「男はつらいよ」シリーズを僕はほとんど見ていない。特に理由はなく、消極的に見逃し続けただけだ。それでも渥美清に関心がないわけではなく、著者 が小林信彦ということもあって「おかしな男 渥美清」(新潮社)を読んだ。小林信彦の喜劇人伝は「日本の喜劇人」「世界の喜劇人」「喜劇人に花束を」「植 木等と藤山寛美」「天才伝説 横山やすし」と読んできたが、これは大変な労作「日本の喜劇人」に迫る傑作と思う。データや人の証言を並べただけの伝記とは 異なり、著者が実際に交流を深めた渥美清の複雑な人柄が重層的に浮かび上がる。批評・分析の目が鋭いのである。映画ファン、寅さんファンという枠を超え て、広く読んでほしい好著だ。
著者はあとがきにこう書いている。
彼は複雑な人物で、さまざまな矛盾を抱え込んでいた。無邪気さと計算高さ。強烈な上昇志向と自信。人間に対して幻想を持たない諦めと、にもかかわらず、 人生にある種の夢を持つこと。肉体への暗い不安と猜疑心。非情なまでの現実主義。極端な秘密主義と、誰かに本音を熱く語りたい気持。ストイシズム、独特の 繊細さ、神経質さも含めて、この本の中には、僕が記憶する彼のほぼすべてを書いたつもりだ。
特に終盤(28章以降)の肝臓ガンにかかった渥美清がそれでも寅さんを演じ続ける部分は壮絶である。この期間、著者は実際に渥美清に会っているわけ ではなく、付き人の著作からの引用や新聞・テレビ番組の内容から組み立てているのだが、批評・分析が的確で間然とするところがない。前半部分の密度の濃い 交流とその分析が背景にあるため説得力があるのだ。寅さん=渥美清という皮相的な捉え方とは無縁の、人物の本質を深く突き詰める著者の姿勢は終始一貫揺る がない。
さらに深みを与えるのが「日本の喜劇人」を書いた著者ならではの渥美清の喜劇人としての位置づけだ。森繁久弥、伴淳三郎、ハナ肇、フランキー堺、藤 山寛美に対する評価、特に渥美清と比較した上での評価がとても分かり易い。そういう意味でこれは「日本の喜劇人」と併せて読むと、さらに興味が増す本であ る。日本の喜劇人とは何か、何を目指しているのか、これほど良く分かる著書はない。つまり、この本は渥美清の本当の人柄+喜劇人としての位置づけが一体に なった構成であり、小林信彦でなければ、書けなかった本と言えるだろう。
アチャラカから名優への道を歩んだ森繁久弥の姿は多くの日本の喜劇人が理想とするところである。その森繁久弥が渥美清に贈った次のような言葉は感動的だ(一部を引用。興味がある人は原典に当たって欲しい。134ページから135ページにかけて書いてある)。
それにしても清よ! 俺がここまで来て思うことは、なんと人生は短いものだ――と言うことだ。
一切くだらぬ骨折り損はよせ。ウエンな道には自由がない。良い声も悪い声も共に聞くな。己れを大事にして、アッと言う間に過ぎる、お前さんの“時”を充分に満喫してくれ。
その暁には、何の後悔もないからだ。例え敗惨の姿と世間が笑おうが。
俺たちは芸商の奴隷ではないからだ。分かっているな。
清よ、頑張れ。
森繁久弥は渥美清の素質を高く評価し、孤高の姿勢を理解していたのだろう。小林信彦も書いているが、いつかは自分を追い抜くかもしれない後輩に対してこういう言葉をかけられる人はあまりいない。
以下は蛇足である。
渥美清のガンは若い頃の片肺切除手術の際の輸血が原因という。それが肝硬変、肝臓ガンに進行したとのことで、典型的なC型肝炎である。発病は1982年 というから、かなり長い間、肝炎の症状にも苦しんだと思われる。C型肝炎ウイルス(HCV)が発見されたのは1988年。インターフェロンである程度治療 できるようになったのは、ここ数年のことなのである。
宮崎ロケをした「男はつらいよ 寅次郎の青春」(92年)はシリーズ中では比較的上位に入る良い成績を残したので、松竹九州支社に取材して記事を書 いたことがある。当時のキネマ旬報には「併映の『釣りバカ日誌』シリーズの人気が高まってきたから」との分析があったが、九州支社の答えもその通りだっ た。きっと担当者もキネ旬を読んでいたのだろう。しかし、「男はつらいよ」が終了して単独公開となった「釣りバカ日誌」にいかに力がないかはご存じの通り である。あれは寅さんの併映としてのみの力だったことが良く分かる。あるいは最初は釣りバカにも力があったが、長続きはしなかった、ということか。48作 に及び、ギネスブックにも収録された「男はつらいよ」のようなシリーズはもう日本映画からは出ないだろうと思う。