「狗神」

300ページ余りなのでスラスラ読める。「徹底的に改変」というのは「SFオンライン」に書いてあったことだが、それはクライマックスに関してのことのようだ。物語の設定と展開は母親の扱いなど細部に違う部分はあるが、映画は原作をほぼ忠実になぞっている。クライマックスは確かに映画とは異なる。しかし、この程度のクライマックスならば、映画のように描いても別に悪くはない。原作には鵺が登場するが、それが大きな活躍をするわけでもない。しかし、なぜ登場したかという理由は重要な部分ではある。

「狗神」は坂東眞砂子の初期の作品に当たり、直木賞を受賞した「山妣(やまはは)」のような重厚な描写には欠けている。主人公・美希の置かれた境遇など映画よりは書き込んであるけれど、全体として比較すると、この原作をあそこまで豊かに映画化した原田真人の手腕は褒められていいだろう。となると、問題はクライマックスの描き方にあったということになる。あそこさえもっと迫力たっぷりに描いておけば、映画は十分に傑作と呼べるものになっていたと思う。話が収斂していくものとしては少し弱いのである。狗神筋の一族のカタストロフはもっと凄惨に描くべきだったのではないか。