「私の中のあなた」

「私の中のあなた」

「私の中のあなた」

読んだ動機が映画(感想は「私の中のあなた」: Sorry, Wrong Access)との結末の違いを確認するためだったので、あまり良い読み方とは言えない。ほとんど映画と同じ話なので、家族愛ものとしてよくまとまっているというぐらいの感想しか出てこない。しかし問題の結末は驚いた。こういう展開にするとは思わなかった。原題の「My Sister’s Keeper」、邦題の「私の中のあなた」に合いすぎる内容なのだ。合いすぎて厳しすぎて不快に思う人もいるのではないか。これを短編でやられたら、本を投げ捨てるだろう。映画にも向かなかったと思う。結末を変えて映画は正解だった。

同時にこれは遺伝子操作で出産するデザイナー・ベイビーに対する作者のジョディ・ピコーの考え方を表したものでもあると思う。映画があいまいに終わらせていた部分をはっきり描いているのだ。姉のドナーとして妹を出産するということが是か非か、それが浮き彫りになる。

映画とは登場人物の設定などに細かい違いがある。一番の違いはアナの弁護士キャンベルの元恋人で訴訟後見人のジュリアが出てくること。キャンベルとジュリアの高校時代からの関係がキャンベルの病気を絡めて描かれる。キャンベルは高校時代、突然、ジュリアを捨てる。事故によって病気になったキャンベルは両親にもそれを隠していたのだ。それが映画でも描かれた裁判の中での発作で周囲に明らかになり、キャンベルとジュリアは復縁を果たす。

「それともうひとつ、今度はあなたがわたしと別れるんじゃない。わたしがあなたと別れるのよ」
その言葉はぼくの気持ちをさらに落ち込ませる。傷ついた顔を見せまいとするが、今はそのエネルギーの持ち合わせがない。「だったら、もう行ってくれ」
ジュリアは僕に寄り添って言う。「ええ、そうする。あと50年か60年経ったらね」

ただ、これは本筋にあまり絡まない部分なので映画で省略しても差し支えないだろう。こういう部分まで描いていたら、映画は長くなりすぎるし、焦点もぼけたかもしれない。

映画で印象的だったケイトとテイラーの短い恋のエピソードは40ページ足らずしかなく、本と映画との描こうとしたものの違いがよく分かる。映画の主人公はあくまでもケイトなのだ。登場人物のそれぞれの視点から物語を語る手法は映画で序盤に使われていたが、小説はこれで統一されている。ケイトの視点はエピローグにしか登場しない。映画はテーマを突き詰めず、家族愛・難病ものにしてしまっているのが欠点だが、この原作の映画化として、まとめ方はそれしかなかったのだろうなと思う。

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