ミステリー」カテゴリーアーカイブ

「オッド・トーマスの霊感」

「オッド・トーマスの霊感」

「オッド・トーマスの霊感」

ミステリマガジン5月号でディーン・クーンツの熱烈なファンである瀬名秀明が「クーンツの集大成」と絶賛しているのが頭にあったので、先日、書店で見かけた際に買った。本書の解説も瀬名秀明が担当している。霊が見える青年が主人公の物語。それは「シックス・センス」のハーレイ・ジョエル・オスメントじゃないか、目新しい題材じゃないなと読む前は思い、それほど読む気にもならなかった。さすがクーンツだけに、あんな見始めて10分でネタが分かるような映画の二の舞にはなっていなかった。読み始めたら止まらないノンストップのサスペンス。

オッド・トーマスは死者の霊が見えるだけではない。人の死と結びつくボダッハと呼ばれる黒い悪霊が見える。ボダッハは人に危害は加えないが、人が暴力的な死を迎える際に集まり、そこから「なんらかの方法で栄養を吸収する」存在だ。だからボダッハが多く集まった所では近く災厄が起きる。ボダッハは殺人を犯す人間の周囲にも集まる。オッド・トーマスはダイナーで働く20歳を少し越えたばかりの青年。オッドが働くダイナーにある日、風変わりな客が来る。「異様に青白い顔の、ぼやけた目鼻立ち」の男はキノコを連想させた。そのキノコ男の周りに20匹を超えるボダッハが集まってきた。

男が町に災厄をもたらすと直感したオッドは男の住む家を調べ、男がエド・ゲインやチャールズ・マンソンら猟奇的な殺人者を崇拝していることを知る。そして8月15日に何かとんでもない災厄が起こると判断し、それを防ぐために奔走する。プロットはストレートだが、この物語が読ませるのはオッドとその周囲の人間たちが魅力的だからだ。

オッドは自分勝手で育児を放棄した最低の両親から生まれた。両親は今も健在だが、離婚しており、オッドも一緒には暮らしていない。本書の後半で、オッドは事件の手がかりを求めて父と母のもとを訪ねる。オッドが近く結婚すると聞いた母親は最初は祝福するが、頼みを持ち出した途端に怒り始める。他人と関わり合うのを嫌い、常軌を逸しているのだ。母親は憎悪をむき出しにしてこう言う。

「あんたが死んで生まれればいいって、あたしは何度も何度もそんな夢を見たのよ」
ぼくは震える体で立ち上がり、慎重にポーチの階段をおりはじめた。
ぼくの背後で、母は彼女にしかできないやり方で狂気のナイフを振るっていた。「あんたを身ごもっているあいだじゅう、あんたはあたしのなかで死んでると思っていた、死んで腐ってしまったって」

「あたしのなかで死んでたのよ」彼女は繰り返した。「何ヵ月も何ヵ月も、あたしのおなかのなかで死んだ胎児が腐って、あたしの身体じゅうに毒をばらまいていたのよ」

だからオッドにとっては恋人のストーミー・ルウェリンが心の支えだ。ストーミーは幼い頃に両親を事故で失い、孤児院で育った。オッドとストーミーはジプシーのミイラと呼ばれる占いの機械で「一生離れられない運命にある」との占いが出た。結婚に明確な返事をしてこなかったストーミーは事件が進む中でオッドのプロポーズを受け入れる。このほかオッドの能力を知る警察署長のワイアット・ポーター、アパートの大家でオッドを息子のように思っているロザリア・サンチェス、ダイナーの経営者のテリ・スタンボー、巨漢のミステリ作家リトル・オジーらがオッドのよき理解者となっている。

瀬名秀明は解説に「オッド・トーマス、きみは21世紀のヒーローだ」と書いている。オッドは霊を見ること以外に超人的な能力はなく、相手の攻撃に傷つきながらも災厄を防ぐために全力を挙げるのだ。本書はシリーズ化され、アメリカでは現在までに4作が出版されている。クーンツによれば、6作か7作になる予定という。シリーズの行く末を見極めたくなる面白さだった。瀬名秀明が解説で紹介しているオッド・トーマスの公式サイトはoddthomas.tvで、シリーズゼロのビデオを見ることができる。
【amazon】 オッド・トーマスの霊感 (ハヤカワ文庫 NV ク 6-7)

「川は静かに流れ」

「川は静かに流れ」

「川は静かに流れ」

MWA最優秀長編賞受賞作。5年ぶりに故郷に帰ってきた主人公が車を傷つけられたことで、3人の男と殴り合う場面から一気に引き込まれた。なぜこんなに引きつけられるのかと考えながら読む。著者のジョン・ハートは簡潔な文体と深い人間描写で物語を語っていく。この優れた文体と描写の力が引き込まれる主な要因だろう。読み終わって、ため息をつきたくなるような深い満足感が残った。同じプロットを他の作家が書いたにしても、これほどの小説になったかどうか。

読みながら思ったのはロス・マクドナルドのような小説だなということ。家族の悲劇とその原因を解き明かしていく物語だからだ。主人公のアダム・チェイスは5年前、殺人の濡れ衣を着せられて逮捕された。アダムと仲の悪かった継母のジャニスが、「アダムは血まみれで帰って来た」と証言したためだ。裁判では無罪になるが、町の人たちは疑いを持ち続ける。故郷にいられなくなったアダムは1人でニューヨークに逃れる。5年ぶりに故郷に帰ってきたのは親友のダニー・フェイスから帰るように電話で頼まれたからだ。しかし、帰る早々、またもや殺人事件が起き、アダムは警察から疑いをかけられる。

アダムの母親はアダムが8歳のころ、目の前で頭を撃って自殺した。母親は妊娠と流産を繰り返し、体も精神も衰弱していた。アダムはその原因が父親にあると思った。加えて父親が自分よりも、自分に不利な証言をしたジャニスを信用したことで、父親との仲は決裂した。

その父親との関係がこの小説の一つのポイントでもある。アダムのかつての恋人で警察官のロビンは、父親にアダムが帰ってきたことを知らせる。「親父はどんな様子だった」との問いに対し、ロビンはこたえる。

「控えめで凜としていたけど、あなたが帰って来たことを告げると泣き出した」
僕は懸命に驚きを隠した。「ショックを受けたということか?」
「そういう意味で言ったんじゃない」
僕は息を殺した。
「うれしくて泣いたんだと思う」
僕がなにか言うのをロビンが待っているのはわかっていたが、まともな言葉が見つからなかった。僕の目にも涙がこみあげてきたのを悟られたくなくて、僕は窓の外に目をやった。

5年前の殺人事件は現在の殺人事件とつながっていく。さらに複雑な人間関係も明らかになっていく。現在の悲劇が過去の出来事につながっているというのはこうしたミステリの常套的な展開だが、ありふれた小説にならなかったのは著者の筆力によるものだろう。結末の驚きをアピールするミステリは多いけれど、僕はこうした小説が好きだ。

ジョン・ハートのデビュー作でMWA最優秀新人賞を受賞した「キングの死」が読みたくなったので、amazonを探したが、品切れ。しょうがないので久しぶりにハヤカワ・オンラインに注文した。1冊だと送料がかかるので、ピーター・ウィアーが映画化するというノンフィクション「シャドウ・ダイバー」もついでに頼んだ。

【amazon】川は静かに流れ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

「告白」

「告白」

「告白」

「告白」は週刊文春ミステリーベストテン1位、「このミス」では4位だった。6章から成っていて、1章あたり50ページ足らず。これなら体力なくても読みやすい。第1章の「聖職者」は小説推理新人賞受賞作。ある中学校の女性教師が終業式の日、1年生のクラスの生徒の前で教師を辞めると語り始める。その理由は彼女の4歳の娘が学校のプールで水死体で発見されたことだった。娘はプールのそばにある家の犬にえさをやろうとして、プールに落ちたらしい。警察は事故死と断定する。しかし、女性教師は「娘は殺された。犯人は2人。このクラスの中にいる」と指摘する。

この1章だけ取り上げれば、女性の心理とか執着、恨みとかが凝縮されて、いかにも女性作家らしい作品だなと思う。よくまとまっていて、新人賞としておかしくない。嫌な気分にさせるミステリを嫌ミスと言うそうだが、そこまではないかもしれない。決着に疑問はあるけれども、これはこれで良いと思う。

第2章の「殉教者」、個人的にはこれが一番面白かった。クラスは2年に進級し、大学を出たばかりの脳天気な男性教師が担任になる。犯人2人のうち、1人は不登校になったが、もう1人の主犯格の少年は以前と変わらず登校してくる。クラスの生徒は彼を無視し、やがて堰を切ったようにいじめが始まる。男性教師は不登校の生徒を登校させようと、委員長を伴って家に行くようになるが、それが悲劇を引き起こす。この章は委員長の女子生徒の視点で語られる。いじめに加われず、少年をかばった委員長もまたいじめの対象になる。やがて委員長は少年の意外な素顔を見て好意を持ち始める。ここは重松清「きみの友だち」を彷彿させるが、あの小説のいじめよりもっと陰湿だ。

3、4、5章はそれぞれ事件の関係者の別の視点で語られていく。そして6章で再び女性教師が登場し、残酷な結末を迎えることになる。一気に読める小説だが、僕は所々に歪さを感じた。第1章の「聖職者」を書いた時点でこういう連作にする意図があったかどうかは分からないが、必ずしも成功していないように思う。木に竹を接いだ感じを受けるのだ。ミステリ風味も3章以降は薄い。個人的に嫌ミスもあまり好きではない。

3章までは小説推理に掲載され、あとの3章は書き下ろし。全編書き下ろしならまた違った感じになったかもしれない。それにしても新人とは思えない作品なので、2作目以降には期待できるのではないか。ちなみに本の帯にある読者の感想は当たり前だけれども、いずれも褒めすぎ。ミステリをあまり読んでいない人たちが書いたとしか思えない。

「チャイルド44」

最近、こんなに夢中になって読んだ本も珍しい。旧ソ連、スターリン政権下で起きる連続殺人を描いているが、本筋はサイコミステリではない。国家保安省(KGBの前身)のエリートだった主人公が卑劣な部下の罠にはめられ、地方の民警に飛ばされて殺人事件に遭遇するという設定の中で、主人公が人間性と妻の愛を取り戻す様子を描くのが本筋なのだ。優れたスパイ・冒険・スリラー小説に贈られるCWA(英国推理作家協会)スティール・ダガー賞を受賞していることから分かるように、これはほとんど冒険小説。再生していく主人公レオとその妻ライーサの毅然とした姿に強く心を揺さぶられる。

一度疑われたら終わりという監獄のような社会の怖さ。上巻のほとんどを費やして描かれるのはその社会の異常さだ。飢えた兄弟が猫を捕まえようとする出だしから引き込まれ、ページを繰る手が止まらない。上巻は100点満点。死と隣り合わせの中で事件を捜査するレオを描く下巻はミステリ部分がうまく進みすぎるきらいがあるが、それは処女作であるがゆえの瑕疵と言うべきか。「ウォッチメイカー」に感じた、人間が描かれていないという不満はここにはまったくない。

レオの年老いた両親は恵まれた暮らしをしていたが、レオの降格で狭くて汚い共同住宅に移され、重労働を課せられる。レオとライーサは密かに両親のもとを訪ね、その悲惨な境遇に涙する。「おれがもっといいところに住めるようにしなくちゃいけなかったのに」と言うレオに対して母親のアンナはこう答える。

「それはちがうわ、レオ。聞いてちょうだい。わたしたちがおまえを愛してるのはおまえがわたしたちにいろいろとしてくれるからだって、おまえはいつもそんなふうに思い込んでる。子供の頃でさえそうだった。それはちがうわ。おまえはもっと自分の人生に目を向けるべきよ。わたしたちはもう歳なんだから、どこに住もうと大したことじゃない。今だってわたしたちが生きていられるのは、おまえから何か知らせがないかって、それを待つことができたからよ。… (中略)レオ、おまえを心から愛してる。おまえはずっと母さんの誇りだった。おまえが仕えた政府がもっといい政府だったらよかったのに。そういうことよ」

登場人物の隅々にまで目を配った傑作。冒険小説と銘打ってはいないが、冒険小説ファンは読まなくてはいけない本だと思う。著者のトム・ロブ・スミスは1979年生まれ。既に次作「Secret Speech」が完成しており、来年出版される。楽しみに待ちたい。ちなみに本書はリドリー・スコット監督によって映画化が決まっているそうだ。こちらも楽しみ。

【amazon】チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

「ウォッチメイカー」

「ウォッチメイカー」

「ウォッチメイカー」

ディーヴァーの小説は「ボーン・コレクター」は持っているが、読んでいない(デンゼル・ワシントン、アンジェリーナ・ジョリー主演で映画化されたが、これまたテレビでちらりと見ただけ)。2005年に出た短編集「クリスマス・ストーリー」は途中まで読んだ。短編で感じたのはそのどんでん返しの鮮やかさ。ナイフの切れ味のような鮮やかさだなと思った。といっても、これも11編読んで中断している。あと5編残っているので、これから読もう。

で、「ウォッチメイカー」。もうこれは終盤の展開に唖然とする。どんでん返しは1回だけだからどんでん返しなのだが、ストーリーがこれほど3回も4回もひっくり返る話も珍しい。ディーヴァーは「これぐらいツイストしなきゃミステリじゃない」と思っているのだろう。

時計に執着を持つウォッチメイカーと名乗る殺人鬼を四肢麻痺のリンカーン・ライムが追い詰める。という風に序盤は始まる。サイコな話かと思ってしまうが、そんな単純な話ではない。ライムの相棒であるアメリア・サックスは単独でニューヨーク市警の腐敗を捜査する。別々の事件に見えて、これが絡んでくるのは想像つくのだが、そこから先は感心するほかない。サービス精神の旺盛な作家なのだ。ここまでひねるのは。

だが、読み終えて何が残るかというと、ああ面白かったという感想しか残らない。エンタテインメントはそれで良いのだが、なんというか、野暮を承知で言えば、人間のドラマをもう少し描いてほしいと思えてくるのだ。キャラクターが立っているというのとは別に人間のドラマの深みが欲しくなる。そういうのは別の小説を読めば済むことなんだけど。ミステリの中にもそういう小説はある。

といっても十分面白かったので、家にある「ボーン・コレクター」も読んでみようと思う。