ロシア語通訳で作家だった米原万里の書評集。前半は週刊文春に月1回連載していた「私の読書日記」、後半はさまざまなメディアに書いた書評が収録されている。タイトルは取り上げた本のことを指しているが、この本自体が凄い本である。著者の博識と読書量の多さ、的確な批評に驚く。米原万里という人はテレビで何回か見ているけれども、こんなに凄い人だったのかと遅まきながら思う。
優れた書評は読者に読む気を起こさせるものだ。例えば、「ご忠告申し上げるが、一度読み出したら読み終えるまで寝食などはどうでもよくなる」などという褒め方を読んだら、読まずにおくものかという気にさせられてしまうだろう。
著者が「打ちのめされるようなすごい小説」として紹介しているのは丸谷才一の「笹まくら」。それと比較してトマス・H・クックを取り上げている。丸谷才一に比べれば、クックは「「ミステリー畑では抜きんでて細やかなはずのクックの文章の肌理が可哀想になるぐらいに粗く感じられ、登場人物たちが仰々しく単細胞に見えてくる」そうだ。そうか、「笹まくら」はそんなに凄いのかと思い、書店に走ったが、「笹まくら」どころか丸谷才一の本は1冊もなかった。小さな書店ではないのに、どういうことだ。単行本がないのは分かるにしても、文庫本さえないのは情けない。
クックは僕にとって買っても読んでいない作家の代表格で本棚にはMWA賞受賞の「緋色の記憶」(99年2月出版の第11刷)など4冊あった。評価が高いのでついつい買っていたのだが、ちょうど僕がパソコンの本ばかり大量に読んでいたころだったので、積ん読状態になっていた。これから読む。
著者は2006年5月25日に癌のため亡くなった。「私の読書日記」の最後の3回はその闘病過程を綴った「癌治療本を我が身を以て検証」である。「覚悟はしていたが、抗癌剤治療を受けた直後の1週間は凄まじい嘔吐と吐き気に襲われ、死にたいと思うほどに辛かった」という体験から肉体へのダメージが大きい放射線と抗癌剤療法を避けるため、著者は多数の癌治療関係の本を読む。活性化リンパ球療法や免疫療法、血液酸毒化を避ける食事療法、温熱療法、爪もみ療法などについて読み、実際に病院で治療する。そして2人の医師とけんか別れする。次々に挑戦し、検証し、結論を下していくその姿勢には頭が下がる。
それ以上にどんな治療法も効果を得られなかったことは悲しい。最後の読書日記の日付は2006年5月18日。入稿は早かったのだろうが、死の間際まで書評を書いていたことになる。著者の論旨の明確な毅然とした文章を読めば、これで終わりにしたくはなかったはずだ。残念だ。
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