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「ユダヤ警官同盟」

「ユダヤ警官同盟」

「ユダヤ警官同盟」

「とてつもないミステリ、上陸」と大書されたオビには「ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞三冠制覇」ともある。SFの主要な賞を制覇したうえに、2008年のエドガー賞(MWA最優秀長編賞)の最終候補にも残ったそうなのである。だからSF、ミステリの両方にアピールするこういうオビになったのだろう。もっとも、エドガー賞最終候補(MWAホームページ参照)の中には「川は静かに流れ」があったので、受賞できなかったのは当然と思う。

僕はミステリとしてよりもSF3賞受賞作のつもりで読んだ。2007年、アラスカの太平洋岸に近いバラノフ島が舞台。ここは第二次大戦前にドイツで迫害を受けたユダヤ人を受け入れる土地としてアメリカが用意したが、1948年、イスラエルが建国後3カ月で崩壊したために大量の難民が流入し、人口300万人を超えている。島はユダヤ人自治区となり、シトカ特別区と呼ばれている。こうした架空の設定の下、ホテルで薬物中毒の男が殺害される事件が起きる。同じホテルを定宿にしていた酒浸りの殺人課刑事マイヤー・ランツマンが事件の捜査を始める。

設定はSFだが、SF的なアイデアの発展はない。ミステリとして優れているわけでもない。オビに書いてあるようなハードボイルドでさえない。おまけに100ページ読んでも面白くならない。上巻を読み終わっても面白くなく、下巻に入って少し面白くなったかという程度。これはこちらのユダヤ人(問題)に対する知識が不足しているためもあるだろうが、エンタテインメントを期待して読むと、途中で放り出す人がいるのではないか。ユダヤ人向けの小説なのだと思う。

下巻が面白くなるのは主人公が危機に陥るのと、殺人事件の背景、聖地に帰ろうとするユダヤ人たちの動きが出てくるからだが、これも大きく盛り上がるわけではない。タイトルの「ユダヤ警官同盟」とはユダヤ人警官のための国際的な友誼団体エサウの手のこと。この団体の会員証には捜査上の権限など何もないが、銃撃事件で停職となり、警察バッジを取り上げられた主人公は捜査のためにバッジ代わりとして苦し紛れに使うのだ。だから内容に深く関係しているわけではない。

あとがきを書いている訳者の黒原敏行は同じような歴史改変SFの例としてフィリップ・K・ディック「高い城の男」、思考実験のSFとして小松左京「日本沈没」を挙げている。僕はこの2冊のどちらも面白かった。特に前者はナチス・ドイツが勝った世界を舞台にストーリーが進行しながら、終盤に主人公が世界の揺らぎを感じる場面(ナチスが負けた世界を見る場面)があって、いかにもSFだった。ディックだから当たり前である。

作者のマイケル・シェイボンは元々は純文学作家でピューリッツアー賞も受賞しているが、純文学にとどまらず、境界侵犯的(トランスグレッシブ)小説を書いているという。本書もSFとミステリに境界侵犯した本。個人的には境界侵犯の仕方が足りないと思う。純文学的側面が優れているとも思えない。ミステリで純文学なら、ケム・ナンのあの瑞々しい傑作「源にふれろ」ぐらいの充実度が欲しくなる。SF3賞受賞もユダヤ人の力が働いたためではないかと思えてくる。

ジョエル&イーサン・コーエン兄弟が映画化の予定とのことだが、IMDB(The Yiddish Policemen’s Union )にも詳しい情報はなく、まだ計画段階。公開は2010年以降になるらしい。

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「オッド・トーマスの霊感」

「オッド・トーマスの霊感」

「オッド・トーマスの霊感」

ミステリマガジン5月号でディーン・クーンツの熱烈なファンである瀬名秀明が「クーンツの集大成」と絶賛しているのが頭にあったので、先日、書店で見かけた際に買った。本書の解説も瀬名秀明が担当している。霊が見える青年が主人公の物語。それは「シックス・センス」のハーレイ・ジョエル・オスメントじゃないか、目新しい題材じゃないなと読む前は思い、それほど読む気にもならなかった。さすがクーンツだけに、あんな見始めて10分でネタが分かるような映画の二の舞にはなっていなかった。読み始めたら止まらないノンストップのサスペンス。

オッド・トーマスは死者の霊が見えるだけではない。人の死と結びつくボダッハと呼ばれる黒い悪霊が見える。ボダッハは人に危害は加えないが、人が暴力的な死を迎える際に集まり、そこから「なんらかの方法で栄養を吸収する」存在だ。だからボダッハが多く集まった所では近く災厄が起きる。ボダッハは殺人を犯す人間の周囲にも集まる。オッド・トーマスはダイナーで働く20歳を少し越えたばかりの青年。オッドが働くダイナーにある日、風変わりな客が来る。「異様に青白い顔の、ぼやけた目鼻立ち」の男はキノコを連想させた。そのキノコ男の周りに20匹を超えるボダッハが集まってきた。

男が町に災厄をもたらすと直感したオッドは男の住む家を調べ、男がエド・ゲインやチャールズ・マンソンら猟奇的な殺人者を崇拝していることを知る。そして8月15日に何かとんでもない災厄が起こると判断し、それを防ぐために奔走する。プロットはストレートだが、この物語が読ませるのはオッドとその周囲の人間たちが魅力的だからだ。

オッドは自分勝手で育児を放棄した最低の両親から生まれた。両親は今も健在だが、離婚しており、オッドも一緒には暮らしていない。本書の後半で、オッドは事件の手がかりを求めて父と母のもとを訪ねる。オッドが近く結婚すると聞いた母親は最初は祝福するが、頼みを持ち出した途端に怒り始める。他人と関わり合うのを嫌い、常軌を逸しているのだ。母親は憎悪をむき出しにしてこう言う。

「あんたが死んで生まれればいいって、あたしは何度も何度もそんな夢を見たのよ」
ぼくは震える体で立ち上がり、慎重にポーチの階段をおりはじめた。
ぼくの背後で、母は彼女にしかできないやり方で狂気のナイフを振るっていた。「あんたを身ごもっているあいだじゅう、あんたはあたしのなかで死んでると思っていた、死んで腐ってしまったって」

「あたしのなかで死んでたのよ」彼女は繰り返した。「何ヵ月も何ヵ月も、あたしのおなかのなかで死んだ胎児が腐って、あたしの身体じゅうに毒をばらまいていたのよ」

だからオッドにとっては恋人のストーミー・ルウェリンが心の支えだ。ストーミーは幼い頃に両親を事故で失い、孤児院で育った。オッドとストーミーはジプシーのミイラと呼ばれる占いの機械で「一生離れられない運命にある」との占いが出た。結婚に明確な返事をしてこなかったストーミーは事件が進む中でオッドのプロポーズを受け入れる。このほかオッドの能力を知る警察署長のワイアット・ポーター、アパートの大家でオッドを息子のように思っているロザリア・サンチェス、ダイナーの経営者のテリ・スタンボー、巨漢のミステリ作家リトル・オジーらがオッドのよき理解者となっている。

瀬名秀明は解説に「オッド・トーマス、きみは21世紀のヒーローだ」と書いている。オッドは霊を見ること以外に超人的な能力はなく、相手の攻撃に傷つきながらも災厄を防ぐために全力を挙げるのだ。本書はシリーズ化され、アメリカでは現在までに4作が出版されている。クーンツによれば、6作か7作になる予定という。シリーズの行く末を見極めたくなる面白さだった。瀬名秀明が解説で紹介しているオッド・トーマスの公式サイトはoddthomas.tvで、シリーズゼロのビデオを見ることができる。
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「川は静かに流れ」

「川は静かに流れ」

「川は静かに流れ」

MWA最優秀長編賞受賞作。5年ぶりに故郷に帰ってきた主人公が車を傷つけられたことで、3人の男と殴り合う場面から一気に引き込まれた。なぜこんなに引きつけられるのかと考えながら読む。著者のジョン・ハートは簡潔な文体と深い人間描写で物語を語っていく。この優れた文体と描写の力が引き込まれる主な要因だろう。読み終わって、ため息をつきたくなるような深い満足感が残った。同じプロットを他の作家が書いたにしても、これほどの小説になったかどうか。

読みながら思ったのはロス・マクドナルドのような小説だなということ。家族の悲劇とその原因を解き明かしていく物語だからだ。主人公のアダム・チェイスは5年前、殺人の濡れ衣を着せられて逮捕された。アダムと仲の悪かった継母のジャニスが、「アダムは血まみれで帰って来た」と証言したためだ。裁判では無罪になるが、町の人たちは疑いを持ち続ける。故郷にいられなくなったアダムは1人でニューヨークに逃れる。5年ぶりに故郷に帰ってきたのは親友のダニー・フェイスから帰るように電話で頼まれたからだ。しかし、帰る早々、またもや殺人事件が起き、アダムは警察から疑いをかけられる。

アダムの母親はアダムが8歳のころ、目の前で頭を撃って自殺した。母親は妊娠と流産を繰り返し、体も精神も衰弱していた。アダムはその原因が父親にあると思った。加えて父親が自分よりも、自分に不利な証言をしたジャニスを信用したことで、父親との仲は決裂した。

その父親との関係がこの小説の一つのポイントでもある。アダムのかつての恋人で警察官のロビンは、父親にアダムが帰ってきたことを知らせる。「親父はどんな様子だった」との問いに対し、ロビンはこたえる。

「控えめで凜としていたけど、あなたが帰って来たことを告げると泣き出した」
僕は懸命に驚きを隠した。「ショックを受けたということか?」
「そういう意味で言ったんじゃない」
僕は息を殺した。
「うれしくて泣いたんだと思う」
僕がなにか言うのをロビンが待っているのはわかっていたが、まともな言葉が見つからなかった。僕の目にも涙がこみあげてきたのを悟られたくなくて、僕は窓の外に目をやった。

5年前の殺人事件は現在の殺人事件とつながっていく。さらに複雑な人間関係も明らかになっていく。現在の悲劇が過去の出来事につながっているというのはこうしたミステリの常套的な展開だが、ありふれた小説にならなかったのは著者の筆力によるものだろう。結末の驚きをアピールするミステリは多いけれど、僕はこうした小説が好きだ。

ジョン・ハートのデビュー作でMWA最優秀新人賞を受賞した「キングの死」が読みたくなったので、amazonを探したが、品切れ。しょうがないので久しぶりにハヤカワ・オンラインに注文した。1冊だと送料がかかるので、ピーター・ウィアーが映画化するというノンフィクション「シャドウ・ダイバー」もついでに頼んだ。

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「鴨川ホルモー」

極めて鈍感な主人公は楠木ふみがなぜ、京大青竜会を二分させるのに三好兄弟を説得したのか分からない。その前になぜ、楠木ふみが自分に賛同したのかが分からない。「ひょっとして、楠木も芦屋のことが好きだったりして?」。そう言った後に楠木ふみがみるみる泣きそうになってもまだ分からない。いや、むしろ誤解する。これは図星だったために泣きそうになったのだと。

「すまない……俺が無神経だった。このとおりだ。ごめん――」
「違う」
彼女は唇を噛みながら、激しく首を振った。

「鴨川ホルモー」

「鴨川ホルモー」

結局のところ、「鴨川ホルモー」という小説はこういう展開に尽きる。二浪して京大に入った主人公は勧誘されたサークルの京大青竜会のコンパで素晴らしい鼻を持つ早良京子に一目惚れする。鼻フェチなのである。紆余曲折があって、主人公は失恋し、ライバルの芦屋と一緒のサークルにいることが耐えられなくなり、青竜会を二分させることにするのだ。それになぜか、大木凡人に似た髪型で眼鏡の楠木ふみが賛同してくれる。

奇想天外な設定でくすくす笑える場面が多くても、この小説はこういう極めて普通の青春小説に着地する。SF的な展開が抑えられているので、SFファンとしては物足りないのだけれど、この展開も悪くない。コメディの装いではあっても、青春小説の本筋からは離れないのだ。だから、次のような一節も実にぴったり来る。オニ(式神)を操って戦う競技ホルモーの最強の相手、芦屋に対して仲間たちが少しもひるまない様子を見て、主人公はこう思う。

高村や三好兄弟や楠木ふみが、あれほど強い気持ちを持ってるのはなぜか?
それは――彼らは信じているからだ。彼らは自分の力を信じている。何よりも、彼らは仲間の力を信じている。芦屋より強いか弱いかなどという、つまらない比較はハナからそこに存在しない。

映画の「鴨川ホルモー」に欠けていたのはこういう部分だったように思う。この原作も映画同様に僕は絶賛はしないけれど、映画にはないエピソードもあり、楽しく読めた。主人公の名前が安倍晴明を思わせる安倍明であることの意味が映画では何ら説明されなかったが、小説では最後の方にちゃんと説明されていた。

「20世紀の幽霊たち」

「20世紀の幽霊たち」

「20世紀の幽霊たち」

会社のそばの大きな書店に行って、「鴨川ホルモー」と「ミレニアム2 水と戯れる女」を買う。「鴨川ホルモー」は長男に貸したら、2時間ほどで読んでしまった。薄い本だからそんなものでしょう。面白かったそうだ。「ミレニアム2」は引っ越しの荷物のうち、本の詰まった段ボールの中から「ミレニアム」をまず探してから読まねば。家内は「ミレニアム」を読んでいて、やはり面白かったとのこと。

大きな書店は本がたくさんあって良いのだが、目当ての本を探すのが面倒(検索もできるんですけどね)。ついついamazonや楽天ブックスに注文してしまう。ただし、楽天ブックスはやや信用がおけず、在庫ありと書いてあって注文したら、なかったということがある。というか、今日もそういうメールが来た。注文したのは「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」。「お客様のご注文と同時期に、弊社の在庫を上回るご注文を承ってしまい、 商品の発送がかなわない状況となりました」そうだが、本当かな。

「20世紀の幽霊たち」を買ったのは1月。先月から寝る前に少しずつ読んで、ようやく読み終わった。ホラーから純文学まで入った短編集。17編収録されており、どれも一定水準以上のレベルを保っている。序文の中でクリストファー・ゴールデンは「おとうさんの仮面」「自発的入院」を高く評価しているが、僕が個人的に気に入ったのは「ポップ・アート」と「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」「蝗の歌をきくがよい」の3つ。

「ポップ・アート」は風船人間が登場するあり得ない設定だが、にもかかわらず、風船人間と親友になった少年の視点から描いて瑞々しく感動的な話に仕立てている。あり得ない設定で感動させる手腕は大したもので、大森望の訳も良い。

「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」は映画「ゾンビ」の撮影現場が舞台。ジョージ・A・ロメロとトム・サヴィーニも登場する。主人公のボビーはコメディアンを目指していたが、夢破れて故郷に帰る。そして映画の撮影現場でかつての恋人ハリエットと再会するのだ。ハリエットは既に結婚していて、子供にボビーという名前を付けていた。しかも夫は一見してさえない風貌だった。2人の過去と現在を描写しながら、再生と希望のラストにいたる展開がうまい。ラスト1行が秀逸だ。

ボビーがコメディアンの道をあきらめたのは、自分がまずまずのステージを終わった後にロビン・ウィリアムズの圧倒的なステージを見て実力の差を痛感したから。著者のジョー・ヒルは映画が好きなようで、映画館を舞台にした「20世紀の幽霊」にはたくさんの映画のタイトルが出てくる。

「蝗の歌をきくがよい」も映画の影響下にある物語。ある日突然、蝗のような怪物になった男という設定はフランツ・カフカの「変身」だが、男は虫の本能に負けて両親をバリバリ食ってしまう。描写の鋭さにうならされる短編だ。「年間ホラー傑作選」と「黒電話」はどちらも主人公がサイコな男に追い詰められる。「年間ホラー…」は「悪魔のいけにえ」を彷彿させる展開である。

ジョー・ヒルはスティーブン・キングの息子。作家としてのスタートは純文学だったらしい。ホラーの短編も書くようになったのは生活のためもあったのかもしれない。全体を読んでみて、まだまだ揺れ動く作家という印象を受けた。いろいろな可能性を感じるのだ。短編型と決めつけるのも早計で、長編を読んでみたいと思う。