希有なノンフィクションだと思う。

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「心に響く5つの小さな物語」

2010 年 2 月 14 日 日曜日
「心に響く5つの小さな物語」

「心に響く5つの小さな物語」

知人がTwitterで褒めていたので興味を持ち、amazonのレビューで全員が5つ星を付けていたので読んでみた。あとがきを含めて77ページ。文字が大きく、行間も広い。3行しかないページもあって、10分足らずで読み終わる本である。残念なことに僕の心にはあまり響かなかった。響くか響かないかは人それぞれだから、このタイトルに怒りはしないのだけれど、長い長い物語をいつまでも読んでいたい本好きな人にはお勧めしない。物足りないことこの上ないのである。読書の楽しみとは別のところで成立している本なのだと思う。

人間学を学ぶ月刊誌「致知」に連載されている「小さな人生論」の中から反響の大きかった5編を収録してある。第一話「夢を実現する」はイチローが小学6年の時に書いた作文を引用し、それを解説したもの。プロ野球選手になるために365日中360日を練習にあてているというイチローの作文自体は確かに大したものだが、解説は屋上屋を重ねるようなもので余計だと思う。

このほか、結核にかかった母親が鬼のような存在に変貌する「喜怒哀楽の人間学」、重度脳性マヒの少年が「ごめんなさいね おかあさん」と綴る詩を紹介した「人生のテーマ」などが収録されている。それぞれに良い話だが、物足りない気分はどうしても消えない。それぞれの題材からもっと長く感動的な話に仕立て上げることも可能なのではないかと思う。この本の作りは例えば、昨年、深い感銘を受けた藤原新也「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」に比べると、題材の深化のさせ方が足りないのだ。

こういう本の存在を否定はしない。忙しい人にも読める分量、小学生にも読める人生論の本は必要だろう。かといって、やっぱり、本好きな人にはお勧めしない。5編ではなく、50編ぐらいあれば、話は違ったのかもしれない。挿絵は片岡鶴太郎が描いている。著者の藤尾秀昭は致知出版社社長。

Wikipediaによれば、「致知」は「一般書店での販売はしておらず、読者に直接届ける定期購読誌」で、主な読者は「稲盛和夫(京セラ名誉会長)、牛尾治朗(ウシオ電機会長)、北尾吉孝(SBIホールディングスCEO)、鍵山秀三郎(イエローハット相談役)など」だそうだ。

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「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

2009 年 10 月 25 日 日曜日
「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

これは宝物のような輝きを持つ本である。作者の藤原新也が「長い人生の中で出会った出来事や普通の人々の物語」で、14編が収められている。このうち13編は東京メトロの駅に置かれるフリーマガジン「メトロミニッツ」に連載したもの。雑誌の方針が「ジャスト一駅間で読める」トピックなので、それほど長い話はないが、どれもこれも心にしみる。

人と人とのふれあい、感情の行き違い、別れ、喪失感、苦悩、後悔、悲しみ、喜びがこの本には詰まっている。藤原新也は出会った無名の人々のそうした思いをすくい上げ、見事な作品に結晶させた。すべて実話なのか、フィクションが混ざっているのか分からないが、作者が記事と書いている以上、完全なフィクションはないのだろう。手法としてはボブ・グリーンやピート・ハミルなどアメリカのコラムニストの作品を彷彿させる書き方だが、それらを超えている。深い洞察力と観察力、優れた文体があって初めてこうした作品は成立するのだ。収録作品は足かけ6年にわたる連載の71編の中から選んだそうだ。ほかの作品もすべて読みたくなる。個人的には今年今までに読んだ本の中で1、2を争う傑作。

連載中に読者の反響を呼んだという「カハタレバナ」は別れた妻に思いを馳せる男の話。カハタレバナとは藤原新也の造語で漢字を当てるとすれば、彼誰花となるだろうか。墓に誰が供えたか分からない花という意味である。妻の美和子と別れて3年後、島野は静岡県にある母親の墓前に山桜が供えられているのを見つける。供えたのは寺の人ではなかった。島野は供えたのは美和子ではないかとふと思う。美和子は島野の母親を敬愛していた。その年の秋の彼岸には真っ赤な鶏頭が供えられていた。それから2年間、春と秋の彼岸に必ずカハタレバナがあった。島野は美和子に会いたいという思いが募るが、罪の意識がそれをはばからせる。

お前には男がいるのだろうと、島野は美和子をののしったことがある。離婚の話し合いの時、二人の子供は島野のもとではなく美和子のもとで暮らすことを選んだ。潔癖な美和子は腐れ縁を残したくないのか、わずかばかりの財産分与の取得以外は養育費を要求しなかった。
早くから両親と生き別れて叔父のもとで育てられた美和子には実家と言えるものがない。帰るあてもなく自分に養育費を要求することなく二人の子供を引き取るということは男がいるに違いない。肉体的にも精神的にも追い詰められていた島野はそんな妄想をしてしまった。

しかし、3年後、カハタレバナは供えられなくなった。なぜか、ということを解き明かしながら物語は深い余韻を残して終わる。

冒頭に収められた「尾瀬に死す」は優れたミステリのような話。ガンで余命4カ月を宣告された妻が夫に「尾瀬に行きたい」と言う。尾瀬は2人の思い出の地だった。休み休みしながら、尾瀬に着いた夫が歩道脇にあったナメコを取っているうちに妻は死んでしまう。通信手段はなく、夫は妻の死体を背負い、しっかりと体にゆわえて山小屋まで歩く。警察は司法解剖を要求したが、夫は拒否する。これが心証を悪くしたこともあって、妻の首に残っていた外傷を理由に夫は殺人容疑で逮捕されてしまう。妻の首に巻いた紐は頭を固定させるためのものだった。夫は冤罪裁判を最高裁まで争うことになる。最高裁の判決前に夫はもう一度尾瀬を訪ねる。妻の線香をあげ、目を瞑って拝んだときに何かを訴えかけるような妻の面影を見る。

このほか、母親との同居が離婚のきっかけになった元妻を通勤電車の車窓から偶然見かける「車窓の向こうの人生」、美しいモデルと雨の中の撮影で一瞬心を通わせる「あじさいのころ」なども素晴らしい。読み終わって溜息をつきたくなるような作品ばかりだった。

藤原新也はあとがきにこう書いている。

あらためて読み返してみるとそこには、人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだという、私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。
哀しみもまた豊かさなのである。
なぜならそこにはみずからの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。

人は傷つけ合って生きているけれども、その悲しみは悲しみだけではないのだ。

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「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」

2009 年 10 月 9 日 金曜日
「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」

「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」

このタイトルに聞き覚えがあったのは米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」の中で取り上げていたからだ。直接的な動機は原題が同じの「子供の情景」を見たからだが、米原万里の書評を読んでさらに読む気になった。

映画「カンダハール」の監督で作家でもあるイラン人のモフセン・マフマルバフは隣国アフガニスタンの苦境に耐えきれず、このレポートを書いた。タイトルの意味ははっきりしている。タリバンによって仏像が破壊された時、世界中の多くの人々がそのニュースに注目したが、5分に1人の割合で死んでいくアフガニスタン国民にはほとんど誰も目を向けなかったことに異議を申し立てているのだ。重要なのは仏像ではない、人間の命だという当たり前すぎる主張である。

なぜ目を向けないのか。それは世界の人々がアフガンのことを知らないからだ。マフマルバフはアフガンがどんな国かを詳細に説明する。国土の75%が山岳地帯で、農業開発に適した土地はわずか7%。いかなる種類の工業も持たない。イランには石油があるが、アフガニスタンにはない。生産物と言えば、アヘンぐらい。まともな道路もほとんどない。干魃と内戦によって100万人が餓死に直面している。人々が生き残るには国外に脱出するか、タリバンの神学校に入るか、アヘンを生産するかの選択しかない。国外に出た難民は630万人。その人々も受け入れられず、餓死寸前だ。国土には除去しようのない多数の地雷が埋められている。

文化人や芸術家は誰も彼もが、破壊された仏像を守れ、と叫んだ。しかし、干魃によって引き起こされた凄まじい飢饉のためにアフガニスタンで100万人の人びとに差し迫っている死については、国連難民高等弁務官の他に懸念を表明する人がいなかったのはなぜなのか。なぜ誰もこの死の原因について発言しないのか。「仏像」の破壊については皆声高に叫ぶのに、アフガンの人々を飢えで死なせないために、なぜ小さな声も上がらないのか。現代の世界では、人間よりも仏像が大事にされるのか。

タリバンが泥棒の手を切断するという過酷な刑を始めたため、人々はどんなに飢えていても物を盗むことはしない。食べ物が目の前にあってもそれを取らずに餓死していく。マフマルバフは「あなたが月を指させば、愚か者はその指を見ている」という中国のことわざを引き、仏像ではなく、アフガン国民を見て欲しいと訴える。

アフガニスタンは徹底した男尊女卑の国だ。女性に参政権はもちろんない。一夫多妻制の国であり、自分の10歳の娘を嫁にやり、その婚資金で別の10歳の少女と結婚しようとしている老人がいる。夫と30歳、50歳年が離れていることも多い。しかもタリバンは女性が学校に通うのを禁じ、ブルカの着用を強制した。

ただし、この本の民族的な部分に関して訳者の渡部良子は「多民族国家アフガニスタンを作り上げてきた『部族的』な文化を、現代的な国民意識と対立するという理由で否定的にしか見ていない」として、あとがきで疑問も投げかけ、「自分たちが育んできた歴史と文化の中から共存の知恵を学び、21世紀をも生きてゆこうとするアフガニスタンの人びと自身の戦いを伝えることに、マフマルバフは必ずしも成功していない」としている。

このレポートが書かれたのは2001年3月。同時テロの起きる前の状況であり、その後、どのように変わったのか変わらなかったのかを知りたい。ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領はアフガニスタンへの増派を進めているが、それがアフガン国民にとって利益になるのかならないのか。それも知りたい。

一つだけ言えるのはこうした過酷な状況にあった当時のアフガニスタンに対してブッシュ政権が空爆をしたのは間違いだったということ。アフガニスタンに必要なのは爆弾ではなく、パンだった。爆弾の雨を降らせた米国に対して協力する国民がいるとは思えない。

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「黒澤明という時代」

2009 年 9 月 19 日 土曜日
「黒澤明という時代」

「黒澤明という時代」

黒澤明の映画をデビュー作の「姿三四郎」からリアルタイムで見てきた小林信彦がDVDで全作品を見直して書いた作品論・作家論。黒澤作品のどれを見るべきかがよく分かる本で、読んでいて僕は「野良犬」「酔いどれ天使」「わが青春に悔いなし」などを無性に再見したくなった。

20年ほど前にビデオで「天国と地獄」を見た時に「ごく控えめに見ても大傑作」と思った。完璧な映画の出来もさることながら、主人公の三船敏郎が演じる権藤という男のキャラクターにしびれたのだ。職人気質で頑固である半面、間違い誘拐の身代金を出すことを決意する権藤の在り方はほとんどハードボイルドだと思った。学生時代に名画座で「羅生門」を見た時、ラストの取って付けたようなヒューマニズムに違和感を覚えたが、「天国と地獄」ではヒューマニズムが作品と一体になっていた。ちょうどその頃、小林信彦はこの映画について「失敗作」と書いていたと記憶する。これはつまらないという意味ではなく、警察の描き方などを指した言葉だったと思う。この本の中には「文句なしに面白い『天国と地獄』」という第15章に触れてある。少し引用する。

そこでの熊井啓氏の発言は、その<問題>に関してである。仲代扮する戸倉警部が、このまま犯人をあげても刑期十五年で終ってしまうから、犯人を泳がせておいて、(共犯者二人殺しの)さらに動かぬ証拠をつかもう、と断言する件りだ。警部は犯人を極刑に持ってゆくつもりだが、犯人は計算外の動きをしてしまう。
(中略)
<何度見てもおもしろい。見るたびに新しい発見がある。>
と、ためらいなく日本人(芝山幹郎氏)が評価するのは、長い時を経てからであった。

小林信彦が高く評価する黒澤作品はこの「天国と地獄」まで。僕はこの後の「赤ひげ」にも感心したが、小林信彦は「完璧なテクニックだけの映画」としている。何か言ってやろう、何か見せてやろうというものがないからだ。

僕らの年代では封切り時に劇場で見ることができた黒澤作品は「デルス・ウザーラ」(1975年)以後だ。といっても「デルス・ウザーラ」は劇場では見なかったので、僕が実際に封切りで見ているのは「影武者」(1980年)以降の5作品にすぎない。その中で本当に感心したのは「乱」だけだった。映画は劇場で見なければいけない、というのは特にスケールの大きな黒澤作品の場合、あてはまることだが、同時に時代性というのは封切りで見ないと分からないためもある。作品的な評価だけでなく、封切り時の時代の空気を伝えるのがこの本の目的でもあっただろう。

黒澤作品のほとんどはテレビ放映時に録画したビデオを持っていたが、カビがはえたので全部捨ててしまった。DVDでそろえようかと思うが、これから買うならブルーレイの方が良いかもしれない。

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「女の子ものがたり」

2009 年 8 月 29 日 土曜日
「女の子ものがたり」

「女の子ものがたり」

西原理恵子の自叙伝的漫画。読みながら、業田良家「自虐の詩」に似ているなと思った。共通するのは貧しさと女の子の友情である。作品としては「自虐の詩」の方が上だと感じるのは主人公と2人の友だちの間の友情の描写がやや説得力を欠くからか。3人は同じような境遇で、小学生のころから行動をともにするが、主人公以外の2人は不幸な結婚をする。その不幸の遠因も貧しさにあるのだろうけれど、主人公だけが町を出て、あとから振り返って「もう、こんな友だちは一生できないと思う」と振り返るのは少し違うんじゃないかと思えてくるのだ。主人公がそう思うにいたる過程が描き切れていないと思う。

主人公のなつみは家族3人で父親の実家のある町に引っ越してくる。山と田んぼと工場のある町。拾った黒猫を一緒の世話したことで、みさちゃん、きいちゃんという2人の女の子と親しくなる。みさちゃんの家は半分がゴミ。団地に住むきいちゃんの母親は世界で一番怖そうな母親だった。なつみの両親もなつみが寝た後でけんかをする。それぞれに貧しくて幸福とは言えない3人は別々の中学校に入っても、行動をともにする。

「自虐の詩」と似てると感じたのはなつみにまなちゃんという親友ができるエピソード。まなちゃんは成績が良くてスポーツができて美人で背が高くて家も大きい。まなちゃんと一緒に下校していたなつみは、みさちゃんときいちゃんが男子にいつものよういじめられている場面に遭遇する。そこでまなちゃんは2人を助けるが、その後で主人公は「まなちゃん、わたしね、あんたのこと大っきらい」と思うのだ。「みさちゃんもきいちゃんもきらいだけど、あんたのことがいちばんきらい」。

同じ境遇だから避けたがった「自虐の詩」の幸江と熊本さんの関係に比べると、このあたりの主人公の心境をもっと詳しく描いて欲しくなる。2人のことを嫌いと思うなつみがラストで「みさちゃんときいちゃんが好きだ」と思うようになる変化の決定的な要因がここにはない。

この原作、映画になって今日から東京などで公開された。少女時代を演じるのが大後寿々花、波留、高山侑子というのはきれいすぎる感じもある。原作にない現在のエピソードを含めて映画化してあるようだが、出来はどうなのだろう。

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「昭和二十年夏、僕は兵士だった」

2009 年 8 月 14 日 金曜日
「昭和二十年夏、僕は兵士だった」

「昭和二十年夏、僕は兵士だった」

戦場を経験した5人の兵士のインタビュー集。著者は「散るぞ悲しき」の梯久美子で、帯に「感涙の戦争ノンフィクション」とある。僕は感涙はしなかったが、心を揺さぶられる部分がいくつかあった。インタビューを受けた5人は詩人の金子兜太、考古学者の大塚初重、俳優の三國連太郎、漫画家の水木しげる、建築家の池田武邦である。九死に一生を得た水木しげるの戦争観と池田武邦の章も読ませるが、個人的に最も面白かったのは徴兵忌避をして逃亡した三國連太郎のインタビュー。「必ず生きて帰ってこい」と息子を送り出した父親に対する尊敬の念と愛情がにじみ出ているのである。

三國連太郎の父親は「世間から差別される職業」から逃れるためにシベリア出兵に従軍した。復員後、電気工事の職人となり、既に身重だった母親と結婚して三國が生まれる。三國に対しては厳しく、言うことをきかないと、すぐにゲンコツが飛んできた。旧制中学に進学したくないと言ったら、半狂乱のようになって怒り、ペンチで殴られた。父親は学歴がなかったために、自分より若い社員が出世していくのを見ており、息子にだけは学校を出て資格を身に付けて欲しかったのだ。母親はしばしば嘘を言って三國をかばったが、三國はそんな嘘がいやだった。父親は職場の若者が応召する時には決して見送りに行かず、万歳三唱も決してしなかった。自分の出自と戦場を経験したことで社会の理不尽さを知ったため、反骨精神を持った人だったのである。

三國の徴兵忌避のための逃亡もそんな父親の影響があったようだ。父親と三國は血がつながっていないが、それでも三國は母親より、父親の方が好きだった。

年齢を重ねるほどに、父の存在が大きくなっていくと三國氏は言う。父に学ぶものが大きい、と。
理不尽な境遇から脱出するために戦場に赴かなければならなかった父。戦争とは、国民を一律に「兵士」として扱うことで平等化するという機能を、たしかに持っている。生命を差し出す代償としてしか自由を得られなかった三國氏の父は、“お上”への疑問と嫌悪を戦場から持ち帰ったのではないだろうか。

建築家の池田武邦は軽巡洋艦「矢矧」の乗員としてマリアナ沖海戦、レイテ海戦、沖縄海上特攻を経験した。辛くも生き残り、戦後、高層ビルの建築家として成功を収める。池田は戦艦大和が撃沈された沖縄海上特攻の悲劇について「開戦に踏み切ったそのときに、運命づけられていた」と話す。

軍部が勝手に戦争を始めたという人たちがいます。戦争指導者たちがすべて悪いんだと。本当にそうでしょうか。戦前といえども、国民の支持がなければ戦争はできません。開戦前の雰囲気を、僕は憶えています。世を挙げて、戦争をやるべきだと盛り上がっていた。ごく普通の人たちが、アメリカをやっつけろと言っていたんです。

戦場を経験した人たちの言葉はどれも重みがある。しかし、インタビューを受けた5人は大正8年から15年生まれ。現在、80歳前後だ。こうしたインタビューはもう本当に後がない。

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「1Q84」

2009 年 7 月 12 日 日曜日
「1Q84」

「1Q84」

物語の発端は200ページを越えたあたりにある。10歳だった天吾がほかに誰もいない教室で同級生の少女・青豆に手を握られるシーン。青豆の両親は「証人会」という宗教団体にいて、青豆もそこの集団生活で育てられた。給食の時にもお祈りをしなくてはならず、クラスの中で浮いた存在。というよりも存在自体を無視されていた。ある時、天吾はクラスメートにからかわれた青豆を助ける。父親がNHKの集金人で日曜日にはいつも父親に連れられて集金に回っていた天吾には青豆の境遇がよく分かったのだ。青豆が手を握ったのは二人がともに不幸な境遇にあったことに理由があったのかもしれない。

彼女は何かを決断したように足早に教室を横切り、天吾のところにやってきて、隣りに立った。そして躊躇することなく天吾の手を握った。そしてじっと彼の顔を見上げた(天吾の方が十センチばかり身長が高かった)。天吾も驚いて彼女の顔を見た。二人の目が合った。天吾は相手の瞳の中に、これまで見たこともないような透明な深みを見ることができた。

20年後、天吾は予備校の講師をしながら作家を目指している。青豆はスポーツインストラクターをしながら、殺し屋になっている。天吾はふかえり(深田絵里子)という17歳の美少女の小説「空気さなぎ」をリライトすることになり、青豆は10代の少女に性行為を繰り返しているある宗教団体の教祖の殺害を依頼される。この2人の物語が1984年とは少し異なる世界、月が2つある1Q84年の世界で交互に語られる。それがいずれ交差していくのは目に見えており、これを天吾と青豆のラブストーリーとして読んでも少しも間違いではないだろう。

2人はまともに言葉を交わすこともなく別れたが、それ以来、青豆にとって天吾は唯一の愛する人となった。そして物語の終盤で、ある人物から天吾もまた青豆を求めていることを知らされる。

「そんなことは信じられません。彼が私のことなんか覚えているはずがない」
「いや、天吾くんは君がこの世界に存在することをちゃんと覚えているし、君を求めてもいる。そして、今に至るまで君以外の女性を愛したことは一度もない」
青豆はしばらく言葉を失っていた。そのあいだ激しい落雷は、短い間隔を置いて続いていた。

賛否両論ある小説で、物語が何も解決しないまま終わるのは不満ではあるし、パラレルワールドSFだったら、枝葉末節を省けば、1冊で終わる話ではないかとも思うのだけれど、それよりも読書する楽しみに満ちた小説だと思う。細部のエピソードや描写を読んでいて全然退屈しない。これが優れた小説の一番の美点なのではないかと僕は思う。純文学作家の作品としてはマイケル・シェイボン「ユダヤ警官同盟」などよりは、はるかに面白く読めた。その前にこれが純文学かと思う。エンタテインメント小説と言っても何らおかしくはない。

「説明されなければ分からないことは、説明されても分からない」という言葉が小説の中で何度か繰り返される。これ、物語の詳細を説明するのを省くためではないかという思いもちらりと頭をかすめるが、確かに小説や映画の面白さは説明されて分かるものではない。常々考えていることなので、なるほどなと思った。

村上春樹の小説はこれまで1冊も読んだことがなかった。僕の趣味とも興味とも関係ない作家という感じを持っていた。この小説も書店の店頭で1冊だけ残っていた上巻を見なかったら、買うことはなかっただろう。買って正解だった。村上春樹の他の本も読みたくなった。

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