映画監督・西川美和のエッセイ集。特に前半の「X=お仕事探訪」、「X=アプローチ」、「X=免許」が面白い。短編小説のようなストーリーに沿って書かれており、読んでいて向田邦子のエッセイを思い出した。
「X=免許」は映画「夢売るふたり」の撮影のために松たか子とともにフォークリフトの免許を取りに行く話。あの映画のラストには松たか子がフォークリフトを運転する場面があったが、わざわざ免許を取ったとは知らなかった。松たか子は素性を隠して教習所に通う。誰にも気づかれなかったのはまさか女優がフォークリフトの免許を取るとは思えないからだろう。
「X=アプローチ」は同じく「夢売るふたり」でウエートリフティングの選手を演じた女優の江原由夏が映画のためにウエートリフティングの練習をし、コーチに才能を認められる話。「ロンドン五輪は無理でもリオ五輪を目指せる」ぐらいに才能があったというのだから、人生、何が起きるか分からないのだ。その後の経過を調べてみると、江原由夏、全国大会で8位には入賞したが、オリンピックは目指さなかったらしい。
このほか、映画「ゆれる」の撮影で香川照之が脚本に異議をとなえ、「第五稿に戻してください」と直言する話も読ませる。香川照之は続けてこう言う。
「役者がこんなことを言うのはおかしい。俺だっていつもなら脚本に、監督の演出にすべて従うことにしている。けれど、もしも一生の内、役者が脚本に対して意見することが許されるカードが、仮に三枚だけ与えられているものだとしたら、俺は迷わずその一枚を今ここで使うよ。書き直されて、明らかに流れが断ち切られて行っている。明らかに色んな意見に揺さぶられて分断されて行ってるのが分かる。初めて読んだ時、俺は兄弟の直接対決のシーンの長い会話を、この人は二秒で書いたんではないか、と思った。それくらい強烈な勢いがあったのに。何ですか、この新しい台詞は! 繋がってない! こんなのニシカワミワの台詞じゃない! 監督、お願い。一度考え直してみて」
向田邦子を思い出したと書いたが、「足りない女」は向田邦子に関する考察だ。「女に生まれた者として、『向田邦子』はあまりに出来すぎていて、具合が良すぎて、まぶしすぎて、がっくり来るのである」と西川美和は書いている。いやいや、かなり近いところまで行っていると僕は思う。
西川美和の小説の才能は映画「ディア・ドクター」の登場人物のエピソードを描いた「きのうの神さま」で認識したのだが、エッセイもうまい。基本的に文章がうまい人だが、それだけでなく、物事に対する考察が深い。
新作の「永い言い訳」を読むかどうかずっと迷っていたのだけれど、このエッセイを読んで「すぐに読まねば」という気になった。
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