月別アーカイブ: 2009年4月

「凡人として生きるということ」

「凡人として生きるということ」

「凡人として生きるということ」

週刊金曜日で紹介されていた「貧困肥満 下流ほど太る新階級社会」を買いに書店に行ったが、なかった。新書コーナーで代わりに見つけたのがこの本。押井守監督が昨年7月、「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」公開前に出した本で、180ページ足らずなので、すぐに読み終わる。

これも「スカイ・クロラ」同様に若者へのメッセージだ。「若さに価値などない」「すべて巧妙につくられたデマ」という主張から始まって、「金や名声よりも必要なのは美学と情熱」「勝負は諦めた時に負けが決まる」「社会に出ることは必要」「友だちなんかいらない」など著者の主張が体験を交えて語られていく。押井守は高校時代に引きこもりに近い生活を送っていたそうだ。それは他人と話すよりも1人で過ごすことの方が好きだったからだという。

押井守のアニメには友情や正義を真正面から取り上げたものはないし、そうした真正直なキャラクターもいない。それはこうした考え方が根底にあるためなのだろう。宮崎駿のネガのような在り方と言えようか。それでも僕は両者のアニメのどちらも好きだ。昨年公開の映画で言えば、「崖の上のポニョ」よりも「スカイ・クロラ」を高く評価する。だが、次のような一節を読むと、両者の考え方は近いのではないかと思う。

天才の身でない我々は、情熱を持ち続けることしか、この世を渡っていく術がないのだ。情熱さえあれば、貧乏も苦難も乗り越えられるだろう。『名もなく貧しく美しく』の話を先に書いたが、金や名声を追っていけば、それが失われたときには人は堕落する。だが、自分の美学と情熱があれば、富と名声に煩わされることなく生きていける。

この後の章で押井守は「いい加減に生きよう」と主張しているけれど、いい加減な生き方では美学と情熱を持ち続けることも難しいのではないか。ここで言ういい加減とは世間的ないい加減であって、自分に対しては誠実に生きることが必要なのだろう。

すべての人に必読の本ではないけれど、押井守ファンは読んでおいて損はないと思う。

「ウォッチメン」

「ウォッチメン」表紙

「ウォッチメン」表紙

ヒューゴー賞を受賞したアラン・ムーア、デイブ・ギボンズのコミック。ようやく読む。本編だけで12章、412ページ。セリフが多く、各章にホリス・メイソンの自伝「仮面の下で」など物語の背景を記した文章だけのページもあるので、読むのに時間がかかった。映画の感想はSorry, Wrong Accessに書いたが、映画は原作にほぼ忠実である。違うのはクライマックスの災厄の設定ぐらいか。

映画を見た時にスーパーヒーローもののメタフィクション的な印象を受けたのだけれど、それは原作でも同じだった。アラン・ムーアの後書きによると、当初は既存のスーパーヒーロー(キャプテン・アトム、ブルービートらチャールトンコミックスのキャラクター)を使って物語を構成したかったが、かなわなかったという。それでアメリカン・コミックのヒーローをモデルにロールシャッハやナイトオウルなど独自のキャラクターを作ることになった。

忠実なだけに、これは映画→原作よりも原作→映画の順で観賞した方が楽しめる作品と言える。映画では説明されなかったロールシャッハの模様が動く仮面はDr.マンハッタンが発明した生地で、「2枚のゴムに挟まれた液が圧力や熱に反応して流動する」のだそうだ。このように映画で分かりにくかった背景などはよく分かるが、基本的に同じ話なので、真相が明らかにされる場面で映画に感じたような驚きはない。

それにデイブ・ギボンズの絵は動きが少なく感じる。日本でコミック化すれば、キャラクターの造型やアクション場面などさらに面白くなる題材だと思う。平井和正原作、池上遼一作画の「スパイダーマン」のようなリメイクをすると、面白いと思う。

この原作、amazonではまたもや「出品者からお求めいただけます」になっている。速攻で買っておいて良かった。前回はいったいどれぐらい入庫したのだろう。amazonに表示されている画像はケースの写真なので、ここには本の表紙をスキャンした。この絵は第11章の扉絵と同じで、オジマンディアスの南極の基地にある温室の中の一部を描いている。

僕の貧弱な感想では参考にならないので、大森望さんが10年前に書いた書評をリンクしておく。十年に一度の大傑作、『ウォッチメン』が凄すぎる!