和田誠と山田宏一がヒッチコックのアメリカ時代を中心に全作品について語った本。本書のあとがきによれば、同じく2人の対談を収めた「たかが映画じゃないか」が出たのは1978年。31年ぶりの対談集ということになる。「たかが映画じゃないか」と「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」、「お楽しみはこれからだ」は繰り返し繰り返し読んだ。僕がエモーションという言葉を映画の感想の中で使うのはこれらの本の影響にほかならない。この2人の名前を見て、しかもヒッチコックに関する本とあっては買わずにすませることは不可能だ。
元々はヒッチコックのアメリカ時代の作品30本がレーザーディスク化される際に収めた2人の対談が元になっている。だからこの部分は10数年前のものらしい。これに今回、イギリス時代のヒッチコック作品について対談を付け加えた。イギリス時代の作品は「バルカン超特急」「第3逃亡者」ぐらいしか見ていないのでつらいものはあるのだが、山田宏一がジョディ・フォスター主演の「フライトプラン」について「バルカン超特急」のリメイクと言っているのにはなるほどと思った。言われて見れば、その通りで「バルカン超特急」では老婦人が列車の中から消え、「フライトプラン」は娘が飛行機の中から消える。両者は窓ガラスに書いた文字が一瞬見えた後に消えるという点でも共通しており、単純な換骨奪胎だったのだなと初めて気づかされた。
ヒッチコックのフィルモグラフィーを見て前々から思っていたのは1958年の「めまい」から「北北西に進路を取れ」(1959年)、「サイコ」(1960年)、「鳥」(1963年)までの作品の充実ぶりの凄さ。この4作どれもこれも傑作ばかり。しかもタイプがすべて違うのが凄すぎる。「鳥」は70年代に数多く作られた動物・昆虫パニック作品のすべてを凌駕していたし、「サイコ」がその後のホラー映画に与えた影響は計り知れない。僕はこれ、小学生時代にNHKテレビで見て大きなショックを受けた。「めまい」は男にとっては切実すぎる映画であり、悲しい内容だけれども、大好きな映画だ。「北北西に進路を取れ」はその目まぐるしい展開とエヴァ・マリー・セイントの美しさにしびれた。見てもらえれば分かるように、本書の表紙は「北北西に進路を取れ」。ちなみに裏表紙は「めまい」である。
本書を読みながら、そういうヒッチコック作品のことをたくさん思い出す。もちろん、ヒッチコックの映画を見ていた方が楽しめるが、これから未見のヒッチコック作品を見た後に該当箇所の対談を読んでも楽しめるだろう。注釈が充実しているので、そういう映画ガイドブックのような使い方もできる本である。
ただし、と付け加えておくと、10代から20代にかけてわくわくしながら読んだ「お楽しみはこれからだ」や「映画術」に比べると、こちらの感性がすれっからしになったためか、大きく心を動かされた部分はあまりなかった。これらの本の一部が本書の中でリフレインされているためもあるかもしれない。
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