「打ちのめされるようなすごい本」で米原万里が褒めていたので読む。奥田英朗の本は数冊買っているが、まともに読んでいなかった。いや、これはおかしい。面白い。続編の「空中ブランコ」は直木賞を取り、この本自体も直木賞候補になったけれども、それが納得できる面白さ。精神科医・伊良部一郎を主人公にした連作短編。医師というよりは単なる混ぜっ返し、駄々っ子のような太った中年の伊良部のもとを訪れるプール依存症、妄想癖、陰茎強直症、不安神経症などさまざまな患者を取り上げ、ストレス社会の中で現代人が抱える心の病を爆笑させながら描き出した小説だ。
読んでいていくつか自分にも思い当たることがある。「イン・ザ・プール」のプール依存症になった男はウォーキング依存症やネット依存症に近かった(今でも?)自分に当てはまるし、たばこの火を消したかどうかに不安を覚え、何度も確認し、外出できなくなる「いてもたっても」の男には、そうそうたばこの火って気になるんだよなと思う。ということは自分も軽度の不安神経症なのか。
まともな治療などせず、注射フェチの伊良部にあきれながらも患者が通院をやめられないのは心の病とは無縁で、人目を気にせず自分の思うとおりに行動する伊良部がある意味、うらやましい存在だからだろう。収録されている5編すべて面白いが、僕が気に入ったのは色っぽい看護師のマユミさんがちょっとだけクローズアップされる「フレンズ」。1日に200通も携帯メールを出す高校生の雄太が患者で、この行動は友だちや仲間がいないことを避けたいという不安の裏返しなのだ。クリスマスに誰からも相手にされなかった雄太は伊良部に電話をかけ、代わったマユミさんと話す。
「マユミさん、彼氏はいるんですか」
「いないよ」
「ぼくじゃだめですか」
「子供はだめ」
間髪を入れず返事された。でも愉快な気分になる。くじけず話を続けた。
「どんな人が理想ですか」
「友だちがいない奴。大勢で遊ぶの、苦手なんだ」
メリークリスマス。雄太は夜空に向かってつぶやいていた。
マユミさんは「孤塁を守ることを恐れない北国の美女」だったのである。
恐らく、この連作短編を書くのに奥田英朗は相当の取材をしているはず。それを表面にはおくびにも出さず、エンタテインメントに仕上げている。こういうのを洗練された手法と言うのだろう。
【amazon】イン・ザ・プール (文春文庫)