このタイトルに聞き覚えがあったのは米原万里が「打ちのめされるようなすごい本」の中で取り上げていたからだ。直接的な動機は原題が同じの「子供の情景」を見たからだが、米原万里の書評を読んでさらに読む気になった。
映画「カンダハール」の監督で作家でもあるイラン人のモフセン・マフマルバフは隣国アフガニスタンの苦境に耐えきれず、このレポートを書いた。タイトルの意味ははっきりしている。タリバンによって仏像が破壊された時、世界中の多くの人々がそのニュースに注目したが、5分に1人の割合で死んでいくアフガニスタン国民にはほとんど誰も目を向けなかったことに異議を申し立てているのだ。重要なのは仏像ではない、人間の命だという当たり前すぎる主張である。
なぜ目を向けないのか。それは世界の人々がアフガンのことを知らないからだ。マフマルバフはアフガンがどんな国かを詳細に説明する。国土の75%が山岳地帯で、農業開発に適した土地はわずか7%。いかなる種類の工業も持たない。イランには石油があるが、アフガニスタンにはない。生産物と言えば、アヘンぐらい。まともな道路もほとんどない。干魃と内戦によって100万人が餓死に直面している。人々が生き残るには国外に脱出するか、タリバンの神学校に入るか、アヘンを生産するかの選択しかない。国外に出た難民は630万人。その人々も受け入れられず、餓死寸前だ。国土には除去しようのない多数の地雷が埋められている。
文化人や芸術家は誰も彼もが、破壊された仏像を守れ、と叫んだ。しかし、干魃によって引き起こされた凄まじい飢饉のためにアフガニスタンで100万人の人びとに差し迫っている死については、国連難民高等弁務官の他に懸念を表明する人がいなかったのはなぜなのか。なぜ誰もこの死の原因について発言しないのか。「仏像」の破壊については皆声高に叫ぶのに、アフガンの人々を飢えで死なせないために、なぜ小さな声も上がらないのか。現代の世界では、人間よりも仏像が大事にされるのか。
タリバンが泥棒の手を切断するという過酷な刑を始めたため、人々はどんなに飢えていても物を盗むことはしない。食べ物が目の前にあってもそれを取らずに餓死していく。マフマルバフは「あなたが月を指させば、愚か者はその指を見ている」という中国のことわざを引き、仏像ではなく、アフガン国民を見て欲しいと訴える。
アフガニスタンは徹底した男尊女卑の国だ。女性に参政権はもちろんない。一夫多妻制の国であり、自分の10歳の娘を嫁にやり、その婚資金で別の10歳の少女と結婚しようとしている老人がいる。夫と30歳、50歳年が離れていることも多い。しかもタリバンは女性が学校に通うのを禁じ、ブルカの着用を強制した。
ただし、この本の民族的な部分に関して訳者の渡部良子は「多民族国家アフガニスタンを作り上げてきた『部族的』な文化を、現代的な国民意識と対立するという理由で否定的にしか見ていない」として、あとがきで疑問も投げかけ、「自分たちが育んできた歴史と文化の中から共存の知恵を学び、21世紀をも生きてゆこうとするアフガニスタンの人びと自身の戦いを伝えることに、マフマルバフは必ずしも成功していない」としている。
このレポートが書かれたのは2001年3月。同時テロの起きる前の状況であり、その後、どのように変わったのか変わらなかったのかを知りたい。ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領はアフガニスタンへの増派を進めているが、それがアフガン国民にとって利益になるのかならないのか。それも知りたい。
一つだけ言えるのはこうした過酷な状況にあった当時のアフガニスタンに対してブッシュ政権が空爆をしたのは間違いだったということ。アフガニスタンに必要なのは爆弾ではなく、パンだった。爆弾の雨を降らせた米国に対して協力する国民がいるとは思えない。
【amazon】アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
自分たちが育んできた歴史と文化の中から共存の~、ここには、すごく感じました。
世界中には様々な文化があり、それぞれに合う暮らしを長年行っていて、そこに暮らす人々が変えたくて変える暮らしなら良いけれど、よその考え方で変えてよいものなのか?または、よその頭で考えてよいのか?
映画を観ていても、どうしていいんだか・・・という居心地悪さでいっぱいだったのは、アフガニスタンのことを私が何も知らないからでした。
ありがとうございます!ちょっとでも教えてもらえて良かった♪
僕も全然知りませんでした。
この国はどうすれば一番いいのかよく分かりませんね。
援助はもちろん必要ですが、援助に頼りすぎると、国民自体がダメになるという場合もあるようです。少なくとも爆弾はいらないと思います。