100年前の1915年12月、北海道の苫前村三毛別で起こったヒグマ襲撃事件を描いたノンフィクション。解説の増田俊也は「永劫語り継がれる大傑作ノンフィクション」と書いている。そこまでとは思わなかったが、事件の詳細を記録した大変貴重な読み物であることは間違いない。Wikipediaのこの事件の項目はほとんどこの本からの引用で書かれているほどだ。7人が犠牲になったという世界でもまれな動物襲撃事件であり、ヒグマの恐ろしさを強烈に実感させられる。
襲ってきたヒグマは体長2.7メートル、体重340キロ、推定7、8歳の雄だった。まず家の中にいた2人の男女が殺される。家といっても開拓民の掘っ立て小屋のようなものだから、侵入はたやすい。このうち1人は殺された後、咥えて連れ去られ、完膚なきまでに喰い尽くされ、埋められているのを発見された。さらにその2人の通夜の席をヒグマが襲い、4人が犠牲になる。襲われた時に臨月だった妊婦の胎児(クマに腹を割かれ、掻き出された)を含めて犠牲者は7人、さらにこの時負った大けがのために2年8カ月後に死んだ1人を含めると8人となる。
執拗な熊はタケを見つけ、爪をかけて居間のなかほどに引きずり出した。タケは明日にも生まれそうな臨月の身であった。
「腹破らんでくれ! 腹破らんでくれ!」
「喉食って殺して! 喉食って殺して!」
タケは力の限り叫び続けたが、やがて蚊の鳴くようなうなり声になって意識を失った。
熊はタケの腹を引き裂き、うごめく胎児を土間に掻きだして、やにわに彼女を上半身から食いだした。
第二部「ヒグマとの遭遇」は著者の別の本「ヒグマ そこが知りたい」から8章と9章を収録してある。この中で著者が指摘しているのはヒグマがとても執着心の強い動物であること。1970年の「福岡大ワンゲル部員日高山系遭難事件」は7回にわたってヒグマが部員たちを襲い、3人が犠牲になった(このうちの1人は興梠という姓だったので調べたら高千穂町出身の人だった)。3回も同じ家が襲撃された苫前村の事件と同じく、いったん狙われ、自分の所有物という認識を持たれたら、早々にその場を立ち去るしか助かる道はないのだ。音を立てて騒いでもダメ、火をたいてもダメ、熊よけスプレーもそんなに効果はない。おまけに背中を見せて逃げると、追いかけられることになるという。そろそろと後ずさりして逃げた方がいいそうだ。
苫前村の事件では馬小屋に馬もいたのに襲っていない。体長2メートルを超すヒグマにとって、馬よりも小さな人間の方がよほど与しやすい相手なのではないか。
本書は1965年に出版され、吉村昭の「羆嵐」など多くの作品に影響を与えた。文庫版は今年4月に出版された。著者の木村盛武氏は1920年生まれだから今年95歳。元営林署職員で現在は野生動物研究家の肩書きだ。まだまだお元気なようで今年2月現在でのあとがきを書いている。
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