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「本音を申せば」

鹿児島のOさんからの手紙に「もう買いましたか」と書かれていた。小林信彦の週刊文春のエッセイをまとめた本のことである。Oさんも小林信彦のファンで以前、電話で「昨年の分はまだ出ないんですかね」という話をしていた。これで7冊目だそうである。

毎年この本を買うのは僕自身の映画の見方が間違っていないかどうかを確認するためにほかならない。映画に関する文章は多くはないが、意見が合っているとホッとするのだ。

例えば、「コールドマウンテン」について小林信彦はこう書く。

この映画は<ハリウッド久々のメロドラマ>という風に喧伝されていて、物語の骨格はそうなのだが、実は反戦映画だと思う。

僕はこう書いている。「そうした女たちの目から見た戦争批判をこの映画はさらりと描いている。この軸足を少しもぶれさせなかったことで、映画は凡百のラブストーリーを軽く超えていく」。まあまあではないか。

「華氏911」については

ドキュメンタリーとしてフェアでない、という人もいるが、<完全にフェアなドキュメンタリー>なんてあるのか。

僕は「内容に偏りがあるという批判は分かるが、主義主張を込めないドキュメンタリーには意味がない」。

ただ、「ハウルの動く城」について、「語りたい強烈なエネルギーがない」とした上で「自分の体験からみて、これは作者が<枯れた>からだ、と感じた」という指摘は僕にはできない。だから分かったような分からないような感想にしかならないのだなあと反省する。

小林信彦は以前からこの連載をクロニクルと位置づけている。連載は8年目に入った。小泉政権や中越地震に関するタイムリーな文章が収められたこの連載はもう立派なクロニクルだと思う。後世の人はこの本を読んで、小泉純一郎という総理の下の日本はなんとひどい国だったかと思うことだろう。

「きみに読む物語」

映画を見たとき、原作は薄っぺらな話ではないのかと思ったが、予想は当たった。帯にあるのは「全米450万部 奇跡の恋愛小説」という言葉。ほんとにこんな簡単な小説が450万部も売れるとは奇跡以外のなにものでもない。250ページほどの短い小説で、最初の40ぺージ余りがノアとアリーの若いころの話、続いて再会した2日間が130ページほど、最後の年老いてからの話が70ページ余りである。これを読むと、映画の脚本はかなりうまく脚色しているなと思う。小説よりも映画の方が優れている数少ない例と言える。

若い頃の話などは、小説ではほとんどプロットそのままと言ってもいいぐらいの描写だが、映画はここに重点をおいてじっくり描いていた。原作にないエピソードも入れており、描写が細かい。そうしないと、再会後の2人の気持ちの高まりに説得力がないのである。原作にはアリーの母親が若い頃の恋を話すエピソードもない。

アメリカのベストセラーは分厚くて詳細な描写があるのが普通だが、この小説、描写に関しては本当に薄いし、構成も簡単だ。ただ、よく分かったのはアリーがロンをどう思っているのかという部分。ロンはただの仕事人間であり、アリーとの出会いも映画とは異なる。原作ではこう書かれている。

あとでアリーは、ロンと最後に話をしたときのことを思い出そうとした。ロンはじっくり聴いてくれたが、言葉のやりとりはあまりなかった。彼は会話を楽しむタイプではなく、アリーの父のように、考えや感情を人とわかちあうのが苦手だった。彼にもっと近づきたいと説明しても、手ごたえのある返事はなかった。

こういう部分をもっと強調してくれれば、映画に対する印象も変わったと思う。原作者のニコラス・スパークスは「メッセージ・イン・ア・ボトル」の作家で、これがデビュー作とのこと。続編が出たそうだが、もう読むことはないだろう。

「コラムの逆襲」

中日新聞夕刊に連載された「小林信彦のコラム」の1999年から2002年7月までの分をまとめたもの。新聞では読んだことがないが、1年で26回だから2週間に1度の掲載らしい。「小林信彦のコラム」は元々は1977年にキネマ旬報で始まった。途中、中断があったにせよ、今年で26年目なわけである。僕は他の人が書いた映画評は自分と意見が違っても全然気にしないが、小林信彦と意見が一致するとホッとする。この本ではニコール・キッドマンとアシュレイ・ジャッドの評価などを見て、ホッとした。ただ、ジャッドはそれほど美人じゃないでしょう。いや美人なんだけど、個性的な美人と思う。今のハリウッドで、正統派の美人で主役級というのはキッドマンだけじゃないでしょうか(キッドマンの友人のナオミ・ワッツを入れてもいいか)。

「アイズ・ワイド・シャット」公開時にキッドマンと一緒に来日したトム・クルーズのことを「グリコのおまけ」と評しているのには笑った。ホント、キッドマンに比べると、トム・クルーズはどうしようもない男ですね(だいたい、離婚したというのがどうしようもない)。キッドマンはトム・クルーズの奥さんということで売り出した側面があるが、今や完璧に実力は逆転している。

「昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫」

605ページを一気に読ませるリーダビリティーがある。「昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫」(太田出版)は面白くて面白くて仕方がない本である。脚本家の荒井晴彦と文芸評論家・絓(すが)秀実が作品の成立過程や背景、裏話、思想を徹底的に聞き出している。「ヒッチコック/トリュフォー」を思わせるインタビューで、映画脚本の技術的な話も豊富で興味深いのだが、それ以上に、読み進むに連れて昭和という時代が浮き彫りになっていくところが圧巻だ。これは映画ファンは言うに及ばず、一般に広く読まれるべき名著だと思う。

僕は自分の興味に従って第3部の「『仁義なき戦い』と実録路線」から読み始めたのだが、ここと第4部「戦争映画と天皇」がこの本の白眉である。「仁義なき戦い」シリーズのうち笠原和夫が書いた第4作まではこれまた面白くて仕方がない映画であることは言うまでもない。特に人間関係が複雑に入り乱れて敵か味方かまるで分からなくなる中での抗争を描く第3作「代理戦争」と第4作「頂上作戦」が出色の出来だ。しかし、笠原和夫自身が最も気に入っているのは極めてオーソドックスな作りの第2作「広島死闘篇」なのだという。笠原和夫はこのシリーズの後に戦争映画を手がける。「二百三高地」「大日本帝国」「日本海大海戦 海ゆかば」「零戦燃ゆ」の4作だが、僕はこのうち「二百三高地」しか見ていない。「大日本帝国」はさすがにタイトルからして見に行く気がしなかった。どうせ右寄りの映画だろうと思っていたし、世間一般の評価もそうだった。この本を読んでこれが「非常に巧みに作られた左翼映画」(黛敏郎の感想)ということを知った。登場人物のほとんどが天皇に関する発言をする映画なのだそうだ。

いや、本当は左翼映画という表現は適切ではないのだろう。笠原和夫は天皇について「あの人は第一級の戦犯ですよ」と言う一方で、「天皇家というのは、(超大な力を持つ権力者を生まないための)ある種のブレーキの役割を果たしている」と指摘している。“天皇の軍隊”に苦しめられた戦中派の怨念を引きずっているとはいえ、右でも左でもなく現実的な人なのである。本の扉にある「大日本帝国」のセリフを引用しておく。

軍人の本分とは何ですか。
 祖国を守ることではありませんか。
 祖国とは何ですか。
 そこに住む人間たちではありませんか。
 こゝにも日本人がいる以上、こゝが祖国です。
 非戦闘員の日本人を守ることが、
 帝国軍人の本分ではありませんか。
 同胞を見殺しにして、司令部だけが生き残って、
 どこに勝利がありますか。
 そのような命令は自分は命令とは考えませんッ!

あるいは「二百三高地」であおい輝彦扮する下士官はこう言う。

自分は悔いることは毛頭ありません…
 最前線の兵には、体面も規約もありません。
 あるものは、生きるか死ぬか、それだけです…
 兵たちは…死んでゆく兵たちには、
 国家も軍司令官も命令も軍規も、そんなものは一切無縁です。
 焦熱地獄の底で鬼となって焼かれてゆく苦痛があるだけです…
 その苦痛を…部下たちの苦痛を…
 乃木式の軍人精神で救えますか!

僕は「二百三高地」を見た当時、いくら最前線の兵の悲劇に焦点を当てて紅涙を絞ろうと、映画が結局、乃木希典と明治天皇に集約されていくのであれば、それはまずいのではないかと思ったが、それは会社の(具体的には東映社長の岡田茂の)要請だったという。今になって考えてみれば、これと逆のことを感じる。いくら映画の結末が意に添わないものであっても、一つひとつの描写の真実が映画の総体を超えることもあるのだ。そして人は映画の全体ではなく、細部にこそ感動するのだ。細部にこそ真実はある。

笠原和夫はリアリズムを重視し、脚本を書くに当たって綿密な取材をしていた。「仁義なき戦い」の時はヤクザに、戦争映画や226事件を映画化するときには当時の関係者にくまなく当たっている。だから言葉に重みがある。昭和史の闇の部分が笠原和夫の言葉で語られると、非常に明確になってくる。脚本家にはジャーナリスティックな姿勢が必要だということを痛感させられる(いや、笠原和夫の仕事はマスコミよりもはるかに先行しているのである)。そして今の邦画界にこういうタイプの脚本家が皆無という現実を見ると、哀しくなってくる。

蛇足的に言えば、荒井晴彦が金大中事件を扱った「KT」の脚本を書いたのはこのインタビューの仕事が大きく影響しているのではないかと思う。それほど人を動かす力のある本なのである。

「物情騒然」

小林信彦が週刊文春に連載しているエッセイの4冊目。昨年1年間の世相や映画、芸能などについてまとめてある。大変面白く、一気に読んだが、「人生は五十一から」とサブタイトルにあると、20代の読者は買わないでしょうね。この連載も長くなった。かつてキネマ旬報に連載していた「小林信彦のコラム」同様、クロニクル的側面を備えるようになったと思う(もちろん、作者はそれを意図しているだろう)。しかも今回は政治・経済への目配りがより深い。

映画については「パール・ハーバー」と「千と千尋の神隠し」などについて触れている。「パール・ハーバー」は「2人の好青年が1人の看護婦をとり合うという<ロマンス>が、まず、限りなく陳腐である」と指摘している。これは当然だが、まいるのは後半の東京空襲(ドゥーリトル空襲)場面について体験に即して書かれていること。「被害の詳細がいっさい発表されなかったので、国民は少しもあわてなかった。逆に、アメリカの力はこの程度かと笑い、<ドゥーリトル空襲>というと、どじの代名詞のようになった。しかし、アメリカの執念を感じたのは、政府と軍部であった。<翼賛選挙>の最中でもあり、衝撃は底知れぬものがあった」。

「千と千尋の神隠し」は日本人の飽食への批判の視点があることを指摘した後、「一度観たきりなので、ディテイルで分からないところもあるのだが、久しぶりに<ちゃんとした日本映画>を観たという充足感があった」としている。

こういうしっかりした批評を読むと、なんだか安心する。映画評の価値というのは見る前のガイドとしての側面と、見た後に自分の抱いた感想を確認するためのものでもあるのだな、と改めて思う。そして映画評論家と称する人たちの言葉がますます信用できなくなった、というのを実感した。

世相に関しては同時テロや狂牛病、小泉内閣への批判があるが、切実なのは「失業という<痛み>」。小林信彦自身、2度の失業を経験しているのだ。特に2度目は結婚したばかりの時なので、クビを言い渡された後、なかなか家に帰れないエピソードが綴られる。今のリストラされたサラリーマンにはこたえるのではないか。

「とにかく、読んでみてください。ご損はさせないと思います」と前書きに書いてあるのは凄い自信だが、その通りだった。1カ所だけちょっと気になるところもあったが、まず買って損はないでしょう。