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「NAVI」最終号

「NAVI」最終号

「NAVI」最終号

表紙のロゴに「for Sale」と印刷して刷り直しになり、発行が5日遅れたという(NAVI for Sale!|頑固一徹カズです!)。NAVIらしい出来事と言うべきか。

NAVIを読み始めたのは1995年ごろ。トヨタマークIIを買うか、日産セフィーロを買うか迷っていた時だった。価格その他を検討してマークIIを買ったのだけれど、セフィーロの方が評価は高かったと思う。個人的にセフィーロに踏み切れなかったのはその大きさにあった。アメリカ仕様だったので、日本で使うには大きすぎたのだ。

まあ、それはともかく、その当時、鈴木正文編集長時代だったNAVIは面白い雑誌だった。表紙に「フランス核実験反対」と大書したことがあり、それは新左翼の活動家だった過去を持つ鈴木編集長の意向だったのだろうが、普通の自動車雑誌では考えられないことだと思った。車と核実験にどんな関係があるんだ。

最終号には「さよならNAVI」という特集があり、鈴木正文(現ENGINE編集長)や神足裕司、田中康夫、えのきどいちろうら、かつての関係者がインタビューに登場している。鈴木正文は「雑誌は文化」と強調している。「後年の歴史家が今の日本の状況を研究するとして、果たして今のインターネットが素材になり得るのか。一部、資料的価値があるものもあるだろうけど、そもそもどういう形態で残るのか分からない」。

これはその通りだと思う。自分でホームページ作ったり、ブログ書いたりしているから痛感するのだが、電子データというのは保存には向かない。ホームページなんていつ消えてもおかしくないし、改竄もできてしまうから資料としては極めて怪しい。紙に印刷して固定しておかないと、資料にはなりにくいのだ。

神足裕司は鈴木正文に「せっかくものを書くのに、こんなふざけたことを書いちゃいけない」「貴方はお金のために原稿書くんですか」と言われてショックを受けたことを回想している。それをきっかけに「マジメに文章書くのもいいな」と思ったのだそうだ。鈴木正文はダイナミック・セーフティ・テスト(DST)で非常に悪い点数を取った車の会社に乗り込み、「おたくの広告はいらない」と断ったという有名なエピソードもある。ファッションに凝る人だが、基本的に硬派の人なのだと思う。

一方で、インタビュアーの小沢コージは「最近、スズキさん、以前ほど打席に立ってないんじゃない」という、えのきどいちろうの言葉を引き、「誌上反戦運動とか、80~90年代のスズキさんの方が、分かりやすいファイティングポーズをとっていたような…」と指摘している。鈴木正文はNAVIの一時代を築いた人だったが、鈴木正文ひとりの力ではなく、時代の状況やスタッフの力も大きかったのだろう。

それに人の考え方は変わるものだ。当時のスタッフがまた集まったからといって同じような面白い雑誌になる可能性は少ないと思う。鈴木編集長のENGINEにしても、僕はかつてのNAVIのような面白さは感じない。

NAVIの創刊は1984年。僕が読み始めたのは創刊後11年たってからということになる。それ以後、しばらく中断し、車の買い換え時期に合わせてまた買い始めということを繰り返し、今に至る。今乗ってる車はゴルフだが、NAVIを読んでいなかったら、まず買わなかっただろう。日本車が一番優秀と思っていたので輸入車なんて選択肢に入ってこなかったのだ。狭い視野を広げてくれたNAVIには感謝している。

自動車が売れていないから自動車雑誌も売れず、広告も減少している経済状況がNAVIを休刊に追い込んだのだろう。休刊はとても残念だ。

「心に響く5つの小さな物語」

「心に響く5つの小さな物語」

「心に響く5つの小さな物語」

知人がTwitterで褒めていたので興味を持ち、amazonのレビューで全員が5つ星を付けていたので読んでみた。あとがきを含めて77ページ。文字が大きく、行間も広い。3行しかないページもあって、10分足らずで読み終わる本である。残念なことに僕の心にはあまり響かなかった。響くか響かないかは人それぞれだから、このタイトルに怒りはしないのだけれど、長い長い物語をいつまでも読んでいたい本好きな人にはお勧めしない。物足りないことこの上ないのである。読書の楽しみとは別のところで成立している本なのだと思う。

人間学を学ぶ月刊誌「致知」に連載されている「小さな人生論」の中から反響の大きかった5編を収録してある。第一話「夢を実現する」はイチローが小学6年の時に書いた作文を引用し、それを解説したもの。プロ野球選手になるために365日中360日を練習にあてているというイチローの作文自体は確かに大したものだが、解説は屋上屋を重ねるようなもので余計だと思う。

このほか、結核にかかった母親が鬼のような存在に変貌する「喜怒哀楽の人間学」、重度脳性マヒの少年が「ごめんなさいね おかあさん」と綴る詩を紹介した「人生のテーマ」などが収録されている。それぞれに良い話だが、物足りない気分はどうしても消えない。それぞれの題材からもっと長く感動的な話に仕立て上げることも可能なのではないかと思う。この本の作りは例えば、昨年、深い感銘を受けた藤原新也「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」に比べると、題材の深化のさせ方が足りないのだ。

こういう本の存在を否定はしない。忙しい人にも読める分量、小学生にも読める人生論の本は必要だろう。かといって、やっぱり、本好きな人にはお勧めしない。5編ではなく、50編ぐらいあれば、話は違ったのかもしれない。挿絵は片岡鶴太郎が描いている。著者の藤尾秀昭は致知出版社社長。

Wikipediaによれば、「致知」は「一般書店での販売はしておらず、読者に直接届ける定期購読誌」で、主な読者は「稲盛和夫(京セラ名誉会長)、牛尾治朗(ウシオ電機会長)、北尾吉孝(SBIホールディングスCEO)、鍵山秀三郎(イエローハット相談役)など」だそうだ。

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「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」

「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」

「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」

買ったのは昨年7月。これがミレニアムシリーズの最後の1冊かと思うと、もったいなくて読む気にならず、昨年12月から読み始めたが、他の本も並行して読んでいたために途中で中断。映画「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」を見たことでようやく再開、読み終えた。

第2作「火と戯れる女」のラストから始まる直接的な続編である。第1作の「ドラゴン・タトゥーの女」から少しずつ描かれてきたリスベット・サランデルの過去が第2作ですべて明らかになり、今回は少女時代のリスベットに不当で残虐な仕打ちをした公安警察の一部に対する決着が図られる。下巻の終盤、裁判の場面がこの小説の白眉。主人公ミカエル・ブルクヴィストの妹で弁護士のアニカ・ジャンニーニの弁護の手腕が鮮やかだ。そしてここで強調されるのは第1作の原題でもあった「女を憎む男たち」というテーマ。解説の池上冬樹も引用しているけれども、ミカエルはアニカにこう言う。

「だから言ったろ、この裁判にはおまえがうってつけだって。この事件の核心は結局のところ、スパイとか国の秘密組織じゃなくて、よくある女性への暴力とそれを可能にする男どもなんだ」

人権派のジャーナリストだった作者のスティーグ・ラーソンらしい言葉だ。ミレニアムシリーズはミステリのいろんな要素を集めたエンタテインメントであるけれども、こうした芯の硬さが作品の魅力になっていると思う。

リスベットは前作の最後で瀕死の重傷を負い、本書の上巻は病院に入院しているのであまり動きがない。リスベットファンとしては残念なのだが、終盤に活躍の場面が用意されている。第2作で行方をくらました金髪の巨人との決着が待っているのだ。

リスベットの妹の動向が分からないという部分は残っているのだけれど、ミレニアムシリーズはこの第3部まででリスベットの話としては完結している。作者が急逝したために予定されていた第4部、第5部は幻となってしまったが、ミステリ史に残る傑作であることは間違いないと思う。

ちなみに映画「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」の字幕監修はこの原作の共同翻訳者であるヘレンハルメ美穂が当たっている。この映画のパンフレットにはラーソンの唯一のインタビューが掲載されている。その中でラーソンは「推理小説を読んでいて、苛立つことがあります。それは、主要人物が通常ひとりからふたりに限られていて、しかもその人物の属する社会の外の環境描写に欠けていることです」と語っている。ミレニアムシリーズにさまざまな多くの人物が登場するのはその苛立ちを払拭するためだったのかもしれない。

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「ハリウッドではみんな日本人のマネをしている」

「ハリウッドではみんな日本人のマネをしている」

「ハリウッドではみんな日本人のマネをしている」

著者のマックス桐島さんはハリウッド映画のプロデューサーで宮崎県在住。仕事で以前知り合ったので、書店で著者名を見ただけで買った。ハリウッド映画は近年、「仄暗い水の底から」「シャル・ウィ・ダンス」「鉄腕アトム」など日本映画のリメイクや「呪怨」の清水崇など監督の進出が目立ってきたが、映画に限らず、仕事や生活の仕方にも日本文化の影響が出ているという実例を豊富に挙げて説明している。長年、アメリカに住んだ著者でなければ書けない本で、面白く読んだ。

象徴的に取り上げているのはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本の連覇。米国内ではあまり関心がないと言われてきたが、ハリウッドではWBCへの注目が高かったのだという。

WBC連覇によって、日本人選手の優秀さだけではなく、日本野球のコンセプトそのものが賞賛されたように、これからはハリウッドもコンテンツを買うだけではなくなるだろう。
コンテンツ以上にその根っこにあるコンセプトそのものを吸収する-。そんな時期に来ているのではないか。いわばハリウッドの「日本化」だ。その流れは、すでにかなり大きなものになっている。

そこから取り上げられている実例はハリウッドでの日本人スタッフの優秀さから始まって、エンタメやアフター5の飲みニケーション、喫茶店、デパ地下、お土産、土足厳禁、自動販売機、温水洗浄式便座、武道、謙譲の美徳など文化、ライフスタイル、精神などのさまざまなものに及ぶ。著者の知り合いの実例もあるからすべてが広範囲とは言えないにしても、これほど日本文化が評価されていることにはやはり驚く。

日本人としては日本文化の利点が理解されて嬉しい限りだが、ちょっとひいき目に見ている部分もあるだろう。文化が伝わる際にはその国の実情に合わせて伝わることが多いからだ。タイトルにはマネとあるが、良いものを積極的に取り入れることはマネではなく、さらに良くしたいという思いがあるからだと思う。ハリウッドが世界最大の夢の生産基地であることは今も変わらないし、さらに面白いものを作ろうとして日本に限らずさまざまな国の映画を取り入れるのは企画の貧困さだけからきているものではないだろう。

それに文化の吸収は日本が得意としてきたもの。アメリカへの日本の影響よりも日本へのアメリカの影響の方が今でもずっと大きいだろう。アメリカが日本文化やライフスタイルに興味を示していることは相互理解が深まることでもあるから悪いことではないけれど、今、日本やアメリカが相互理解に努めた方がいいのはイスラム圏の国々ではないかとも思う。

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「間違いだらけのエコカー選び」

「間違いだらけのエコカー選び」

「間違いだらけのエコカー選び」

徳大寺有恒の「間違いだらけのクルマ選び」シリーズは毎年買っていた。年2冊刊行になってからも毎回買い、その影響で自動車雑誌のNAVIも購読するようになった(NAVIが4月号で休刊になるのはとても残念だ)。今回の出版社は以前の草思社ではなく、海竜社。草思社が昨年、民事再生法の適用を申請したことも影響しているのだろう。

エコカーと言えば、プリウスやインサイトなどのハイブリッドカーが思い浮かぶが、著者の主張はハイブリッドだけがエコカーではないということ。フォルクスワーゲンなどヨーロッパの自動車会社がディーゼルを含めた内燃機関のクルマの燃費を向上させているのに比べて日本のメーカーが内燃機関をないがしろにしている現状を批判している。ガソリンの高騰で一気にハイブリッドへの注目が集まったけれど、内燃機関のクルマが姿を消すのはまだ10年以上先であるとの見方がその根底にある。

著者はハイブリッドカーの弱点としてコストと重量を挙げる。限界は「従来のガソリンエンジン車の効率の悪い領域を、あくまでカバーしているに過ぎない」こと。すべての車種にハイブリッドを適用するのは難しいし、ガソリンがなくては走らないハイブリッドはガソリンエンジン車に完全に置き換わるものでもないのだ。あくまでつなぎであり、エコカーの一つにすぎない。

本書の前半はそうした著者の主張で、後半は「厳選エコカー30台徹底批評」。以前の本と同じような構成である。興味を持ったのは最後の批評に出てくるテスラ・モデルS。これはカリフォルニアに本拠を置くベンチャー企業のテスラ社が発売を予定している電気自動車。航続距離が短いのが電気自動車の欠点だが、このモデルSは最高480キロ走れるという。これは三菱i-MiEVの3倍だ。

同じテスラ社のロードスターはは501キロの世界記録を持っているという。0-100キロ加速は4秒前後でスポーツカーとしても優れた能力を持つ。従来の電気自動車の弱点を克服したクルマらしい。なぜ、そんなことが可能なのかという点は本書には書かれていないが、そうした次世代のクルマが出て来たことは喜ぶべきなのだろう。

本書はあくまで総論的な書き方で、ちょっと詳しさが足りず、物足りない思いも残る。普段、自動車雑誌を読んでいる人には目新しい部分は少ないかも知れない。しかし、エコカーの現在をよく知るには格好のテキストだと思う。

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