浅田次郎の連載エッセイの3冊目。文庫に入ったので読んだ。相変わらず爆笑に次ぐ爆笑、そしてホロリとさせる好エッセイ集だ。直木賞を受賞した前後の1年間の出来事が綴られている。「蒼穹の昴」で直木賞に落選したその夜、女性編集者が叱咤する場面がいい。
「書くのよ。今すぐ、書くのよ。あなたから小説を取ったら、骨のかけらも残らない」
頭の中がまっしろで、何も書くことができなかった。書けない、書けない、書けない、と私は泣いた。
「書けないのなら、今まで書けなかったことを書けばいい。どうしても小説にできないことを書くのは、今しかない。今日しかない。私はあなたの原稿を三年も待った。あと二日だけ待ってやる。さあ、書くのよ」
立ち上がることすらできぬまま、私はペンを執り、思い出すだにおぞましい幼児体験を小説にした。
そうして出来上がったのが直木賞を受賞した短編集「鉄道員」の中で最も完成度の高い「角筈にて」だったというのが実に良くできた話である。
いとことの思い出を綴った「ヒロシの死について」は伯父からもらった10円を握りしめて、いとこたちとみやげもの屋に行く話。浅田次郎は店についた時、10円をなくしていることに気づき、石段で膝を抱えて泣く。いとこたちはあめ玉を買ってほとんど帰ってしまったが、ただ1人年長のヒロシが必死に落とした10円を探し始める。
山奥の冬の陽は、つるべ落としに昏れてしまった。
「あったよ! ジロウ、あった、あった」
ヒロシはそう言って、私に十円玉を握らせた。とたんに私は、ヒロシのやさしい笑顔を正視できずに、声を上げて泣いた。子供心にも、その十円玉の出所がわかったからである。それはヒロシのポケットの中の十円玉に違いなかった。
まるで「泥の河」のようなエピソードから現在のヒロシの話につながる。ヒロシは重度の障害を持って生まれた17歳の娘ミッチャンの世話をする傍ら、多忙な営業マンとして懸命に働き力つきた。その翌日、娘も死んでしまう。「残された家族のことを考えて、ヒロシはミッチャンを連れて行った」「ミッチャンは大好きなおとうさんについて行った」との解釈に対して浅田次郎はこう考える。
ヒロシは、医学的にはとうに終わっているはずのミッチャンの生命を、あらん限りの愛情を持って支えていたのだろう。そして、その死がついに支えきれぬところまで迫っていることを感じたあの夜、心のそこから、娘とともに逝くことを祈ったのであろう。天が、その真摯な祈りを聞き届けたのである。
そうでなければ、四十六歳の男の死顔があれほど安らかなはずはない。
浅田次郎は泣かせの天才だなと思う。小説ではそれがちょっと鼻につく部分もあって、僕は「鉄道員」以後の小説は読んでいないが、このエッセイは楽しみにしている。相変わらずのハゲ、巨頭の爆笑話もあって、このエッセイ、一つ泣いて読み終わったら、次は爆笑というまことに喜怒哀楽の激しい本である。売れっ子小説家の想像を絶する多忙さも分かる。風邪をひき、体力がないときに布団の中で読むには絶好の本だった。