エッセイ」カテゴリーアーカイブ

「物情騒然」

小林信彦が週刊文春に連載しているエッセイの4冊目。昨年1年間の世相や映画、芸能などについてまとめてある。大変面白く、一気に読んだが、「人生は五十一から」とサブタイトルにあると、20代の読者は買わないでしょうね。この連載も長くなった。かつてキネマ旬報に連載していた「小林信彦のコラム」同様、クロニクル的側面を備えるようになったと思う(もちろん、作者はそれを意図しているだろう)。しかも今回は政治・経済への目配りがより深い。

映画については「パール・ハーバー」と「千と千尋の神隠し」などについて触れている。「パール・ハーバー」は「2人の好青年が1人の看護婦をとり合うという<ロマンス>が、まず、限りなく陳腐である」と指摘している。これは当然だが、まいるのは後半の東京空襲(ドゥーリトル空襲)場面について体験に即して書かれていること。「被害の詳細がいっさい発表されなかったので、国民は少しもあわてなかった。逆に、アメリカの力はこの程度かと笑い、<ドゥーリトル空襲>というと、どじの代名詞のようになった。しかし、アメリカの執念を感じたのは、政府と軍部であった。<翼賛選挙>の最中でもあり、衝撃は底知れぬものがあった」。

「千と千尋の神隠し」は日本人の飽食への批判の視点があることを指摘した後、「一度観たきりなので、ディテイルで分からないところもあるのだが、久しぶりに<ちゃんとした日本映画>を観たという充足感があった」としている。

こういうしっかりした批評を読むと、なんだか安心する。映画評の価値というのは見る前のガイドとしての側面と、見た後に自分の抱いた感想を確認するためのものでもあるのだな、と改めて思う。そして映画評論家と称する人たちの言葉がますます信用できなくなった、というのを実感した。

世相に関しては同時テロや狂牛病、小泉内閣への批判があるが、切実なのは「失業という<痛み>」。小林信彦自身、2度の失業を経験しているのだ。特に2度目は結婚したばかりの時なので、クビを言い渡された後、なかなか家に帰れないエピソードが綴られる。今のリストラされたサラリーマンにはこたえるのではないか。

「とにかく、読んでみてください。ご損はさせないと思います」と前書きに書いてあるのは凄い自信だが、その通りだった。1カ所だけちょっと気になるところもあったが、まず買って損はないでしょう。

「勇気凛々ルリの色 福音について」

浅田次郎の連載エッセイの3冊目。文庫に入ったので読んだ。相変わらず爆笑に次ぐ爆笑、そしてホロリとさせる好エッセイ集だ。直木賞を受賞した前後の1年間の出来事が綴られている。「蒼穹の昴」で直木賞に落選したその夜、女性編集者が叱咤する場面がいい。

「書くのよ。今すぐ、書くのよ。あなたから小説を取ったら、骨のかけらも残らない」
頭の中がまっしろで、何も書くことができなかった。書けない、書けない、書けない、と私は泣いた。
「書けないのなら、今まで書けなかったことを書けばいい。どうしても小説にできないことを書くのは、今しかない。今日しかない。私はあなたの原稿を三年も待った。あと二日だけ待ってやる。さあ、書くのよ」
立ち上がることすらできぬまま、私はペンを執り、思い出すだにおぞましい幼児体験を小説にした。

そうして出来上がったのが直木賞を受賞した短編集「鉄道員」の中で最も完成度の高い「角筈にて」だったというのが実に良くできた話である。

いとことの思い出を綴った「ヒロシの死について」は伯父からもらった10円を握りしめて、いとこたちとみやげもの屋に行く話。浅田次郎は店についた時、10円をなくしていることに気づき、石段で膝を抱えて泣く。いとこたちはあめ玉を買ってほとんど帰ってしまったが、ただ1人年長のヒロシが必死に落とした10円を探し始める。

山奥の冬の陽は、つるべ落としに昏れてしまった。
「あったよ! ジロウ、あった、あった」
ヒロシはそう言って、私に十円玉を握らせた。とたんに私は、ヒロシのやさしい笑顔を正視できずに、声を上げて泣いた。子供心にも、その十円玉の出所がわかったからである。それはヒロシのポケットの中の十円玉に違いなかった。

まるで「泥の河」のようなエピソードから現在のヒロシの話につながる。ヒロシは重度の障害を持って生まれた17歳の娘ミッチャンの世話をする傍ら、多忙な営業マンとして懸命に働き力つきた。その翌日、娘も死んでしまう。「残された家族のことを考えて、ヒロシはミッチャンを連れて行った」「ミッチャンは大好きなおとうさんについて行った」との解釈に対して浅田次郎はこう考える。

ヒロシは、医学的にはとうに終わっているはずのミッチャンの生命を、あらん限りの愛情を持って支えていたのだろう。そして、その死がついに支えきれぬところまで迫っていることを感じたあの夜、心のそこから、娘とともに逝くことを祈ったのであろう。天が、その真摯な祈りを聞き届けたのである。
そうでなければ、四十六歳の男の死顔があれほど安らかなはずはない。

浅田次郎は泣かせの天才だなと思う。小説ではそれがちょっと鼻につく部分もあって、僕は「鉄道員」以後の小説は読んでいないが、このエッセイは楽しみにしている。相変わらずのハゲ、巨頭の爆笑話もあって、このエッセイ、一つ泣いて読み終わったら、次は爆笑というまことに喜怒哀楽の激しい本である。売れっ子小説家の想像を絶する多忙さも分かる。風邪をひき、体力がないときに布団の中で読むには絶好の本だった。

「読書中毒」

「ブックレシピ61」とサブタイトルがついた小林信彦の“究極のブックガイド”(文春文庫)。「本の雑誌」と週刊文春の連載をまとめたものだが、小説だ けでなく、映画も多数取り上げられており、一気に読まされる。いつものように的確かつ明快な批評が満載され、読んでいて気持ちがいい。

例えば、映画「氷の微笑」を取り上げた「<犯人が分からない>批評家たち」と題する章は、公開当時によく言われた犯人が分からないという紹介の仕方を取 り上げ、「なにしろ、容疑者は女3人しかいなくて、2人が殺されてしまうのだから、ラストで出てくる女が犯人に決まっている。しかも、凶器までうつして、 念押ししているのに、<犯人が分からない>とはどういうことか?…鑑賞力(というほどのものではない、この場合)の低下、衰退もきわまったのではないか」 と憤慨している。その後、続けて「まあ、映画や映画ジャーナリズムの場合、もう手がつけられないほど、ひどいことになっているから、怒っても仕方がない」 との結論になる。もっともな指摘である。

もっとも僕自身、「シネマ1987」に書いた当時の映画評を読み返してみると、「こういうあいまいな決着の付け方は嫌いである」なんて書いているのだから、あまり人のことは言えませんけどね(~_~;)。

小林信彦は小説家である前に超一流の批評家であり、僕は批評の在り方にかなり影響を受けている。ただし足下にも及ばない。読書・映画体験のケタが違う し、批評の眼というのはその人の育った環境や持って生まれた資質に左右される面が大きいのである。ああいう明快、的確な批評を書くのは僕には無理でしょう ねえ。

「読書中毒」に刺激を受けたので、同じ著者の「おかしな男 渥美清」を続けて読み始めた。こちらは「天才伝説 横山やすし」と同様、著者と渥美清との交流を基本とした“実感的喜劇人伝”(オビの言葉)。ここにも鋭い批評の眼が随所にあり、読み応えがある。

「現代<死語>ノートⅡ」

書店で「現代<死語>ノートⅡ」(岩波新書)という本を見つけた。著者は、おお、好きな小林信彦ではありませんか。迂闊にも知らなかっ たが、3年前に第1作「現代<死語>ノート」も出版されていたのだった。これは<死語>によって眺める現代史-という趣の本で、 雑誌「世界」に連載されたのだそうだ。第1作は「もはや戦後ではない」の1956年から1976年まで、今回出版された第2作に1977年から1999年 までと、1945年から1955年までが「ボーナスノート」として収録されている。これによって戦後の死語が概観できる内容となった。

死語を紹介するだけなら、「現代用語の基礎知識」でもできるだろう。この本が面白いのは作者のコメントに確かな視点があるためである。優れた批評家で作家の小林信彦だから当たり前なのだが、例えば、こんな具合だ。

<お呼びでない>1963年(昭和38年)これも植木等の十八番で、テレビの「シャボン玉ホリデー」から出た流行語。
<お呼びギャグ>は活字では説明しにくいが、例えば、アイドル歌手だった布施明のところに女の子が「フセ! フセ!」と殺到する。そこに迷彩 服を身にまとった兵士(植木等)が匍匐前進で現れて、「伏せー、伏せー」と女の子を叱り、場違いなのにハッと気づいて、
「お呼びでないね?」
と念を押す。
「お呼びでない。……こりゃまた、失礼いたしました!」
さっと姿を消すと同時に、全員がその場に倒れる。
ギャグから発した言葉だが、会社で、「おれ、お呼びでないな」といった風に使われ、今でも使う人がいる。

<リゾート法>1988年(昭和63年)大規模なリゾート建設を促進する法律で、前年6月9日に公布、施行。この年になって五県の構想が承認された。正式名称は<総合保養地域整備法>。
こういううさんくさい法はたちまち公布される。リゾートを作る企業を<税制・金融面で優遇>し、<国立公園を含む国有林野や農地の開発 規制を緩和する>というと、もっともらしいが、リゾートを<ゴルフ場とそれ用のホテル>と考えれば、狙いはきわめて分かり易い。
自然破壊が法によって保護され、地方の地価が高騰する惨状になった。

こういう感じで多数の死語が取り上げられている。<お呼びでない>は小林信彦が詳しい60年代のテレビ界から出た言葉だから、解説も詳 しいのは当然だろう。このほか、<ガチョン>とか<つぎ、いこう!><なんである、アイデアル><奥歯ガタガ タいわしたろか>など面白い。政治、風俗に関する死語についてのコメントも的確で、著者の反骨精神を見せつけられる。リゾート法については僕の考え方と同じなのでうれしくなった。

これは死語というよりも「流行語から見た世相の変遷」を描いた本と見ていいだろう(本の扉には「同時代観察エッセー」とある)。著者も本の中で書い ているが、バブル期以降の日本はなんとひどい状況になったことか。特に阪神大震災以降は暗い話題ばかりが先行してきたことを改めて確認できた。鋭い批評と いうのは、こういう本のことなのだと痛感する。「日本の喜劇人」「世界の喜劇人」という名著を書いた小林信彦だから書けた本で、抜群に面白く、資料的価値 も高い。必読の1冊でしょう。