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「夜の声」

「夜の声」

「夜の声」

ウィリアム・ホープ・ホジスンの短編集。創元推理文庫の初版は1985年で長らく絶版になっていたが、昨年9月に復刊された。「闇の声」のタイトルで知られる「マタンゴ」の基になった小説で、20ページの短編。

暗く星のない夜、北太平洋の海上でスクーナー(帆船の一種)にボートが近づいてくる。ボートに乗った男は離れた所から「灯を消してくれ」と言い、食べ物を要望する。姿を見せないまま食料を受け取った男は数時間後、再びスクーナーに近づき、暗闇の中で自分と一緒にいる女の話を語り始める。この男女が乗っていたアルバトロス号という船は嵐で浸水し、沈没しそうになる。他の乗組員はボートで脱出。取り残された2人はいかだを作って脱出し、4日後に霧に覆われたラグーンの中で無人の帆船を見つける。帆船の中はキノコで覆い尽くされていた。食料は少なく、やがて女はキノコを食べてしまう。

「マタンゴ」と違うのはキノコを食べる前から男女の体には小さなキノコが生え始めること。吉村達也の「マタンゴ 最後の逆襲」(まだ読み終えていない)は胞子が感染原因と説明しているが、この小説の設定がヒントになったのかもしれない。

「夜の声」を原案にして「マタンゴ」の脚本を書いたのは福島正実と星新一。あれだけの醜い人間ドラマを入れたのはえらいと思う。もっとも星新一は脚本の出来には不満があったようで、後年、エッセイで「あの結末はつじつまが合わない」と書いていた。

「夜の声」の巻末の解説は「マタンゴ」には触れていない。まあ、カルト映画ファン以外には通用しないから、仕方ないでしょうね。

「ミサイルマン」

「ミサイルマン」

「ミサイルマン」

6月に出た平山夢明の短編集。「このミス」1位になった「独白するユニバーサル横メルカトル」が面白かったので読む。最初の「テロルの創世」はカズオ・イシグロ「わたしを離さないで」と同じシチュエーションである。これ、雑誌掲載は2001年。この着想、誰でも思いつくものらしい。短編というより長編の導入部という感じで、この話の続きが読みたくなる。続く「Necksucker Blues」「けだもの」はそれぞれ吸血鬼と狼男を扱っている。ここまでの3編を読んで平山夢明はSF方面の作家だなという思いを強くする。特に「けだもの」の悲哀がいい。

次の「枷(コード)」はグチャグチャ、ゲロゲロの世界。表題作で快楽殺人犯を扱った「ミサイルマン」と「それでもお前は俺のハニー」もそういう傾向の話。ま、このあたりは好みもあるが、僕はちょっと苦手だ。「ある彼岸の接近」はオーソドックスなホラーで、敷地内に墓のある家を買った家族が化け物に襲来される。これ、不気味な雰囲気がいい。最初の3編を読んだ段階では評価を高くしたが、その後の話で少し下がったか。それでも平山夢明の書く話は面白いと思う。次も出たら買う。

「ぼっけえ、きょうてえ」

体調不良で今日は1日寝ていた。で、岩井志麻子の「ぼっけえ、きょうてえ」の残りの3編を読む。小さな村でコレラが蔓延する「密告函」などは今の状況にぴったりと思いつつ読んだが、興味を惹かれたのは最後の「依って件の如し」。件は、くだんと読む。「半人半牛の姿をした怪物」のことである。

Wikipediaによれば、件は「歴史に残る大凶事の前兆として生まれ、数々の予言をし、凶事が終われば死ぬ」などの説がある。件を初めて知ったのは小学生のころ。石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)の漫画「くだんのはは」でだった(調べてみたら、掲載誌は1970年の別冊少年マガジン)。

これは後に小松左京の原作も読んだ。ぼんやりと記憶があるのはNHKがテレビドラマにもしていたんじゃないかということ。1970年代に小松左京のSFは土曜ドラマの枠でいくつかドラマ化された。この他に覚えているのは「終わりなき負債」とか。たぶん、SFファンのディレクターがいたのだろう。

小松左京原作の件は頭が牛で体が人間の女性。もう内容はあまり覚えていないが、第2次大戦中に凶事を予言するような話だったと思う。石ノ森章太郎の漫画は長らく単行本未収録だったが、「歯車 石ノ森章太郎プレミアムコレクション」(単行本未収録と絶版作品を集めた本)に入っているそうだ。この本には「マタンゴ」も入っているそうなので、amazonに注文。これだけだと、送料がかかるので「バトルスター・ギャラクティカ サイロンの攻撃」(2004年発売の新シリーズのDVD)も一緒に頼んだ。

岩井志麻子版の件は怪物というよりも主人公の目に怪物に映る姿を表している。というか、他の3編にもはっきりとした妖怪・怪物のたぐいは出てこない。「ぼっけえ、きょうてえ」にしても合理的に説明が付く話ではないか。

岩井志麻子の小説はホラーではないと思う。描かれているのは貧しい小さな村に住む人間たちの業や心の闇、土俗的な風習であり、そこから怪異のような現象が立ち上がってくる。しかし、これはあくまで主人公の目を通して見た怪異に過ぎないように思える。“とても怖い”のは怪異現象ではなく、人間の方なのだ。

「独白するユニバーサル横メルカトル」

平山夢明の悪夢と狂気の異様な短編集。8編が収録されている。「このミステリーがすごい」で1位となり、収録してある同名の短編は日本推理作家協会賞を受賞している。最初の「C10H14N2(ニコチン)と少年 乞食と老婆」で軽いジャブ。続く「Ω(オメガ)の聖餐」でノックアウトされた。その後は普通のミステリっぽいSF、あるいはSFっぽいミステリが続くが、最後の「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」で再びノックアウトされる。平山夢明はもの凄い話を書く作家だなと思う。

即物的で凄惨な描写がそれだけに終わっていないのは狂人の論理が伴っているからで、そこが(未見だが)「ホステル」のような残酷描写だけの映画とは異なる点なのだろう。全盛期のクライブ・バーカーに似た感触もあるが、描写中心だったバーカーよりは作りがしっかりしていると感じるのはそういう部分があるからだ。こういう話を書く作家は日本にはあまりいない。そこを評価すべきか。だいたい、残酷描写をセーブしてしまうものなのだ。

「無垢の祈り」「オペラントの肖像」「卵男」は読んでいて「おお、SFだ」と思った。表題作はサイコな殺人鬼をメルカトル図法の地図の独白で描く。これもSF的な手法と言える。SF方面での平山夢明の評価はどうなのだろう? 「このミス」1位では一般的なSFファンは手に取らないのかもしれないな。

「すまじき熱帯」は「地獄の黙示録」(あるいはウィリアム・コンラッド「闇の奥」)のようなシチュエーションであり、「怪物のような…」の目をえぐり取られた助手の描写などは「フランケンシュタイン」のイゴールを思わせる。平山夢明はたぶん映画ファンではないか。と思ったら、ホラー映画の監督もしているようだ。

表題作について推理作家協会賞の選考委員の選評で法月綸太郎は「地図の一人称という奇手を用いながら、執事風の語り口が絶妙の効果を上げている。トリッキーな仕掛けはないけれど、ディテールがいちいち気が利いているので、風変わりなクライム・ストーリーとして愛すべき作品だと思う」と書いている。

「ザ・スタンド」

2 月3日の日記に162ページまで読んだと書いているから、読み始めたのは1日ごろだろう。読み終わるのに3週間あまりかかったことになる。寝る前と昼間に少しずつ、しかし、引き込まれながら読んで、少しも退屈することはなかった。破滅後の世界での善と悪の対決という簡単な筋だから物語の先が知りたいという気持ちはなく、しかもテレビシリーズ(監督はミック・ギャリス)を見て筋はすっかり知っているのだから、これは僕にとって描写を楽しむ小説だった。その意味では本当に満足できた。読書することの楽しみを再び教えてもくれた。

確かに「ミステリマガジン」が指摘しているように下巻に入ってストーリーがトントン進みすぎるきらいはある。ここはもっとじっくり描いて、さらに長い物語にしてほしかったぐらいである。読んでも読んでも終わらない小説、しかし退屈しない小説というのは本当に珍しい。そういう物語がスティーブン・キングには書けるのではないか。

テレビシリーズは悪くはなかったが、原作よりキャラクターの魅力が大きく減っている。闇の男ランドル・フラッグと結ばれる哀しい運命にあるナディーンは原作の方がより美人だし、重要な役回りだ。スチューを演じたゲイリー・シニーズとニックを演じたロブ・ロウはほぼイメージ通り。というか先にテレビを見ているのでこの2人を思い浮かべながら、読むことになった。フラニー役のモリー・リングウォルドの場合もそうだった。テレビシリーズを見たことの欠点はこち らの想像力に足かせをはめられることだろう。テレビのあの小さなブラウン管は描写に適したものではなく、やはり筋を語るメディアなのだと思う。

「ザ・スタンド」が面白かったので続いて、1年ほどまえに途中まで読んで中断していた「フリッカー、あるいは映画の魔」を読み始めた。パソコン関係の本はしばらくお休みである。