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「マネー・ボール 完全版」

「マネー・ボール 完全版」

「マネー・ボール 完全版」

 すべてはビル・ジェイムズの自費出版本「野球抄1977」から始まった。元大リーガーでアスレチックスのフロントに入ったビリー・ビーンはゼネラルマネジャーのサンディ・アルダーソンを通じてこの本に出会い、従来とは違った評価基準で選手を起用するようになる。ビル・ジェイムズが始めた野球データの研究はセイバーメトリックスと言われるようになった。

アメリカが野球の本場だなと思えるのはジェイムズのようなファンが多いことだ。セイバーメトリックスは徐々に広まり、統計学の専門家も加わって充実していく。ただ、大リーグの球団からは相手にされなかった。たった一つ、アスレチックスを除いては。

著者のマイケル・ルイスは「メジャー球団のなかでもきわめて資金力の乏しいオークランド・アスレチックスが、なぜこんなに強いのか?」という疑問を持って調べ始める。2002年当時、ニューヨーク・ヤンキースの選手年俸総額が1億2600万ドルだったのに対して、アスレチックスは4000万ドル程度。なのにアスレチックスは毎年優勝争いに絡んでくる。年俸の高い選手を集めたチームが強く、「金銭ゲーム」と言われるようになったのに、このアスレチックスの強さはそれに反している。一流選手になると有望視されながら、大リーグでは花開かなかったゼネラルマネジャーのビリー・ビーンを核に据え、アスレチックスの強さの秘密に迫っていく過程が抜群に面白い。同時に心に残るのは右肘を痛めた選手スコット・ハッテバーグだ。

ハッテバーグはボストン・レッドソックスの捕手として活躍したが、右肘の手術を受けて送球ができなくなったため、年俸を半分に減らされてコロラド・ロッキーズにトレードされそうになる。ハッテバーグはそれを拒否。ロッキーズとの交渉権が切れた1分後、アスレチックスから電話連絡が入る。一塁手として起用するという。第8章「ゴロさばき機械(マシン)」はそのハッテバーグのエピソードを描く。経験したことのない一塁の守備練習をするため、ハッテバーグは妻ビッツィーと娘たちを連れて自宅近くのテニスコートへ行き、妻に「ゴロを打ってくれ」と頼む。ビッツィーは身長155センチ、体重45キロ。メジャーリーグ向けの練習につきあえる体格ではない。ゴロを打つまともなテクニックも持ち合わせていない。

試合前、ほかの選手はファンにサインをする。ところが、夫はサインなどしたことがない。サイン嫌いなのではなく、サインしたって自分のことなんかファンはどうせ知らないだろうと思い込んでいるふしがある。そういう状態がビッツィーはあまり好きではなかった。ファンにもっと夫を知ってもらいたいという意味ではない。ファンはとっくにあなたを知っているのだと、夫に気づいてもらいたかった。だから、十二月末から春期キャンプが始まるまで、夫の練習につきあい続け、霧雨の降るなか、おうちに帰りたいと泣く娘たちをなだめながら、夫めがけてゴロを打つ。

ハッテバーグは徐々に守備を上達させ、水準以上の一塁手という評価を得るようになる。そして大リーグ記録の20連勝がかかったカンザスシティ・ロイヤルズとの試合でサヨナラホームランを放つ。

アスレチックスがハッテバーグに目を付けたのは出塁率の高さと一発を期待できるパワーがあるからだった。守備は関係ないと考えていた。これが他の球団からほとんど無視されたハッテバーグを救うことになった。長い間、固定観念や常識となっていた評価基準を変え、新たな価値観で選手を起用したことがアスレチックスの成功につながった。文庫版の帯に「全ビジネスパーソン必読の傑作ノンフィクション」とあるように、この本に書かれていることは他の分野でも通用することだ。

「世紀の空売り」とは違って、ユーモアが随所にある。マイケル・ルイスにとって、野球は客観的に見られる対象だからだろう。「世紀の空売り」はかつて自分が働いた業界を題材にしているので、ユーモアを挟み込みにくかったのではないかと思う。

本を読み終わってブラッド・ピット主演の映画「マネーボール」(2011年、ベネット・ミラー監督)を見た。原作をうまくまとめた佳作に仕上がっている。これは主にスティーブン・ザイリアンが加わった脚本の出来が良いからだと思う。ひげ面のビル・ジェイムズも写真で登場している。

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「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」

「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」

「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」

マイケル・バーリが登場する第2章「隻眼の相場師」から引き込まれるようにして読んだ。バーリは子供の頃に病気で左目の眼球を摘出された。医師になったバーリは人並み外れた集中力と分析力で株式投資に抜群の才能を発揮し、ヘッジファンドのサイオン・キャピタルを立ち上げる。そしてサブプライム・モーゲージ債の破綻を予測して、空売り(ショート)を仕掛けることになる。

複雑な感動を残すこの傑作ノンフィクションには空売りを仕掛ける3組の男たちが登場するが、最も印象的なのはこのマイケル・バーリだ。バーリは子供の頃から自分が他人と少し違っていることを自覚してきたが、それは自分の義眼のせいだと考えていた。35歳の頃、自分の子供がアスペルガー症候群と診断され、アスペルガー関係の書籍を読んで、自分もまたアスペルガー症候群であることを知る。

“視線を合わせることなど、言葉を用いない多様な行動に、著しい欠陥が見られる……”
当てはまる
“同年代の友人関係が築けない……”
当てはまる
“楽しみや興味、あるいは達成感などを、他人と分かち合おうという自発性に欠け……”
当てはまる
“相手の目つきから、社会的もしくは情緒的もしくはその両方のメッセージを読み取るのが困難……”
当てはまる

バーリはジェームズ・グレアムやウォーレン・バフェットと同じくファンダメンタルズを重視したバリュー投資家であり、企業の財務資料を読むのにはアスペルガー症候群であるがゆえの集中力の高さが利点となっていた。バフェットと違うのは人付き合いが苦手なことだが、これは個人が株式投資をする限りにおいては欠点にはならない。問題は凡人であるファンドの顧客たちがバーリの行動を理解しなかったことだ。

サブプライム・モーゲージ債の破綻を予測したのが一番早かったかどうかは分からないが、一番早く動いたのがバーリであったことは間違いないだろう。バーリはゴールドマン・サックスなどの投資銀行にモーゲージ債の保険となるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を販売するよう提案し、これを大量に購入する。モーゲージ債が破綻すれば、巨額の利益を手に入れることができる。

モーゲージ債にはムーディーズなどの格付け会社がトリプルAを付けていた。CDSの大量購入はそれに反しているばかりか、金融システムの崩壊に賭けることを意味する。もし、万が一、モーゲージ債が破綻するにしても、それまでは毎月保険料(プレミアム)を支払わなければならず、損失が続くことになる。実際、サイオン・キャピタルは損失を出し続けるようになり、顧客たちはバーリを公然と非難するようになる。

「わたしに最も近い共同出資者は、いずれ必ずわたしを憎むことになるような気がする。……この事業は、人生のかなり大事な部分を殺してしまう。問題は、殺されたのが何なのか、見きわめられないことだ。しかし、人生に欠かせない何かが、わたしの中で死んだ。わたしは、それを感じることができる」。

もちろん、サブプライム・モーゲージ債は破綻し、結果的にバーリは顧客に出資額の2倍以上の利益をもたらすが、顧客たちは礼の一つも言わなかった。バーリは金融市場にすっかり興味を失い、静かに退場していく。

著者のマイケル・ルイスはサブプライムローン問題の全体像を描きながら、周囲に理解されない孤独な天才投資家の姿を鮮やかに浮かび上がらせている。天才であるがゆえの孤独と苦悩。バーリの姿は悲劇的ではあるが、深い関心と共感を持たずにはいられない。バーリは2012年3月にフェイスブックに登録している(Burry)。ほとんど書き込みはしてない。SNSでの交流には興味を持てないのだろう。

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「兄 かぞくのくに」

映画「かぞくのくに」の基になったヤン・ヨンヒ監督のノンフィクション「兄 かぞくのくに」を読んだ。帰国事業で北朝鮮に行った3人に兄について書き、激しく胸を揺さぶられる。ほとんどの国民は信じていない幻想の上に成り立ち、人を幸せにしない北朝鮮への批判も強いが、それ以上にこれは家族の物語だ。

「この本の唯一の欠点は外で読めないこと。泣いてしまうから」とライブトークの中で映画のプロデューサーが言っている。ホントにその通り。思わず嗚咽を漏らしてしまう場面がたくさんある。しかし、その一方で家族の温かさとそこから生まれるユーモアがある。泣き笑いというと通俗的に聞こえるが、痛切な悲しみの合間に日常のほのかなユーモアがあるのだ。

映画が描いたのは3人の兄のうちの1人。この部分よりも二番目の兄コナの家族を描いた第2部がとても良かった。コナ兄は美人のMさんと結婚し、2人の子供をもうけるが、Mさんは出て行ってしまう。兄の息子である10歳のチソンが、電話をかけてきた母親に「幸せの邪魔をするな!」「二度と、お母さんと名乗るな!」と拒絶する場面には胸を打たれた。

ヤン・ヨンヒはライブトークを見ると、かなり饒舌な人だ。40分のライブトークのうち、30分以上は1人で話してる。たくましいオモニの血を受け継いでいるのだろう。「理想の国の象徴である平壌に障害者は住むことを許されない」という発言は驚きだ。障害を持つ人は地方に追いやられるのだそうだ。

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「新潟のおせんべい屋さんが東京の女子中学生にヒット商品づくりを頼んだらとんでもないことが起こった!?」

タイトル負けしている。「とんでもないこと」と言うからどんなことかと思ったら、「なんてことはないこと」だった。と、思えるのは単純に編著者の力が足りないからで、内容を読者に「とんでもないこと」と納得させるような書き方が必要だ。

業界3位の米菓メーカー岩塚製菓(新潟県長岡市)が東京の品川女子学院とコラボし、新商品を開発する過程が描かれる。女子中学生の自由な発想に接して、社員たちは会社の都合に流されていた自分たちを反省することになる。

「女子中学生のコラボ日記」と「おせんべい屋さんの本音トーク」、CMプランナー澤本嘉光によるツッコミで構成されている。どれも本人が書いたものではなく、編集者が取材してまとめたものだろう。それは別にかまわないのだが、編著者が岩塚製菓の社員からなるROCKGIRLSなので、どうも書き方に遠慮があるような感じが抜けきれない。本書では省略された細部にもっと重要なものがあるのではないかと思えてくるのである。よくまとまった経過報告の域を出ていないのだ。第三者が書いたら、もっと面白くなったのかもしれない。題材が良いだけに惜しい。

心を動かされたのは冒頭にある岩塚製菓社長の品川女子学院校長への手紙と、岩塚製菓の成り立ち。同社が設立された長岡市近郊の雪深い山村は冬になると、現金収入のため父親が出稼ぎに行き、一家が離ればなれになる生活だった。「何とか、地元に産業を興し、家族が一緒に暮らせるようにしようと」して1947年に創業したのだという。「日本でいちばん大切にしたい会社」に取り上げてはどうだろう。

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「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」

「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」

「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」

映画化決定に合わせて復刊され、昨年11月に買っておいたのをようやく読んだ。というか、3年前に川本三郎と鈴木邦夫の対談集「本と映画と『70年』を語ろう 」を読んで以来読みたかった本だった。評論家の川本三郎が朝日ジャーナル記者だった1971年当時、朝霞自衛官殺害事件に巻き込まれて解雇された事件を振り返る回想録。事件の詳細は「逮捕までI」「逮捕までII」「逮捕そして解雇」の最後の3章で描かれる。それ以前の9章は週刊朝日時代と朝日ジャーナル時代の仕事が全共闘運動に陰りが見え始めた時期の世相と合わせて語られ、興味深い読み物になっている。

読み終わって、青春の愚行という言葉が思い浮かぶ。その時に最良の選択と思ってしたことが後になってとんでもない事態を引き起こす。それは若さゆえの愚行なのだ。だから、この本の内容は厳しいけれど、甘酸っぱい部分も含んでいる。

著者は週刊朝日編集部の記者から取材に協力してほしいと要請を受ける。京浜安保共闘のメンバーと名乗るKという男の取材だった。Kを取材した著者はCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の歌と宮沢賢治の小説の好みが共通することでKを信用してしまう。Kと著者は頻繁に連絡を取り合うようになる。Kは全共闘のメンバーからは知られていず、素性に不審なところがあった。やがてKは自衛隊朝霞駐屯地を襲撃し、自衛官を殺害する。Kから連絡を受けた著者は取材の後、事実を裏付けるために自衛官のしていた腕章を預かってしまう。それが証憑隠滅事件へとつながっていく。

「朝霞自衛官殺害事件」を検索したら、Wikipediaに「発生直後から、マスコミはこの事件を大きく取り上げていたが、10月5日発売の朝日ジャーナルに『謎の超過激派赤衛軍幹部と単独会見』という記事が掲載された」とあった。あん? 本書の中で著者は記事は掲載しなかったと書いている。朝日ジャーナル自体が掲載に及び腰だったし、そういう環境にもなかったのだ。Wikipediaの記述が間違っているのか? Wikipediaにはさらに著者が逮捕された件について、「朝日ジャーナルの記者川本三郎(当時27歳)は、犯人から『警衛腕章』を受け取り、証拠隠滅のために自宅裏で焼いていた」とある。本書によれば、川本三郎は社内の友人に頼んで処分してもらっている。それがなんで「自宅裏で焼いた」という記述になるのか理解に苦しむ。

いや、自宅裏で焼いたかどうかは実はどうでもいい。いずれにしても川本三郎が指示したことだから。腕章を預かった川本三郎が処分した事実に間違いはない。だが、記事が掲載されたかされなかったかは、本書の中では大きな問題なのである。川本三郎はこう書いている。

しかしいまにして思えば事態をオープンにしたほうがよかったのだと思う。私がKをインタビューしたこと、しかし、ニュース・ソースの秘匿の原則があるからKの名前を明らかにすることはできないこと。そのことを編集会議で正々堂々と明言して、Kとのインタビューを記事にすべきだったのだ。

単にWikipediaの間違いであるなら、それはそれでいいが、なぜ「10月5日発売の」と指定までして間違いが起きるのかやっぱり理解に苦しむ。

こういう本は第三者が書いた方が良かったのだと思う。第三者が事実を検証して書いていき、事件の詳細を明らかにすれば、余計な詮索は受けないで済む。事件の当事者には書きにくいことがどうしてもあるだろう。第三者が書けば、当事者が都合の良いことしか書いていないという批判を封じることもできる。

本書を僕は面白く読んだし、好感を持ったけれど、そういう部分にわだかまりが残る。いっそのこと小説にしてしまえば、良かったのかもしれない。

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