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「ハリウッドではみんな日本人のマネをしている」

2010 年 1 月 28 日 木曜日
「ハリウッドではみんな日本人のマネをしている」

「ハリウッドではみんな日本人のマネをしている」

著者のマックス桐島さんはハリウッド映画のプロデューサーで宮崎県在住。仕事で以前知り合ったので、書店で著者名を見ただけで買った。ハリウッド映画は近年、「仄暗い水の底から」「シャル・ウィ・ダンス」「鉄腕アトム」など日本映画のリメイクや「呪怨」の清水崇など監督の進出が目立ってきたが、映画に限らず、仕事や生活の仕方にも日本文化の影響が出ているという実例を豊富に挙げて説明している。長年、アメリカに住んだ著者でなければ書けない本で、面白く読んだ。

象徴的に取り上げているのはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本の連覇。米国内ではあまり関心がないと言われてきたが、ハリウッドではWBCへの注目が高かったのだという。

WBC連覇によって、日本人選手の優秀さだけではなく、日本野球のコンセプトそのものが賞賛されたように、これからはハリウッドもコンテンツを買うだけではなくなるだろう。
コンテンツ以上にその根っこにあるコンセプトそのものを吸収する-。そんな時期に来ているのではないか。いわばハリウッドの「日本化」だ。その流れは、すでにかなり大きなものになっている。

そこから取り上げられている実例はハリウッドでの日本人スタッフの優秀さから始まって、エンタメやアフター5の飲みニケーション、喫茶店、デパ地下、お土産、土足厳禁、自動販売機、温水洗浄式便座、武道、謙譲の美徳など文化、ライフスタイル、精神などのさまざまなものに及ぶ。著者の知り合いの実例もあるからすべてが広範囲とは言えないにしても、これほど日本文化が評価されていることにはやはり驚く。

日本人としては日本文化の利点が理解されて嬉しい限りだが、ちょっとひいき目に見ている部分もあるだろう。文化が伝わる際にはその国の実情に合わせて伝わることが多いからだ。タイトルにはマネとあるが、良いものを積極的に取り入れることはマネではなく、さらに良くしたいという思いがあるからだと思う。ハリウッドが世界最大の夢の生産基地であることは今も変わらないし、さらに面白いものを作ろうとして日本に限らずさまざまな国の映画を取り入れるのは企画の貧困さだけからきているものではないだろう。

それに文化の吸収は日本が得意としてきたもの。アメリカへの日本の影響よりも日本へのアメリカの影響の方が今でもずっと大きいだろう。アメリカが日本文化やライフスタイルに興味を示していることは相互理解が深まることでもあるから悪いことではないけれど、今、日本やアメリカが相互理解に努めた方がいいのはイスラム圏の国々ではないかとも思う。

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「しがみつかない生き方」

2009 年 12 月 12 日 土曜日
「しがみつかない生き方」

「しがみつかない生き方」

オリコンスタイルの「2009年年間本ランキング」で総合13位、新書では2位に入っている。38万7797部売れたのだそうだ。内容は軽い読み物、エッセイという感じだが、精神科医の立場・経験から世間一般の考え方に異議を呈し、一つの価値観に縛られない生き方を求める視点は面白い。欲を言えば、もう少し掘り下げた内容、示唆が欲しいところだ。内容が分かりやすいので売れているのだろうか。著者の香山リカは今年はこの1冊だけだったが、昨年は9冊、一昨年は6冊と著書の刊行ペースが凄い。

サブタイトルは「『普通の幸せ』を手に入れる10のルール」。そのルールが10章にわたって書かれている。目次を見れば、この本の内容は分かる。第1章「恋愛にすべてを捧げない」第2章「自慢・自己PRをしない」第3章「すぐに白黒つけない」第4章「老・病・死で落ち込まない」第5章「すぐに水に流さない」第6章「仕事に夢を求めない」第7章「子どもにしがみつかない」第8章「お金にしがみつかない」第9章「生まれた意味を問わない」第10章「<勝間和代>を目指さない」。

第1章では演劇にのめり込み、エネルギーに満ちた女性がいいかげんな恋人を持ったことで精神的な病気になっていったのを例に挙げている。メールを出しても返事をくれない、親に紹介したいと言うと、「冗談じゃない」と言う男。彼女はこれによって「食事がまったく喉を通らず、朝起きれない」「こんな毎日ならもう消えた方がいいかも」と言うようになる。恋愛がうまくいかないことで、自信を喪失していく女性は「運やタイミング、賭けの要素も大きい恋愛のような経験があまりなく、『努力すればした分だけの成果、評価が得られる』という勉強や仕事の世界にどっぷり浸かっていた人」に多いのだそうだ。

著者のアドバイスは極めて当たり前のことで、「恋愛でつまづいても、すぐに『すべては無意味』と思わない。『私は寂しい』と決めつけない」ということである。著者も指摘しているが、テレビや雑誌で毎日おびただしい量の恋愛ものに触れていると、「恋愛がすべて」と思ってしまう女性が生まれることになるのだろう。

第10章の「<勝間和代>を目指さない」は最近、新聞や雑誌で取り上げられている。「競争社会の成功者」であるアナリストの勝間和代の著書(ここでは主に「断る力」)に疑義を呈し、勝間和代のように殺到する仕事の依頼を断る力よりも仕事の依頼がなく「耐える力」を必要としている人が多いという指摘はもっともだ。すべての人が勝間和代の本を読んで成功者になれるわけがない。なれない人の方が圧倒的に多いだろう。

病院での経験から私が気づいたように、人生が思い通りに展開していない人の多くは努力が足りないわけではなくて病気になったり勤めた会社が倒産したり、という“不運な人”なのだ。たとえ、努力不足が挫折や失敗の原因であったとしても、丹念にその人生を振り返ると、そもそも家庭環境などに恵まれず、努力しようにもできる環境になかった、という場合が多い。そして、依頼殺到の人気者の側にいるか、誰からも相手にされない絶望や孤独の側にいるかは、本当に“紙一重”だと私は思う。

努力すれば夢はかなう場合もあるけれど、どんなに努力しても夢を実現できないケースもある。アメリカ映画によくあるアメリカン・ドリームにしても、ごく一部の成功の事例が普遍化することはあり得ないのだ。競争社会においてそういう夢を実現するケースを夢として持つことも必要だけれど、現実は厳しい。著者のスタンスは成功者になれなかった人の立場にあり、その方が僕には好ましいと思える。

勝間和代はTwitterで「ちなみに私は、@kohmi(広瀬香美)とも会話になりませんが、香山リカさんとも会話がすれ違って、困ります」とつぶやいていた。当然だろうなと思う。

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「Twitter社会論」

2009 年 11 月 20 日 金曜日
「Twitter社会論」

「Twitter社会論」

ネット通販でワンクリック購入のシステムがあるのは購入手続きの途中でユーザーが冷静になるのを防ぎ、購入意欲をなくさせないためという記述になるほどと思った。購入までに確認画面が何度もあると、やっぱり買わなくてもいいかと思い、買うのをやめた経験が僕にもある。逆にワンクリックで購入して早まったかと思った事も何度もある。「ネット通販は、購入までの確認画面を1つ挟むたびに購入率が落ちていく」のだそうだ。これはデル・コンピュータがTwitterで300万ドルの売り上げを達成したということに関連して言及されている。Twitterでつぶやきを読んでいる時にコンピュータ購入のお得な情報を見ると、ユーザーは購入意欲が高まるものらしい。

本書は140文字のつぶやきのシステムが社会にどんな影響を与えているかを初期からのTwitterユーザーの立場から考察した本だ。スタートから発展、さまざまな使い方、企業・団体の利用などのTwitterに関する事象をコンパクトにまとめた好著。Twitterの全貌を知るのに役立つ本だと思う。

「いまなにしてる?」という問いに対して答えることに何の意味があるのか。Twitterを始めるまでは何の意味もないと思っていたし、今も「おはようございます」だの「おやすみなさい」だの「○○○なう」などというつぶやきはその人の知り合い以外には何の意味もないと思う。

しかし、著者の津田大介が指摘しているようにTwitterの最も強力な機能はそのリアルタイム性にある。今起きていること、自分が目撃していること、体験していることをどこからでも即座に投稿できる。これが事件・事故やイベントの実況に威力を発揮するのだ。Twitterの最も有効な機能はこれに尽きると思う。もちろん、ブログだってどこからでも投稿できるが、たった一言のブログなんてブログの意味をなさない。140文字のブログなんて読みたくないし、つぶやきを掲載するシステムとしてはブログは大げさすぎるのだ。Twitterは元々そういう簡易なものだから許される。

このほか著者が挙げているTwitterの特徴は(1)RT(リツイート)による強力な伝播力(2)オープン性(3)ゆるい空気感(4)属人性-の4つ。あとの3つは付け足しみたいなものだろう。Twitterの開発者が当初からリアルタイム性を考慮していたかどうかは分からないが、Twitterの魅力がリアルタイム性と伝播力にあることは間違いないだろう。イベントの実況は著者が本格的に始めたので「tsudaる」と言われる。あるシステムをどう使うかを見つけていくのはユーザーであり、そうしたいろいろな使い方ができる緩やかなシステムであることがTwitterの普及に役立っている側面は否定できないだろう。

Twitterの問いかけは11月20日から「いまどうしてる?」に変わった。英語版では「What’s happening?」なのだから、「いま何が起きてる?」と訳しても良かったし、その方がリアルタイム性を表しているのではないかと思う。まあ、大多数を占める個人のつぶやきで「何が起きてる?」という訳は合わないのかもしれない。

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「ヒトは脳から太る」

2009 年 10 月 27 日 火曜日
「ヒトは脳から太る」

「ヒトは脳から太る」

早食いはなぜ肥満につながるのか。僕は早く食べることによって血糖値が上がる前に量を食べすぎるためと思っていた。人は血糖値が上がることによって満腹感を感じる仕組みになっているからだ。たいていのダイエット本にもそう書いてある。この考え方なら、一定量を食べる限り、早く食べても遅く食べても太り方は同じはずだ。

ところが、本書には「摂食量を同じにしても早食いの方が肥満傾向にある」と書いてある。なぜか。「早食いのときは、脳内にドーパミンやオレキシンが活発に分泌されて、体は貪欲にカロリーを取り込み、ため込むモードになって」いるからだそうだ。

これを裏付けるものとして、成人男子に糖尿病検査で使われる糖負荷テスト用の糖質液を飲んでもらう実験を紹介している。1回目は速やかに血糖値が上昇したが、2回目の上昇は1回目の半分、3回目には上昇しなかったという。被験者はこのブドウ糖液を飲むのが嫌になったのだそうだ。

糖の吸収はおいしいとか飲みたいといった前向きの気持ちがあるかないかで大きな影響を受けるということです。まずいな、いやだなと思いながら食事をするとカロリー吸収は抑えられるが、おいしそう、食べたいな、という前向きの気持ちで食べると、体はそれに反応して、積極的に吸収しようとするのです。

もう一つ、太らないためにはものを良く噛んで食べることが推奨される。これも血糖値の上昇速度と絡めて説明されることが多いが、この本はラットでの実験から「唾液や水分でドロドロになったものは、固形物のまざったつぶつぶのものよりも、飲み込んだあとは血糖値の上昇が小さい」としている。消化管は固形状のものが入ってくると、頑張って消化吸収しようとするのだという。

同じ量、カロリーのものを食べてもドロドロの状態の方が吸収は少ないという意外な結論だ。普通、よく噛むのは消化吸収を助けるためと言われるが、それとはまったく逆の結論なのである。だからカロリーを吸収しにくくするためには良く噛んでドロドロの状態にしてから飲み込んだ方がいいというわけ。

この2つの指摘が僕には面白かった。本書のサブタイトルは「人間だけに仕組まれた“第2の食欲”とは」。お腹いっぱいなのにデザートを食べてしまう別腹の説明など前半は脳と食欲の関係が中心、後半はダイエットに必要な知識と食全般について書いてある。具体的なダイエット法はないが、朝バナナダイエットのようにこうすれば痩せると決めつけるようなダイエット法がいかに間違っているかがよく分かる本である。ダイエットに関心のある人は読んでおいて損はない。

著者の山本隆は畿央大学大学院健康科学研究科教授。

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「ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言」

2009 年 9 月 26 日 土曜日

これは最近読んだ新書の中では最も面白かった。ネットは普及しすぎたために居酒屋でのおしゃべりレベルになった。ネットのヘビーユーザーはバカか暇人である、という論旨がはっきりしている。なぜブログは炎上するのか、そのあたりの要因もよく分かった。いじめが好きなバカか暇人が自分には関係ないどうでもいいことに揚げ足取って騒ぎ立てているのだ。

著者はネットにヘビーに書き込む人をこう推測している。

揚げ足取りが大好きで、怒りっぽく、自分と関係ないくせに妙に品行方正で、クレーマー気質、思考停止の脊髄反射ばかりで、異論を認めたがらない……と、さまざまな特徴があるが、決定的な特徴は「暇人である」ということだ。書き込み内容や時刻から類推するに、無職やニート、フリーター、学生、専業主婦が多いと推測できる。

「ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言」

「ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言」

実生活では人に注意することもないような人がネット上では鬼の首でも取ったかのように相手を徹底的に叩く。しかも本人はそれが正しいことだと思っている。第1章「ネットのヘビーユーザーはやっぱり暇人」で著者は倖田來未の羊水発言や沢尻エリカの「別に」発言などいくつもの例を取り上げ、その異常さを説明していく。

第2章「現場で学んだ『ネットユーザーとのつきあい方』」ではB級ネタしか流行らないネットの現状を、第3章「ネットで流行るのは結局『テレビネタ』」では依然として大きいテレビの影響力を解説している。ネットだけでブームになったものなど何もないという指摘はもっともで、ネットのブームをテレビが取り上げないと大衆には広まらないのである。ネットの影響力なんてそんなものでしかない。

実生活が充実している人は仕事が忙しくてネットに時間をかけている暇などない。一流の芸能人はブログなど書かないという指摘もなるほどと思った。書く必要もメリットもないからだ。著者は企業に対しても「ネットに期待しすぎるな」と書く。ネット上で流行るのはバカか暇人が好きなB級テイストのものだけなので、商品を押しつけるだけのサイトを作ってもダメなのだ。企業がネットで成功するためにはサイトをB級にする必要がある。

著者の中川淳一郎は博報堂、「テレビブロス」編集者を経て、現在はニュースサイトの編集者。コンサルティング業務やプランニング業務も行っているそうだ。

テレホーダイ時間にしかネットに長時間接続できず、昼間は電話代とプロバイダ料金を気にしながら接続していた時代は過去のもの。ネットは大衆化し、ヘビーユーザーは暇人が中心になった。そういう今のネットとのつきあい方がよく分かる本である。

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「テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方」

2009 年 9 月 20 日 日曜日
「テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方」

「テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方」

「テレビは見てはいけない」というメインタイトルよりも「脱・奴隷の生き方」というサブタイトルの方がメインの内容である。編集協力・オフィス1975とあるので、これは著者自身が書いたものではなく、編集協力者が著者の考え方をまとめたものだろう。それでも面白いのだけれども、20代のころに読んでものの見方が変わった岸田秀の著作ほどインパクトがない要因ともなっている。著者の苫米地英人はオウム信者の脱洗脳にもかかわったことがあるそうで、その実用的な考え方を自身の手でまとめてほしいものだ。他の著作もあるので、読んでみようかと思う。

テレビを見てはいけない理由の一つは序文の中にプロダクト・プレイスメントという広告手法があるからという理由で説明されている。これは番組内でさりげなくスポンサーの商品を映し出し、視聴者に広告と気づかせずに商品の性能や特徴をアピールすること。このプロダクト・プレイスメントによって、欲しくもない商品を欲しいと思わされることになる。つまり洗脳されるわけだ。そうした状態を著者は奴隷と呼ぶ。そしてそういう洗脳はこの社会の至る所にある。

「偏差値が低い学校に行くのはカッコ悪い」「有名な会社に勤めてこそいい人生」などといったステレオタイプな価値観を子どもに植えつける親はたくさんいます。自分たちの価値観を強制して、子ども自身がもっている可能性の芽を摘んでしまっていることに気づかない大人たち。
そういう人たちを「ドリームキラー」と呼びます。文字どおり「夢を殺してしまう人」です。多くの人にとって、もっとも「ドリームキラー」となる確率が高いのは親です。

実はこの部分を呼んで、岸田秀を思い出したのだ。もう随分前に読んだ本なので、詳しく覚えてはいないが、人は3歳になるまでに親からねじを巻かれている。人の行動の規範はその時までに形成される、といった内容だった。思春期になって自立心が芽生え始めると、親から巻かれたねじとの間に齟齬が生じ、悩むことになる。マザコンやファザコンの人、親を尊敬しすぎている人は親から巻かれたねじが強力だったのかもしれない。

親だけでなく、その後も学校や会社や組織の中で価値観の強制はある。日本の社会では空気を読むことが必要とされ、読めない人はKYと言われる。これが女子高生あたりから出て来た造語であることを考えても、若い世代からこういう考え方にどっぷり浸っていることがよく分かる。著者は「『空気読め』は差別のシステム」と断言している。

ではどうすればいいのか。「want to」でやれ、「have to」で生きるな、というのがこの本の主張だ。画一的な価値観を捨て、自由に生きること。こうしなくてはいけないと決められたものに縛られるな。なかなかそれを実行するのは難しいのだが、難しいと思うこと自体が画一的な価値観に縛られているからなのかもしれない。

苫米地英人は脳機能学者、計算言語学者、認知心理学者、分析哲学者。上智大卒業後、三菱地所、イェール大大学院、徳島大助教授、ジャストシステム基礎研究所長などを経て、現在はドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボCEOなどの肩書きがある。帯の写真を見ると、ちょっと軽薄な感じも持ったが、書いてあることはまともだった。

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「ヒルクライマー」

2009 年 9 月 15 日 火曜日
「ヒルクライマー」

「ヒルクライマー」

疋田智の「週刊 自転車ツーキニスト」で紹介されていたので読む。「ダーティペア」や「クラッシャージョウ」のSF作家・高千穂遙の自転車小説。帯には「日本初の自転車山岳レース小説」とある。漫画では「シャカリキ!」という坂馬鹿(=坂登りに熱中する人)を描いた名作があるが、小説では確かに前例を知らない。

ヒルクライマーも自転車で坂を登る人を指す。山岳レースに打ち込む男女が登場し、白熱のレース場面を中心に男女の恋愛模様や家庭の問題を織り交ぜて描いている。自転車がもっともっと中心でも良かった。もっと長くても良かったと思う。自転車小説入門編として300ページ足らずの長さは適当かもしれないが、まだまだ読み足りない。続編はこの2倍ぐらいの長さを期待したい。

主人公の松尾礼二は19歳。マラソンで大学に入ったが、チームプレイの駅伝に出場するのが嫌で大学をやめる。死んだ親友からフランス製のロード自転車ルックを形見分けとして贈られたのがきっかけで自転車チームに所属。マラソン選手だったので体力に自信はあったが、最初の練習では女性にも負ける始末だった。ヒルクライムに魅せられ、奮起した礼二は猛練習に打ち込み、急速に力を付ける。

クライマックスは長野県小谷村の栂池高原で行われるヒルクライムレース。礼二は予選で、チームの先輩で45歳ながら実業団並みの力を持つ神音大作に必死についていく。そして残り5キロでロングスパートをかける。

礼二は大月、平沼、横溝に無視された。この若造は、すぐにつぶれる。もって、せいぜい一、二キロ。そこで失速し、集団に抜き返される。そのように判断された。
違うぞ。
心の中で、大作はつぶやいた。
あいつは、ものが違うぞ。

高千穂遙は50歳で自転車に熱中。高脂血症や高血圧が嘘のように治り、84キロの体重が60キロに、体脂肪率は24%から10%に落ちたという。僕はダイエットに打ち込んでいた昨年2月、「自転車で痩せた人」という高千穂遙の著書を読み、自転車を始めようと思った。この新書に関してはmixiに感想を書いていたので、このブログ内に移しておいた。

自転車はまだ買っていない。でも、そろそろ買う。絶対買う。

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「ユリ・ゲラーがやってきた 40年代の昭和」

2009 年 9 月 13 日 日曜日
「ユリ・ゲラーがやってきた 40年代の昭和」

「ユリ・ゲラーがやってきた 40年代の昭和」

昭和40年代をサブカルチャーから論じた本。取り上げているのは映画、歌、テレビ、犯罪と事件など。映画については首肯できない部分もあったが、著者の鴨下信一はTBSのディレクターとしてさまざまなドラマや番組を手がけてきただけにテレビと歌に関しては感心するところが多かった。

テレビについて、著者は「40年代のテレビは黄金期だった。その中でも黄金期だったのは、間違いなく[ホームドラマ]だ」と書き、ホームドラマの第一号を東芝日曜劇場で放送された「袋を渡せば」としている。これは石井ふく子と橋田壽賀子が「ささやかな家庭での出来事を描くと、そこで外の社会のあらゆること、政治も経済も、会社も学校も、世界の情勢も、すべてのことが分かる」との認識に立って製作したドラマなのだそうだ。テレビに関して、この本は詳しく、これだけで1冊にしても良かったのではないかと思う。

映画については本流をプログラムピクチャーだと指摘する。プログラムピクチャーは「映画館の上映スケジュールを埋めるために製作される低予算のB級映画」のことだが、著者はこれを「一つ映画が当たると、その手応えをバネに同じ路線でもう一本、もう一本と作っていく。観客もそれを歓迎する。面白いものは、また見たいのだ。映画会社の収支も安定するし、スターも産み出される」としている。これはそれこそ昭和40年代ぐらいまでは正しい認識だっただろうが、今となっては間違いと言って良い。プログラムピクチャーは映画会社の直営映画館が多かった時代にしか通用しないものだった。数多く製作されたプログラムピクチャーの中で今も評価されている作品がどれぐらいあるのか。恐らく1割もないだろう。システム的に壊れたものを懐かしがって、本流などと言っても始まらない。

小津安二郎などの家族の問題を扱った映画を見れば分かるように、かつては映画館がホームドラマの役割を果たしていた。その役割がテレビに移り、映画は芸術性やスペクタクル路線、大作路線を歩むようになった。当然のことながら、僕らがある映画の評価を「テレビドラマのレベル」と書くとき、それは低いレベルを想定している。もちろん、高いレベルのテレビドラマもあるが、多くの場合、映画館に行ってテレビと同じようなものを見せられたら腹が立つだけだ。

面白かったのは歌の章で、大学紛争当時、バリケードの中で学生たちは何を歌っていたかという部分。替え歌を歌っていたのだそうだ。紹介してある中で思わず笑った替え歌はこれ。

赤い旗ふってた 男の子
おまわりさんに つれられて
いっちゃった
(元歌は「赤い靴」)

これ、短いのがいい。あるいは、

ちょいと1回のつもりでデモリ
いつのまにやら活動家
気がつきゃ全学連の中央執行委員
これじゃ革命なんかできるわきゃないよ
わかっちゃいるけど やめられねえ
(元歌は「スーダラ節」)

連合赤軍もこういうユーモアのある歌を歌っていれば、総括のような悲劇は起きなかったのではないか。

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