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「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」

「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」

「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」

映画化決定に合わせて復刊され、昨年11月に買っておいたのをようやく読んだ。というか、3年前に川本三郎と鈴木邦夫の対談集「本と映画と『70年』を語ろう 」を読んで以来読みたかった本だった。評論家の川本三郎が朝日ジャーナル記者だった1971年当時、朝霞自衛官殺害事件に巻き込まれて解雇された事件を振り返る回想録。事件の詳細は「逮捕までI」「逮捕までII」「逮捕そして解雇」の最後の3章で描かれる。それ以前の9章は週刊朝日時代と朝日ジャーナル時代の仕事が全共闘運動に陰りが見え始めた時期の世相と合わせて語られ、興味深い読み物になっている。

読み終わって、青春の愚行という言葉が思い浮かぶ。その時に最良の選択と思ってしたことが後になってとんでもない事態を引き起こす。それは若さゆえの愚行なのだ。だから、この本の内容は厳しいけれど、甘酸っぱい部分も含んでいる。

著者は週刊朝日編集部の記者から取材に協力してほしいと要請を受ける。京浜安保共闘のメンバーと名乗るKという男の取材だった。Kを取材した著者はCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の歌と宮沢賢治の小説の好みが共通することでKを信用してしまう。Kと著者は頻繁に連絡を取り合うようになる。Kは全共闘のメンバーからは知られていず、素性に不審なところがあった。やがてKは自衛隊朝霞駐屯地を襲撃し、自衛官を殺害する。Kから連絡を受けた著者は取材の後、事実を裏付けるために自衛官のしていた腕章を預かってしまう。それが証憑隠滅事件へとつながっていく。

「朝霞自衛官殺害事件」を検索したら、Wikipediaに「発生直後から、マスコミはこの事件を大きく取り上げていたが、10月5日発売の朝日ジャーナルに『謎の超過激派赤衛軍幹部と単独会見』という記事が掲載された」とあった。あん? 本書の中で著者は記事は掲載しなかったと書いている。朝日ジャーナル自体が掲載に及び腰だったし、そういう環境にもなかったのだ。Wikipediaの記述が間違っているのか? Wikipediaにはさらに著者が逮捕された件について、「朝日ジャーナルの記者川本三郎(当時27歳)は、犯人から『警衛腕章』を受け取り、証拠隠滅のために自宅裏で焼いていた」とある。本書によれば、川本三郎は社内の友人に頼んで処分してもらっている。それがなんで「自宅裏で焼いた」という記述になるのか理解に苦しむ。

いや、自宅裏で焼いたかどうかは実はどうでもいい。いずれにしても川本三郎が指示したことだから。腕章を預かった川本三郎が処分した事実に間違いはない。だが、記事が掲載されたかされなかったかは、本書の中では大きな問題なのである。川本三郎はこう書いている。

しかしいまにして思えば事態をオープンにしたほうがよかったのだと思う。私がKをインタビューしたこと、しかし、ニュース・ソースの秘匿の原則があるからKの名前を明らかにすることはできないこと。そのことを編集会議で正々堂々と明言して、Kとのインタビューを記事にすべきだったのだ。

単にWikipediaの間違いであるなら、それはそれでいいが、なぜ「10月5日発売の」と指定までして間違いが起きるのかやっぱり理解に苦しむ。

こういう本は第三者が書いた方が良かったのだと思う。第三者が事実を検証して書いていき、事件の詳細を明らかにすれば、余計な詮索は受けないで済む。事件の当事者には書きにくいことがどうしてもあるだろう。第三者が書けば、当事者が都合の良いことしか書いていないという批判を封じることもできる。

本書を僕は面白く読んだし、好感を持ったけれど、そういう部分にわだかまりが残る。いっそのこと小説にしてしまえば、良かったのかもしれない。

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