投稿者「hiro」のアーカイブ

「アイの物語」

「アイの物語」

「アイの物語」

フィクションが現実に影響を及ぼした例に「鉄腕アトム」がある。瀬名秀明が書いていたことだが、日本のロボット工学が世界で最も盛んなのは研究者の共通認識として子供のころに見た「鉄腕アトム」があるからだという。愛と平和を守るロボット。人間のためになるヒューマノイド型のロボットというキーワードでアトムが思い浮かぶ共通認識があるので、研究もそちらの方向に向かうことになる。フィクションは単なるエンタテインメントではない。時に現実を規定する力を持つことがある。「アイの物語」で山本弘が主張していることもフィクションのそうした力を信じることから生まれたのに違いない。戦争や犯罪のない平和な世界を築くために、人間には良い物語が必要なのだ。間違った考え方にとらわれた物語は人間とその社会を悪い方向に導いてしまう。

機械が地球を支配した遠い未来で、アンドロイドが語り部の青年に話をするという設定の下、7つの物語が語られる。著者自身の解説によれば、「人工知能や仮想現実を題材にしており、なおかつヒロインの一人称という共通点」がある3つの短編を一つにまとめて長編化する構想が生まれたのがこの作品の発端だという。雑誌に発表された5つの短編に、2つの中編「詩音が来た日」「アイの物語」が書き下ろされている。構成はレイ・ブラッドベリ「刺青の男」を参考にしたそうだ。

読み応えがあるのはこの2つの中編だが、5番目の短編「正義が正義である世界」はこの作品の基調をよく表している。昨年読んだ「MM9」と似た設定だ。長年のメル友である彩夏と冴子は違う世界に住んでいることが分かる。彩夏の住む世界は怪獣が出現し、それを倒すスーパーヒーローがいる世界。彩夏自身も正義の味方、スーパーヒーローだ。冴子のいる世界は人為的にばらまかれた新型インフルエンザで人類滅亡の危機に瀕している。「そんなひどいことをする悪者って誰? だいたいあなたの世界のスーパーヒーローは何やってるの」と彩夏はメールを打つ。それに対する冴子の返事。

「争っている人たちはお互いに、自分たちが正義だと主張してる。正義の名のもとに、民衆を力で弾圧する。正義の名のもとに、他の国にミサイルを打ち込む。正義の名のもとに、爆弾で罪もない市民を吹き飛ばす。みんなそれが悪だと思っていない。それが私たちの世界」

バーチャル世界、正義が正義である世界にいる彩夏には冴子のいるファースト世界(実世界)の在り方が理解できない。なぜ死んだらそれで終わりなのに、殺し合うのか。

「詩音が来た日」は介護ロボットの詩音を訓練する看護師・神原絵梨香の話。老健施設で働く絵梨香は詩音を人間らしくするためにさまざまなことを教える。やがて詩音はすべての人間は認知症であると結論する。紀元前30年ごろにパレスチナにいたヒレルというラビの「自分がして欲しくないことを隣人にしてはならない」という言葉を引いて絵梨香にこう言うのだ。

「これは単純明快で、論理的であり、なおかつ倫理も満足しています。ヒトは2000年以上前に正しい答えを思いついていたのです。すべてのヒトがこの原則に従っていれば、争いの多くは起こらなかったでしょう。実際には、ほとんどのヒトはヒレルの言葉を正しく理解しませんでした。『隣人』という単語を『自分の仲間』と解釈し、仲間でない者は攻撃してもいいと考えたのです。争いよりも共存の方が望ましいことは明白なのに、争いを選択するのです。ヒトは論理や倫理を理解する能力に欠けています。これが、私がすべてのヒトは認知症であると考える根拠です」

続く「アイの物語」で機械が地球を支配した経緯の真実が語られる。そしてその後のインターミッションで物語の力が語られることになる。

「私たちはもうこれを容認できない。この物語は好ましくない。ヒトを不幸にするだけで何ひとつ幸せをもたらさない物語。たとえ一時的に傷つけることになっても、彼らをそんな悪いフィクションから解き放たなくてはならないと決めたの」
彼女は真剣な表情で僕の顔を見つめた。
「ヒトに必要なのは、新たな物語なのよ」

最初の4つの短編はそれぞれに面白くてもそれほどの感慨はもたらさないが、作者の真摯な主張が詰まった最後の3編でこの作品は強力な説得力を備えた。胸が震えるような傑作。

本書のオビには「時をかける少女」の監督・細田守が「この話を映画にするにはどうすればいいか、ずっと考えている」という言葉を寄せている。山本弘のブログによると、細田守は単行本が出た際に律儀に読書カードを送ってきたのだそうだ。全部は無理だろうから最後の「アイの物語」とインターミッションだけでも映画化できないかと思う。

【amazon】アイの物語 (角川文庫)

「シャドウ・ダイバー」

「シャドウ・ダイバー」

「シャドウ・ダイバー」

1991年にアメリカのニュージャージー州沖合の海底で見つかったUボートの正体を追求するダイバーたちを描いた圧倒的に面白いノンフィクション。「深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち」という長いサブタイトルが付く。著者のロバート・カーソンは死と隣り合わせのディープ・レック・ダイビング(深海の沈没船ダイビング)を行うダイバーの行動と人柄、心情を詳細に描き、併せてUボートの若い乗組員たちの儚い運命を描き出す。これが一体となって胸に迫る読み物となった。優れたノンフィクションは膨大な取材なくしては生まれない。それを実感する優れた仕事だと思う。まるでドラマのような実話なのである。ピーター・ウィアーが映画化するそうだが、スリリングかつドラマティックな展開は映画に最適の題材だろう。

水深60メートル以上のダイビングはなぜ危険なのか。窒素酔いと減圧症の危険が避けられないからだ。著者は第2章「視界ゼロ」でレック・ダイビングの恐ろしさを徹底的に語る。

三気圧となる水深20メートルで、蓄積した窒素により、大半のダイバーに麻酔作用が現われはじめる。これが窒素酔いだ。窒素酔いは、酒に酩酊した状態に似ているという意見があれば、麻酔からさめるときに似ているとか、エーテルか一酸化窒素(笑気)を吸ったときのぼんやりした状態みたいだという意見もある。

水深60メートル以上になると、窒素酔いによって、恐怖、喜び、悲しみ、興奮、失望などの感情をいつものようにうまく処理できない。…深い海底の沈没船といった、たったひとつの不注意が死につながる状況では、判断力や感情や運動能力の欠漏が、あらゆることを悪化させる。

調査の過程で3人のダイバーが死ぬ。1人は深海のブラックアウトで、2人は恐らく窒素酔いによって正常な判断ができなくなり、急激な浮上によって引き起こされた減圧症で。こうした危険なレック・ダイビングを行うダイバーは全米に200-300人しかいないそうだ。本書の中心となるジョン・チャタトンとリッチー・コーラーは中でも優秀なレック・ダイバーだ。チャタトンの人柄はクライマックス、<U-Who>と名付けた正体不明のUボートの中で、爆発するかもしれない加圧酸素タンクを動かすためにハンマーを振るう場面で明確に分かる。

いまここを去れば、身体はひとつにつながったまま出られる。
彼は前に進んで、足場をさぐった。
ものごとが簡単に運ぶうちは、ひとは自分のことをほんとうにはわからない。
チャタトンは両手を広げて、なめらかな長い取っ手を握った。
もっともつらく苦しいときにどう行動するかで、そのひとの本性が分かる。
彼は、ハンマーを胸元に持ち上げた。
世の中のだれにでもそういう瞬間がくるとはかぎらない。
彼は、これまで以上に深く呼吸をした。
<U-Who>がおれの試練のときだ。
そして、酸素タンクのふたをねらって、大ハンマーの頭部を突きだした。
いま、おれがなにをするかで、おれという人間が決まる……。

大戦初期に華々しい成果を上げたUボートはアメリカによって対策を施された後、「鉄の棺」と呼ばれるようになる。乗組員たちの生存率が50%以下に落ちたからだ。当初は精鋭が乗ったが、後期は10代から20代の若者たちが乗り組み、次々に撃沈されて命を落とした。チャタトンらの調査によって<U-Who>はU-869という艦名であることが分かるが、その乗組員たちを描く第12章が秀逸だ。艦長のノイエルブルクは26歳。中には十代の乗組員もいた。彼らは戻らぬ覚悟をしてUボートに乗り組むことになる。著者は乗組員とその遺族の姿を穏やかな筆致で描いている。

チャタトンたちの調査がなければ、乗組員たちはどこで死んだかも分からないままになっていただろう。U-869の乗組員で、体調を崩して乗艦を免れたヘルベルト・グシェウスキーがドイツまで訪ねてきたリッチー・コーラーの去り際に言う。

彼が車のキーを手にしたとき、グシェウスキーが玄関のドアをあけて、寒い中を歩いてきた。上着は着ていなかった。彼は近づいてきて、コーラ-を両腕で包み込んだ。
「気にかけてくれてありがとう」グシェウスキーは言った。「わざわざ来てくれてありがとう」

U-869についてはアメリカのテレビ局PBSが「ヒトラーの忘れられた潜水艦」(Hitler’s Lost Sub)というノンフィクションを製作している(NOVA Online | Hitler’s Lost Sub)。DVDも発売されているが、日本語版はないようだ。YouTubeには調査過程を取り上げた動画がアップされており、ジョン・チャタトンとリッチー・コーラーの姿を見ることができる。

【amazon】シャドウ・ダイバー 上―深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち (ハヤカワ文庫 NF 340)

「中春こまわり君」

「中春こまわり君」

「中春こまわり君」

「がきデカ」の雑誌連載は調べてみると、1974年から81年まで。よく読んでいたのは中学、高校にかけてであり、大学では読まなかったので、さすがに最後の方は読んでいないだろう。と、それぐらい記憶があやふやなほど、昔の話だ。先日、酒の席で「あれは泣けますよ」と聞かされて、今年この単行本が出たことを知り、慌てて買った。「泣けますよ」はオーバーな表現だが、リアルタイムで読んでいた人にとって、懐かしさと切り離せない。雑誌連載時の読者は今、40代から50代であり、妻子を持つこまわり君の姿は自分と重ね合わせて「ああ、時は流れてしまった」との感慨を持たずにはいられないのだ。

といっても基本はギャグマンガである。収録されているのは「妻の帰還」(前後編、雑誌掲載2004年)「ジュン」(3話、2006年)「斬」(6話、2008年)「痛い風」(前後編、2008年)の4つ。いずれもビッグコミックに掲載された。こまわり君は金冠生生電器(きんかんなまなまでんき)という会社の営業部に勤め、西城君も同じ職場にいる。家族は妻の圭子と息子の登。西城君はやっぱりモモちゃんと結婚している。こまわり君が突然、動物になるなどのおなじみのギャグのパターンをちりばめて、かつての逆向小学校の面々の今の姿が描かれる。雑誌連載時にはモモちゃんより優しいジュンちゃんが好きだったが、そのジュンちゃんの不幸な境遇が描かれる「ジュン」が4話の中では一番面白かった。絵が欠かせない漫画のギャグを引用することほど分かりにくいものはないが、久しぶりに再会したこまわりとジュンのやりとり。

「ジュン」
「あ! ろまわり君。違った、え~~、地回り君だっけ。え~~と、え~~と、外回りでもないし、墓参りでもないし」
「わしの名前忘れてどうすんじゃーっ!」
「こまわり君」
「やっと分かったか」

こまわりはジュンの母親から手紙を預かっている。不幸な境遇を心配する内容かと思ったら、書かれていたのは「ジュンへ 半年前に貸した三万八千円返しておくれ 母より」。こういう感じでストーリーが進行する。

「がきデカ」を含めたこの作品についてはWikipediaが非常に詳しい。「クレヨンしんちゃん」が「がきデカ」の影響を受けているという指摘にはなるほどと思う。山上たつひこの作品は「がきデカ」と同時期に連載されていた「快僧のざらし」もよく読んでいた。反戦シリアス漫画の「光る風」はリアルタイムで時々読み、「がきデカ」がヒットした時に単行本3巻をまとめて読んだ。「光る風」が少年マガジンに連載されたのは1970年で、「左手にジャーナル、右手にマガジン」と言われた政治の時代にふさわしい作品だったのだと思う。

【amazon】中春こまわり君 (ビッグコミックススペシャル)

「路上のソリスト」

「路上のソリスト」

「路上のソリスト」

サブタイトルは「失われた夢 壊れた心 天才路上音楽家と私の日々」。ロサンゼルス・タイムズの記者とホームレスの音楽家との交流を描く。ジョー・ライトが監督した同名映画の原作となったノンフィクションで、そうでなければ、手には取らなかっただろう。著者がまえがきに書いているように、これは2005年から2007年までの2年間の物語であり、「この物語がこの先どうなるかのかは分からない」。フィクションのようにすべてが丸く収まったハッピーエンドを迎えるわけではないのだ。文体は平易で読みやすいけれども、文章的に強く印象に残る部分は個人的にはあまりなかった。それでも統合失調症やホームレスの問題を提起した内容は読ませるし、現状を伝えることには意味がある。

コラムの題材を探していたスティーヴ・ロペスはホームレスがたむろするスキッド・ロウで弦が2本しかないバイオリンを弾く五十代のホームレス、ナサニエル・アンソニー・エアーズと出会う。ロペスは音楽には素人だったが、心ひかれるものを感じた。これはコラムに書けると思ったロペスは何度もナサニエルのもとに通うようになり、ナサニエルがニューヨークの有名な音楽学校ジュリアードの出身であることが分かる。ナサニエルはジュリアード在学中に統合失調症となり、退学した。それでも音楽への夢をあきらめられずに、というより、音楽を心のよりどころとして、路上でバイオリンを奏でているのだった。ナサニエルについて書いたコラムは反響を呼び、支援のためのバイオリンやチェロが送られてくる。ロペスは危険な路上ではなく、心を病んだホームレスを支援するアパートにナサニエルが住むように勧めるが、ことはそう簡単には運ばなかった。

こういう物語を読んで思うのは数多くのホームレスの中から1人だけを救済することに意味があるのかということ。蜘蛛の糸にしがみついたカンダタがそうであったように、ナサニエルも他のホームレスたちに理不尽な怒鳴り声をあげる。起伏の激しい言動は病気のためであるにせよ、人間的にも問題があるのである。著者自身、ラスト近くで「もう1回でもここに来てみろ、それがてめえの最後だ」との罵声を浴びせられる。それで交流が終わらなかったのは著者がナサニエルに対して友情を感じていたからだ。ロペスとナサニエルのほかに、この物語にはホームレスや統合失調症の人を支援する人々が描かれる。こうした人たちの粘り強い活動がなければ、現状の改善は進まない。1人でできることには限界がある。しかし、何もやらないよりはやった方がいい。

ナサニエルのジュリアード時代の同期には世界的なチェリストのヨーヨー・マがいた。終盤にあるヨーヨー・マとナサニエルが会うシーンはこのチェリストの穏やかな人間性がうかがえる。

「あなたに会ったことがどういう意味を持つかを、いいますよ」とヨーヨー・マはミスター・エアーズの目をまっすぐに見て言った。「それは、ほんとうに、心から音楽を愛している人と会ったということなんです。わたしたちは兄弟なんですよ」

人間性と言えば、本書の前半で統合失調症についてのトム・クルーズの発言を著者は強く批判している。クルーズはテレビのショーでこう言ったそうだ。

「ぼくは一度も精神医学などというものを認めたことはない」とクルーズは『トゥデイ』のホスト、マット・ロウアーに話した。「サイエントロジストになる前にも、ぼくは一度も精神医学を認めたことはない。さらに精神医学の歴史を勉強しはじめてからは、どうして自分が心理学を信じなかったかがますますよく理解できるようになったよ」。

統合失調症は「ドーパミンと呼ばれる神経伝達物質の機能不全を含め、さまざまな異常が起こる生物学的な脳の障害が起こり、そのために妄想や現実がゆがんで見えたりするようになることが研究の結果明らかになっている」そうだ。クルーズのような有名な俳優がテレビで間違った自説を披露することほど有害なものはない。

【amazon】路上のソリスト

「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」

「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」

「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」

タイトルロールのドラゴン・タトゥーの女、リスベット・サランデルがすこぶる魅力的だ。身長154センチ、体重42キロ。小柄で24歳なのに14歳ぐらいにしか見えない。背中にはドラゴンの刺青、顔にピアス。黒いTシャツに革ジャンのパンクルック。中学校中退。感情表現が欠如し、上司を絶望の淵に追い込むほど協調性がない。社会不適格者。しかし、こういう外見、性格からは想像がつかない天才的なリサーチャーで、驚異的なハッカーの技術を駆使して調査の相手を裏も表も綿密に調べ上げる。物語の主人公は雑誌「ミレニアム」の編集者ミカエル・ブルムクヴィストだが、リスベットが出て来た途端に話は溌剌とする。リスベットのキャラクターを創造したことで、この小説の成功は決まったようなものだっただろう。作者のスティーグ・ラーソンが第2部「ミレニアム2 火と戯れる女」でリスベットを主人公にしたのは当然だと思える。

ミカエルは大物実業家のヴェンネルストレムの悪事について書いた記事が事実無根と訴えられ、名誉毀損で有罪となった。ミカエルは事情があって控訴せず、雑誌社をしばらく離れることになる。そこへ大手企業の前会長ヘンリック・ヴァンゲルが声をかけてくる。兄の孫娘で1966年に失踪したハリエットについて調べて欲しいというのだ。ハリエットは殺されたらしいが、死体は見つかっていない。ヴェンネルストレムはかつてヴァンゲルの会社にいたことがあり、そこでも悪事を働いたらしい。その悪事を教えるということを条件にミカエルは調査を始める。やがて、ハリエットの失踪は猟奇的な連続殺人事件に関係していることが分かってくる。果たして犯人は誰なのか。調査能力を買われたリスベットもミカエルに協力し、約40年前の事件の真相に迫っていく。

物語の真ん中に猟奇的殺人事件、その前後にヴェンネルストレムとミカエルの確執を置いた構成。殺人事件だけだったら、よくあるサイコものに終わっていただろうが、ミカエルのジャーナリストとしての意地とその人間関係を描くことで充実したエンタテインメントになっている。

43歳のミカエルと娘ほども年齢の異なるリスベットは調査を進めるうちに親しくなっていく。そしてリスベットは自覚する。

クリスマスの翌日の朝、彼女にとってすべてが恐ろしいほど明瞭になった。どうしてこんなことになったのか分からない。二十五年の人生で初めて、彼女は恋に落ちたのだ。

当初は5部作の予定だったらしいが、作者は第4部の執筆にかかったところで急死した。3部まででも話は完結しているとのことなので、安心して第2部を読みたい。

第1部は映画化されており、IMDB(Män som hatar kvinnor)では7.8の高得点。予告編を見ると、原作よりもサスペンスタッチ、猟奇的なタッチを強調した作品になっているようだ。リスベットのイメージも原作とは違う。スウェーデン映画なので、日本公開の予定があるかどうかは分からないが、ぜひ公開してほしいところだ。
【amazon】ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 上