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「総員玉砕せよ!」

NHKで放送した「鬼太郎が見た玉砕 水木しげるの戦争」の基になったコミック。1973年に書き下ろしで出版され、今は講談社文庫に入っている。これは水木しげるの軍隊に対する恨み辛み、激しい憎しみと怒りがあふれた本である。読み終わって、その恨みと怒りが伝染してくる。実際に戦場を体験した人だから説得力があるのだ。描かれるのはパプアニューギニアのニューブリテン島バイエンの小隊の日常と玉砕。理不尽な命令と卑劣な上官、バタバタと死んでいく初年兵たちの姿をこれでもかと描き出す。

玉砕から生き残った81人の命乞いをしようとする軍医の言葉が端的に軍への怒りを表している。

「虫けらでもなんでも生きとし生けるものが生きるのは宇宙の意志です。人為的にそれをさえぎるのは悪です」
「だってここは軍隊じゃあありませんか」
「軍隊? 軍隊というものがそもそも人間にとって最も病的な存在なのです。本来のあるべき人類の姿じゃないのです」

しかし、上官は軍医の言葉を聞こうとしない。

「参謀どの、とうてい勝目のない大部隊にどうして小部隊を突入させ、果ては玉砕させるのですか」
「時をかせぐためだ」
「なんですか、時って」
「後方を固め戦力を充実させるのだ」
「後方を固めるのに、なにもなにも玉砕する必要はないでしょう。玉砕させずにそれを考えるのが作戦というものじゃないですか。玉砕で前途有能な人材を失ってなにが戦力ですか」
「バカ者ーッ。貴様も軍人のはしくれなら言うべき言葉も知ってるだろ?」

そして部隊はもう一度、玉砕を命じられることになる。「軍隊で兵隊と靴下は消耗品」と水木しげるは後書きに書いている。勇敢な兵隊など一人も登場しない。死に場所を求める職業軍人と上官の姿はバカな教育と命令に洗脳された人間の末路を表しているにすぎない。こういう軍隊の現実を書ける人はもう少なくなった。戦後62年たって、戦場に行った人たちは70代後半から80歳以上。水木しげるも85歳だ。こういう戦争の現実を忘れた時から危ない状況に入っていくのだろう。

「僕は戦記物を書くとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」と水木しげるは後書きを結んでいる。戦死者の死を悼むと同時に戦死者たちの無念の思いと、人命を軽視し、理不尽な命令を繰り返した国に対して怒りを持つのが当然なのだ。

「夕凪の街 桜の国」

「夕凪の街 桜の国」

「夕凪の街 桜の国」

自宅に帰ったら、「夕凪の街 桜の国」の原作が届いていた。めちゃくちゃ薄い。漫画の部分だけで98ページ。これに3つの話が入っている。夕凪の街一つと桜の国が二つ。最初に訂正しておくと、「広島のある日本のあるこの世界を愛するすべての人へ」という献辞は原作にそのままあった。佐々部清監督が付け加えたものではなかった。

細部の違いはいくつかあるが、映画は原作をそのままなぞったものであることがよく分かる。そして映画の良い部分はそのまま原作の良い部分であることもよく分かる。ただ、原作にある透明な哀しさが映画には欠けている。

「夕凪の街」で皆実が死ぬシーンは原作の方が秀逸で、目が見えなくなるシーンを黒コマではなく白コマにしたのが工夫だろう。というか、全体的に優しい線なので、黒コマは合わなかったかもしれない。

原作がこれだけ短いと、原作を読んで映画を見た場合のように感じることになる。物語が分かっているので先の興味がなくなるのだ。これならば、原作を読んでから映画を見た方が良かったかもしれない。

amazonからメールが来て、水木しげる「総員玉砕せよ!」も発送したとのこと。予定より2週間以上早い。なんだ、それなら待っていても良かったのだ。