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「粘膜蜥蜴」

遅ればせながら、飴村行の粘膜シリーズにはまった。4作すべて読んだが、ベストはこれ。第弐章「蜥蜴地獄」の秘境冒険SFの部分がたまらない。ページをめくる手が止まらない面白さだ。肉食ミミズだの、巨大なゴキブリだのが攻撃してくる東南アジア・ナムールのジャングルの描写は貴志祐介「新世界より」の奇怪な生物たちがかわいく見えてくるほど。

日本推理作家協会賞受賞作なので、ミステリの部分も申し分ない。グチャグチャグッチョンの描写があるのに、ラストには切なさが横溢しており、この小説の余韻を深いものにしている。傑作としか言いようがない。

粘膜シリーズには河童や爬虫人ヘルビノなどが登場してくる。だから粘膜なのかと思ったが、作者インタビュー(http://bookjapan.jp/interview/090114/note090114.html)によれば、「粘膜というと卑猥なイメージがあるでしょう。グロテスクで、さらに卑猥というイメージ。河童が代表例なんですけど、この小説の登場人物はみんなそういう、グロテスクでどこか卑猥という印象があると思います。だから、登場人物をすべて象徴する言葉として粘膜を当ててみたわけなんです」ということなのだそうだ。

これ、映画化かアニメ化ができないものかと思う。そのまま映像化すると、R-18は避けられないだろうが、監督は三池崇史が適任なのではないかと思う。

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「運命のボタン」

「運命のボタン」

「運命のボタン」

リチャード・マシスンの短編集。13編収録されているが、バラエティに富んでいてどれも面白く、買って損のない短編集だ。

表題作はキャメロン・ディアス主演映画の原作。ボタンを押せば5万ドルもらえる代わりに誰か知らない人間が死ぬ。その装置を預けられた夫婦はどうするか、という話。20ページと短く、ショートショートによくあるようなオチが付いている。これを映画にするには相当に膨らませなくてはいけないだろう。リチャード・ケリーが監督した映画は日本では5月に公開されるが、IMDBで5.9と低い点数が付いている。膨らませ方を間違ったのかもしれない。この監督、「高慢と偏見とゾンビ」も監督するという。この原作も面白いのに期待薄か。

マシスンの長編は「地獄の家」(「ヘルハウス」の原作)「ある日どこかで」「吸血鬼」(「アイ・アム・レジェンド」原作)「縮みゆく人間」「奇蹟の輝き」「激突」など映画化作品が多い。短編もテレビの「ミステリーゾーン」などで相当に映像化されている。その数は作家の中では一、二を争うのではないか。この短編集の収録作品では表題作のほか、「針」「死の部屋のなかで」「四角い墓場」「二万フィートの悪夢」が映像化されたそうだ。この中で最も有名なのはオムニバス「トワイライト・ゾーン 超次元の体験」の第4話となった「二万フィートの悪夢」だろう。ジョージ・ミラーが監督した映画はジョン・リスゴーが飛行機恐怖症の男を演じて面白かった。脚本もマシスンが書いたそうだが、原作を読んでみると、ほぼ原作通りの映画化だったことが分かる。

「四角い墓場」はリー・マービン主演で「ミステリーゾーン」の枠で映像化されたという。アンドロイド同士のボクシングの試合に、壊れたアンドロイドの代わりに出場する羽目になった男の話。鋼鉄(スティール)のケリーと言われた元ボクサーの主人公は男気があって、いかにもリー・マービンらしいキャラクターなので、映像化作品も評判がいいそうだ。これはヒュー・ジャックマン主演、ショーン・レヴィ監督で「Real Steel」として映画化が決まっている。公開は2011年秋。今のVFXを使えば、リアルなアンドロイドが見られるだろう。

このほか、殺しても殺しても帰ってくる「小犬」、不気味な「戸口に立つ少女」の2編のホラー作品も良い。映像化作品が多い作家というと、冒険小説ファンならアリステア・マクリーンを思い出すだろう。「女王陛下のユリシーズ号」など硬派の作品を書いていたマクリーンは後年、映像化をあてにしたような作品が多くなって映画原作屋とも言われたが、マシスンの場合はこの短編集を読むと、単に原作が面白すぎるから映像化作品が多いのだということがよく分かる。

マシスンは1926年2月生まれだから84歳。もう新作は無理だろうが、過去の作品はどれも古びていない。未訳の短編を今後も出版してほしいものだ。

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「オッド・トーマスの受難」

「オッド・トーマスの受難」

「オッド・トーマスの受難」

ディーン・クーンツの、霊が見える青年オッド・トーマスを主人公にしたシリーズ第2作。第1作「オッド・トーマスの霊感」の解説で瀬名秀明が「ストレートなプロットが採用されているため意外性に乏しく、心の傷が癒えないオッドの語り口もユーモアに欠け、一本調子だ。まるで二作目の悪いところが出てしまった新人作家のようである」と書いていたので、それほど期待せずに読み始めた。確かにストレートな話だし、1作目で深く心に残ったひどい両親の描写もなく、1作目ほどの完成度はないのだけれど、そこらの小説よりはよほど面白い。ステップアップするらしい3作目を読むためにも読み逃してはいけない作品だと思う。

オッドの親友ダニー・ジェサップの義父が殺され、ダニーが何者かに拉致される。ダニーは骨形成不全症で骨が極端に脆い。拉致は刑務所を出たばかりの嫉妬深い父親サイモン・メイクピースの仕業と思われたが、オッドがダニーの行方を捜しているうちに正体不明の邪悪な犯人の仕業であることが分かる。オッドは霊的磁力を駆使してダニーの居場所を突き止め、廃墟のホテルで犯人たちと対決する。

この小説で心引かれるのはクーンツのキャラクター描写だ。椅子に固定され爆弾を仕掛けられたダニーを見つけたオッドとダニーの会話。

ダニーは首を横に振った。「おれのために君を死なせたくない」
「じゃあ、ぼくはだれのために死ねばいい? 見ず知らずの他人のためにか? そんなことしてなんになる? 彼女はだれなんだ」
彼はいかにも自嘲的なうなり声を発した。「おれがろくでもない負け犬だってことがばれちまう」
「きもは負け犬じゃない。きみは変人で、ぼくも変人だけど、どちらも負け犬じゃない」

彼女とは犯人グループのボスであるダチュラのこと。邪悪なダチュラはこう描写される。「神話のなかでは、サキュバスというのは美しい女性の姿をした悪魔で、男とセックスをしてその魂を奪うとされている。ダチュラの顔も身体も、まさにそんな淫魔を絵に描いたようだった」。そしてダチュラの狙いはオッドの霊的能力にあった。

クーンツという作家はモダンホラーから出発した人なので、スティーブン・キングと同タイプの作家という認識を持っていた。このシリーズを読むと、キングとクーンツのはっきりとした違いが分かる。少なくともこのシリーズはオッドという主人公とそれを取り巻く警察署長のワイアット・ポーターや作家のリトル・オジー、ダイナーの店主テリ・スタンボーらがしっかりと描写されていて、そこに物語の深みが生まれているのだ。3作目でオッドはこうした理解者のいるピコ・ムンドの町を離れるらしい。どういう展開になるのか楽しみだ。

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「コミュニティ」

「コミュニティ」

「コミュニティ」

先日、amazonから「篠田節子の『コミュニティ』お求めいただけます」とのメールが来たのを覚えていたので、書店で見かけた際に買った。2006年に出た「夜のジンファンデル」を改題した短編集。91年から02年にかけて発表された6編が収録されており、「夜のジンファンデル」以外はホラーの要素が強い。考えてみると、篠田節子の短編集を読むのは初めてだが、どれも面白かった。

「大人の恋愛小説の金字塔」と解説で絶賛されている「夜のジンファンデル」は結婚している男女の秘めた恋心を描き、切なさと官能性を併せ持つ。特に女性に受けが良いのだろうなと思う。古い団地の異常な連帯が明らかになる表題作の「コミュニティ」とブラックな味わいを持つ「永久保存」には超常現象は出てこない。残りの3編「ポケットの中の晩餐」「絆」「恨み祓い師」がホラーらしいホラーということになる。

「ポケットの中の晩餐」は読んでいて筒井康隆の「鍵」(「バブリング創世記」に収録)を思い出した。「鍵」は鍵を巡って過去をたどりながら、数々の出来事を思い出していく話で、男にとってはラストの場面が悪夢のように怖い。解説で井上ひさしが絶賛していた。「ポケットの中の晩餐」はアニメーションのメカニックデザイナーとして成功した男が故郷に帰ってくる話。故郷といっても電車で40分だが、男は13年間帰っていなかった。男は中学時代、やや知的障害がある深雪という少女と交流があった。家のパン屋を手伝っていた深雪のポケットには驚くほど大量の食べ物が詰め込まれていた。高校を中退して東京に行った男は父親の事業の失敗で故郷に帰り、出会った深雪を抱く。その後、深雪は子宮外妊娠で死んでいたことが分かる。そして、今回の帰郷で男は深雪と再び出会うのだ。

「絆」は不倫の恋を続けていた女が手切れ金代わりにリゾートマンションを贈られる話。そのマンションには大きな冷蔵庫があった。ある夜、女は冷蔵庫の中から扉を叩くような音を聞き、冷蔵庫から男の子が出てくるのを見る。やがてこのマンションでは有名女優の娘が死んでいたことが分かる。娘ではなく、息子ではなかったのか。気味の悪くなった女は冷蔵庫を捨てるが、それが新たな悲劇をもたらすことになる。

「恨み祓い師」は古い貸家に住む年老いた母娘にまつわる話。シリーズ化しても面白そうな題材だった。篠田節子がどれぐらいの短編を書いているのか知らないが、この作品集、当たり外れがない。新作の長編「薄暮」も読んでみたくなった。

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「20世紀の幽霊たち」

「20世紀の幽霊たち」

「20世紀の幽霊たち」

会社のそばの大きな書店に行って、「鴨川ホルモー」と「ミレニアム2 水と戯れる女」を買う。「鴨川ホルモー」は長男に貸したら、2時間ほどで読んでしまった。薄い本だからそんなものでしょう。面白かったそうだ。「ミレニアム2」は引っ越しの荷物のうち、本の詰まった段ボールの中から「ミレニアム」をまず探してから読まねば。家内は「ミレニアム」を読んでいて、やはり面白かったとのこと。

大きな書店は本がたくさんあって良いのだが、目当ての本を探すのが面倒(検索もできるんですけどね)。ついついamazonや楽天ブックスに注文してしまう。ただし、楽天ブックスはやや信用がおけず、在庫ありと書いてあって注文したら、なかったということがある。というか、今日もそういうメールが来た。注文したのは「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」。「お客様のご注文と同時期に、弊社の在庫を上回るご注文を承ってしまい、 商品の発送がかなわない状況となりました」そうだが、本当かな。

「20世紀の幽霊たち」を買ったのは1月。先月から寝る前に少しずつ読んで、ようやく読み終わった。ホラーから純文学まで入った短編集。17編収録されており、どれも一定水準以上のレベルを保っている。序文の中でクリストファー・ゴールデンは「おとうさんの仮面」「自発的入院」を高く評価しているが、僕が個人的に気に入ったのは「ポップ・アート」と「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」「蝗の歌をきくがよい」の3つ。

「ポップ・アート」は風船人間が登場するあり得ない設定だが、にもかかわらず、風船人間と親友になった少年の視点から描いて瑞々しく感動的な話に仕立てている。あり得ない設定で感動させる手腕は大したもので、大森望の訳も良い。

「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」は映画「ゾンビ」の撮影現場が舞台。ジョージ・A・ロメロとトム・サヴィーニも登場する。主人公のボビーはコメディアンを目指していたが、夢破れて故郷に帰る。そして映画の撮影現場でかつての恋人ハリエットと再会するのだ。ハリエットは既に結婚していて、子供にボビーという名前を付けていた。しかも夫は一見してさえない風貌だった。2人の過去と現在を描写しながら、再生と希望のラストにいたる展開がうまい。ラスト1行が秀逸だ。

ボビーがコメディアンの道をあきらめたのは、自分がまずまずのステージを終わった後にロビン・ウィリアムズの圧倒的なステージを見て実力の差を痛感したから。著者のジョー・ヒルは映画が好きなようで、映画館を舞台にした「20世紀の幽霊」にはたくさんの映画のタイトルが出てくる。

「蝗の歌をきくがよい」も映画の影響下にある物語。ある日突然、蝗のような怪物になった男という設定はフランツ・カフカの「変身」だが、男は虫の本能に負けて両親をバリバリ食ってしまう。描写の鋭さにうならされる短編だ。「年間ホラー傑作選」と「黒電話」はどちらも主人公がサイコな男に追い詰められる。「年間ホラー…」は「悪魔のいけにえ」を彷彿させる展開である。

ジョー・ヒルはスティーブン・キングの息子。作家としてのスタートは純文学だったらしい。ホラーの短編も書くようになったのは生活のためもあったのかもしれない。全体を読んでみて、まだまだ揺れ動く作家という印象を受けた。いろいろな可能性を感じるのだ。短編型と決めつけるのも早計で、長編を読んでみたいと思う。