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「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」

「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」

「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」

タイトルロールのドラゴン・タトゥーの女、リスベット・サランデルがすこぶる魅力的だ。身長154センチ、体重42キロ。小柄で24歳なのに14歳ぐらいにしか見えない。背中にはドラゴンの刺青、顔にピアス。黒いTシャツに革ジャンのパンクルック。中学校中退。感情表現が欠如し、上司を絶望の淵に追い込むほど協調性がない。社会不適格者。しかし、こういう外見、性格からは想像がつかない天才的なリサーチャーで、驚異的なハッカーの技術を駆使して調査の相手を裏も表も綿密に調べ上げる。物語の主人公は雑誌「ミレニアム」の編集者ミカエル・ブルムクヴィストだが、リスベットが出て来た途端に話は溌剌とする。リスベットのキャラクターを創造したことで、この小説の成功は決まったようなものだっただろう。作者のスティーグ・ラーソンが第2部「ミレニアム2 火と戯れる女」でリスベットを主人公にしたのは当然だと思える。

ミカエルは大物実業家のヴェンネルストレムの悪事について書いた記事が事実無根と訴えられ、名誉毀損で有罪となった。ミカエルは事情があって控訴せず、雑誌社をしばらく離れることになる。そこへ大手企業の前会長ヘンリック・ヴァンゲルが声をかけてくる。兄の孫娘で1966年に失踪したハリエットについて調べて欲しいというのだ。ハリエットは殺されたらしいが、死体は見つかっていない。ヴェンネルストレムはかつてヴァンゲルの会社にいたことがあり、そこでも悪事を働いたらしい。その悪事を教えるということを条件にミカエルは調査を始める。やがて、ハリエットの失踪は猟奇的な連続殺人事件に関係していることが分かってくる。果たして犯人は誰なのか。調査能力を買われたリスベットもミカエルに協力し、約40年前の事件の真相に迫っていく。

物語の真ん中に猟奇的殺人事件、その前後にヴェンネルストレムとミカエルの確執を置いた構成。殺人事件だけだったら、よくあるサイコものに終わっていただろうが、ミカエルのジャーナリストとしての意地とその人間関係を描くことで充実したエンタテインメントになっている。

43歳のミカエルと娘ほども年齢の異なるリスベットは調査を進めるうちに親しくなっていく。そしてリスベットは自覚する。

クリスマスの翌日の朝、彼女にとってすべてが恐ろしいほど明瞭になった。どうしてこんなことになったのか分からない。二十五年の人生で初めて、彼女は恋に落ちたのだ。

当初は5部作の予定だったらしいが、作者は第4部の執筆にかかったところで急死した。3部まででも話は完結しているとのことなので、安心して第2部を読みたい。

第1部は映画化されており、IMDB(Män som hatar kvinnor)では7.8の高得点。予告編を見ると、原作よりもサスペンスタッチ、猟奇的なタッチを強調した作品になっているようだ。リスベットのイメージも原作とは違う。スウェーデン映画なので、日本公開の予定があるかどうかは分からないが、ぜひ公開してほしいところだ。
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「鴨川ホルモー」

極めて鈍感な主人公は楠木ふみがなぜ、京大青竜会を二分させるのに三好兄弟を説得したのか分からない。その前になぜ、楠木ふみが自分に賛同したのかが分からない。「ひょっとして、楠木も芦屋のことが好きだったりして?」。そう言った後に楠木ふみがみるみる泣きそうになってもまだ分からない。いや、むしろ誤解する。これは図星だったために泣きそうになったのだと。

「すまない……俺が無神経だった。このとおりだ。ごめん――」
「違う」
彼女は唇を噛みながら、激しく首を振った。

「鴨川ホルモー」

「鴨川ホルモー」

結局のところ、「鴨川ホルモー」という小説はこういう展開に尽きる。二浪して京大に入った主人公は勧誘されたサークルの京大青竜会のコンパで素晴らしい鼻を持つ早良京子に一目惚れする。鼻フェチなのである。紆余曲折があって、主人公は失恋し、ライバルの芦屋と一緒のサークルにいることが耐えられなくなり、青竜会を二分させることにするのだ。それになぜか、大木凡人に似た髪型で眼鏡の楠木ふみが賛同してくれる。

奇想天外な設定でくすくす笑える場面が多くても、この小説はこういう極めて普通の青春小説に着地する。SF的な展開が抑えられているので、SFファンとしては物足りないのだけれど、この展開も悪くない。コメディの装いではあっても、青春小説の本筋からは離れないのだ。だから、次のような一節も実にぴったり来る。オニ(式神)を操って戦う競技ホルモーの最強の相手、芦屋に対して仲間たちが少しもひるまない様子を見て、主人公はこう思う。

高村や三好兄弟や楠木ふみが、あれほど強い気持ちを持ってるのはなぜか?
それは――彼らは信じているからだ。彼らは自分の力を信じている。何よりも、彼らは仲間の力を信じている。芦屋より強いか弱いかなどという、つまらない比較はハナからそこに存在しない。

映画の「鴨川ホルモー」に欠けていたのはこういう部分だったように思う。この原作も映画同様に僕は絶賛はしないけれど、映画にはないエピソードもあり、楽しく読めた。主人公の名前が安倍晴明を思わせる安倍明であることの意味が映画では何ら説明されなかったが、小説では最後の方にちゃんと説明されていた。

「ウォッチメン」

「ウォッチメン」表紙

「ウォッチメン」表紙

ヒューゴー賞を受賞したアラン・ムーア、デイブ・ギボンズのコミック。ようやく読む。本編だけで12章、412ページ。セリフが多く、各章にホリス・メイソンの自伝「仮面の下で」など物語の背景を記した文章だけのページもあるので、読むのに時間がかかった。映画の感想はSorry, Wrong Accessに書いたが、映画は原作にほぼ忠実である。違うのはクライマックスの災厄の設定ぐらいか。

映画を見た時にスーパーヒーローもののメタフィクション的な印象を受けたのだけれど、それは原作でも同じだった。アラン・ムーアの後書きによると、当初は既存のスーパーヒーロー(キャプテン・アトム、ブルービートらチャールトンコミックスのキャラクター)を使って物語を構成したかったが、かなわなかったという。それでアメリカン・コミックのヒーローをモデルにロールシャッハやナイトオウルなど独自のキャラクターを作ることになった。

忠実なだけに、これは映画→原作よりも原作→映画の順で観賞した方が楽しめる作品と言える。映画では説明されなかったロールシャッハの模様が動く仮面はDr.マンハッタンが発明した生地で、「2枚のゴムに挟まれた液が圧力や熱に反応して流動する」のだそうだ。このように映画で分かりにくかった背景などはよく分かるが、基本的に同じ話なので、真相が明らかにされる場面で映画に感じたような驚きはない。

それにデイブ・ギボンズの絵は動きが少なく感じる。日本でコミック化すれば、キャラクターの造型やアクション場面などさらに面白くなる題材だと思う。平井和正原作、池上遼一作画の「スパイダーマン」のようなリメイクをすると、面白いと思う。

この原作、amazonではまたもや「出品者からお求めいただけます」になっている。速攻で買っておいて良かった。前回はいったいどれぐらい入庫したのだろう。amazonに表示されている画像はケースの写真なので、ここには本の表紙をスキャンした。この絵は第11章の扉絵と同じで、オジマンディアスの南極の基地にある温室の中の一部を描いている。

僕の貧弱な感想では参考にならないので、大森望さんが10年前に書いた書評をリンクしておく。十年に一度の大傑作、『ウォッチメン』が凄すぎる!

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

原題はThe Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトンの奇妙な症例)。「グレート・ギャツビー」のスコット・フィッツジェラルド原作なのに、驚いたことに初めて訳されたのだそうだ。本文は80ページ足らずの短編で、それをハードカバーで出版するというのも珍しいが、もちろん、映画公開に合わせてのことだ。ちょうど、これ、小学生が読むぐらいのハードカバーの分量ではないかと思う。

映画の予告編を見て、いったん年を取った男が徐々に若返る話かと思ったが、原作は違う。主人公のベンジャミン・バトンはいきなり70歳の男として母親から生まれる。いったい身長170センチの男がどうやって生まれるんだと思ってしまうが、そういう部分の説明はない。父親のロジャー・バトンが病院に行った途端、医者と看護師からヒステリックな暴言を浴びせられる、という出だしからクスクス笑える。ロジャーが病室で見たのは「大きな白い毛布に包まれて、ベビーベッドに体の一部を押し込まれた、どうみても七十歳ぐらいの老人」だった。

「一体全体どこから来たんだ? お前は誰なんだ?」バトン氏は狂ったように言い放った。
「自分が誰かなんて言えませんよ」老人はぶつくさとこぼした。「だって、まだ生まれて数時間しか経たないんですからね--でも確かに苗字はバトンですが」
「嘘だ! お前はサギ師だ!」

家に連れ帰られたベンジャミンは年を経るごとに若返っていくことになる。50歳ぐらいまで若返った20歳の時にベンジャミンは恋をして結婚する。しかし、若返るベンジャミンと妻との仲は次第に悪くなっていく。それでもベンジャミンは若返り続け、ついには息子よりも孫よりも若くなる。スラップスティックかと思えるような設定で始まった話は次第に透明な悲しみに包まれていく。この感覚はそう、ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」に似ているか。子供に若返っていくベンジャミンは知識も同時に失っていくのだ。

翻訳者の都甲幸治のあとがきによれば、フィッツジェラルドは「人生の一番いい時は最初にやってきて、一番悪い時は最後に来るってのはつらいよなあ、というマーク・トウェインの発言にヒントを得て」、じゃあ逆にしたらどうかと思い立ったのだという。あとがきにはSFと書いてあるけれど、奇想小説と呼んだ方がふさわしいのではないかと思う。たった80ページ足らずの本文で1300円は少し高いと思えるかもしれないが、イラストの入ったしっかりした本であり、内容と合わせて考えれば少しも高くない。だが、角川文庫からはこの小説を含めて「フィツジェラルドの未訳の作品を厳選した傑作集」が文庫本(500円)で出ている。

「夜の声」

「夜の声」

「夜の声」

ウィリアム・ホープ・ホジスンの短編集。創元推理文庫の初版は1985年で長らく絶版になっていたが、昨年9月に復刊された。「闇の声」のタイトルで知られる「マタンゴ」の基になった小説で、20ページの短編。

暗く星のない夜、北太平洋の海上でスクーナー(帆船の一種)にボートが近づいてくる。ボートに乗った男は離れた所から「灯を消してくれ」と言い、食べ物を要望する。姿を見せないまま食料を受け取った男は数時間後、再びスクーナーに近づき、暗闇の中で自分と一緒にいる女の話を語り始める。この男女が乗っていたアルバトロス号という船は嵐で浸水し、沈没しそうになる。他の乗組員はボートで脱出。取り残された2人はいかだを作って脱出し、4日後に霧に覆われたラグーンの中で無人の帆船を見つける。帆船の中はキノコで覆い尽くされていた。食料は少なく、やがて女はキノコを食べてしまう。

「マタンゴ」と違うのはキノコを食べる前から男女の体には小さなキノコが生え始めること。吉村達也の「マタンゴ 最後の逆襲」(まだ読み終えていない)は胞子が感染原因と説明しているが、この小説の設定がヒントになったのかもしれない。

「夜の声」を原案にして「マタンゴ」の脚本を書いたのは福島正実と星新一。あれだけの醜い人間ドラマを入れたのはえらいと思う。もっとも星新一は脚本の出来には不満があったようで、後年、エッセイで「あの結末はつじつまが合わない」と書いていた。

「夜の声」の巻末の解説は「マタンゴ」には触れていない。まあ、カルト映画ファン以外には通用しないから、仕方ないでしょうね。