投稿者「hiro」のアーカイブ

「20世紀の幽霊たち」

「20世紀の幽霊たち」

「20世紀の幽霊たち」

会社のそばの大きな書店に行って、「鴨川ホルモー」と「ミレニアム2 水と戯れる女」を買う。「鴨川ホルモー」は長男に貸したら、2時間ほどで読んでしまった。薄い本だからそんなものでしょう。面白かったそうだ。「ミレニアム2」は引っ越しの荷物のうち、本の詰まった段ボールの中から「ミレニアム」をまず探してから読まねば。家内は「ミレニアム」を読んでいて、やはり面白かったとのこと。

大きな書店は本がたくさんあって良いのだが、目当ての本を探すのが面倒(検索もできるんですけどね)。ついついamazonや楽天ブックスに注文してしまう。ただし、楽天ブックスはやや信用がおけず、在庫ありと書いてあって注文したら、なかったということがある。というか、今日もそういうメールが来た。注文したのは「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」。「お客様のご注文と同時期に、弊社の在庫を上回るご注文を承ってしまい、 商品の発送がかなわない状況となりました」そうだが、本当かな。

「20世紀の幽霊たち」を買ったのは1月。先月から寝る前に少しずつ読んで、ようやく読み終わった。ホラーから純文学まで入った短編集。17編収録されており、どれも一定水準以上のレベルを保っている。序文の中でクリストファー・ゴールデンは「おとうさんの仮面」「自発的入院」を高く評価しているが、僕が個人的に気に入ったのは「ポップ・アート」と「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」「蝗の歌をきくがよい」の3つ。

「ポップ・アート」は風船人間が登場するあり得ない設定だが、にもかかわらず、風船人間と親友になった少年の視点から描いて瑞々しく感動的な話に仕立てている。あり得ない設定で感動させる手腕は大したもので、大森望の訳も良い。

「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」は映画「ゾンビ」の撮影現場が舞台。ジョージ・A・ロメロとトム・サヴィーニも登場する。主人公のボビーはコメディアンを目指していたが、夢破れて故郷に帰る。そして映画の撮影現場でかつての恋人ハリエットと再会するのだ。ハリエットは既に結婚していて、子供にボビーという名前を付けていた。しかも夫は一見してさえない風貌だった。2人の過去と現在を描写しながら、再生と希望のラストにいたる展開がうまい。ラスト1行が秀逸だ。

ボビーがコメディアンの道をあきらめたのは、自分がまずまずのステージを終わった後にロビン・ウィリアムズの圧倒的なステージを見て実力の差を痛感したから。著者のジョー・ヒルは映画が好きなようで、映画館を舞台にした「20世紀の幽霊」にはたくさんの映画のタイトルが出てくる。

「蝗の歌をきくがよい」も映画の影響下にある物語。ある日突然、蝗のような怪物になった男という設定はフランツ・カフカの「変身」だが、男は虫の本能に負けて両親をバリバリ食ってしまう。描写の鋭さにうならされる短編だ。「年間ホラー傑作選」と「黒電話」はどちらも主人公がサイコな男に追い詰められる。「年間ホラー…」は「悪魔のいけにえ」を彷彿させる展開である。

ジョー・ヒルはスティーブン・キングの息子。作家としてのスタートは純文学だったらしい。ホラーの短編も書くようになったのは生活のためもあったのかもしれない。全体を読んでみて、まだまだ揺れ動く作家という印象を受けた。いろいろな可能性を感じるのだ。短編型と決めつけるのも早計で、長編を読んでみたいと思う。

「貧困肥満 下流ほど太る新階級社会」

「貧困肥満 下流ほど太る新階級社会」

「貧困肥満 下流ほど太る新階級社会」

買ってみて分かったのだが、これは昨年3月に出た「下流は太る!」という単行本の改訂版だそうだ。著者の三浦展(あつし)によると、「不要な箇所を削除したほか、第1章を大幅に加筆」したとか。この新書の奥付は3月1日だから、わずか1年でほぼ同じ内容の本を出したわけだ。オビに「扶桑社新書2周年記念フェア」とあるので、出版社の意向だったのかもしれないが、いくらなんでも早すぎるのではないか。

かつては金持ちに肥満が多く、貧乏人はやせているのが普通だった。今はなぜ貧困層に肥満が多いのか。それは食事に金も時間もかけられず、ファーストフードやコンビニの食品ばかり食べているから。この指摘はなるほどと思える。富裕層は体型を維持するためにジムに通うこともできるが、貧困層にはそれができないし、時間もやる意欲もない。では、どうすればいいのか。当たり前のことながら、ちゃんとした食事をするしかないのだ。旬の食材を使って、自分で料理して食べる。現実的にはそれが難しいから肥満が増えているんでしょうけどね。

著者はファーストフードが蔓延する現状を「ファースト風土」とダジャレ交じりに言っている。コンビニで売っているおにぎりは古米を利用したものが多く、味をごまかすために添加物を入れているという指摘はありそうだなと思える。以前読んだ美味しい食事の罠―砂糖漬け、油脂まみれにされた日本人 (宝島社新書)によれば、ファーストフードには一般的に脂肪分が多く、だから食べ過ぎると太る要因になる。まずい古米も油まみれのチャーハンにしてしまえば、おいしく食べられる。それに人間の脳には脂肪が必要で、糖や脂肪を摂取すると、βエンドルフィンという快楽物質(脳内麻薬)が出る。だから人間は脂肪を取りたがる。これをやめるにはどうすればいいのか。他の快楽を与えてやればいい、という指摘は「NHKためしてガッテン流死なないぞダイエット」にあった(この本についてはSorry,Wrong Accessに書いた)。

新書の分量は一般的に原稿用紙200枚ぐらいだそうで、読んでいて内容が薄いと思えることが多い。手軽に読めるけれども、印象も薄いことになる。もちろん、新書のすべてがそうではない。僕自身、過去には田中克彦「ことばと国家」のように影響を受けた新書もある。最近の新書の作りが問題なのだ。

本書も最近の新書の例に漏れず、内容的には薄い。3章から構成されていて、第1章がなぜ貧困層に肥満が多いのかの総論。第2章は実際に太っている人たちのルポ(と呼べるほどのものでなく、実例の紹介)、第3章は座談会である。個人的にはこの第3章を雑誌で読むだけでも良かったかなと思えた。

「凡人として生きるということ」

「凡人として生きるということ」

「凡人として生きるということ」

週刊金曜日で紹介されていた「貧困肥満 下流ほど太る新階級社会」を買いに書店に行ったが、なかった。新書コーナーで代わりに見つけたのがこの本。押井守監督が昨年7月、「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」公開前に出した本で、180ページ足らずなので、すぐに読み終わる。

これも「スカイ・クロラ」同様に若者へのメッセージだ。「若さに価値などない」「すべて巧妙につくられたデマ」という主張から始まって、「金や名声よりも必要なのは美学と情熱」「勝負は諦めた時に負けが決まる」「社会に出ることは必要」「友だちなんかいらない」など著者の主張が体験を交えて語られていく。押井守は高校時代に引きこもりに近い生活を送っていたそうだ。それは他人と話すよりも1人で過ごすことの方が好きだったからだという。

押井守のアニメには友情や正義を真正面から取り上げたものはないし、そうした真正直なキャラクターもいない。それはこうした考え方が根底にあるためなのだろう。宮崎駿のネガのような在り方と言えようか。それでも僕は両者のアニメのどちらも好きだ。昨年公開の映画で言えば、「崖の上のポニョ」よりも「スカイ・クロラ」を高く評価する。だが、次のような一節を読むと、両者の考え方は近いのではないかと思う。

天才の身でない我々は、情熱を持ち続けることしか、この世を渡っていく術がないのだ。情熱さえあれば、貧乏も苦難も乗り越えられるだろう。『名もなく貧しく美しく』の話を先に書いたが、金や名声を追っていけば、それが失われたときには人は堕落する。だが、自分の美学と情熱があれば、富と名声に煩わされることなく生きていける。

この後の章で押井守は「いい加減に生きよう」と主張しているけれど、いい加減な生き方では美学と情熱を持ち続けることも難しいのではないか。ここで言ういい加減とは世間的ないい加減であって、自分に対しては誠実に生きることが必要なのだろう。

すべての人に必読の本ではないけれど、押井守ファンは読んでおいて損はないと思う。

「ウォッチメン」

「ウォッチメン」表紙

「ウォッチメン」表紙

ヒューゴー賞を受賞したアラン・ムーア、デイブ・ギボンズのコミック。ようやく読む。本編だけで12章、412ページ。セリフが多く、各章にホリス・メイソンの自伝「仮面の下で」など物語の背景を記した文章だけのページもあるので、読むのに時間がかかった。映画の感想はSorry, Wrong Accessに書いたが、映画は原作にほぼ忠実である。違うのはクライマックスの災厄の設定ぐらいか。

映画を見た時にスーパーヒーローもののメタフィクション的な印象を受けたのだけれど、それは原作でも同じだった。アラン・ムーアの後書きによると、当初は既存のスーパーヒーロー(キャプテン・アトム、ブルービートらチャールトンコミックスのキャラクター)を使って物語を構成したかったが、かなわなかったという。それでアメリカン・コミックのヒーローをモデルにロールシャッハやナイトオウルなど独自のキャラクターを作ることになった。

忠実なだけに、これは映画→原作よりも原作→映画の順で観賞した方が楽しめる作品と言える。映画では説明されなかったロールシャッハの模様が動く仮面はDr.マンハッタンが発明した生地で、「2枚のゴムに挟まれた液が圧力や熱に反応して流動する」のだそうだ。このように映画で分かりにくかった背景などはよく分かるが、基本的に同じ話なので、真相が明らかにされる場面で映画に感じたような驚きはない。

それにデイブ・ギボンズの絵は動きが少なく感じる。日本でコミック化すれば、キャラクターの造型やアクション場面などさらに面白くなる題材だと思う。平井和正原作、池上遼一作画の「スパイダーマン」のようなリメイクをすると、面白いと思う。

この原作、amazonではまたもや「出品者からお求めいただけます」になっている。速攻で買っておいて良かった。前回はいったいどれぐらい入庫したのだろう。amazonに表示されている画像はケースの写真なので、ここには本の表紙をスキャンした。この絵は第11章の扉絵と同じで、オジマンディアスの南極の基地にある温室の中の一部を描いている。

僕の貧弱な感想では参考にならないので、大森望さんが10年前に書いた書評をリンクしておく。十年に一度の大傑作、『ウォッチメン』が凄すぎる!

気になる「ウォッチメン」の原作

28日公開の映画「ウォッチメン」についてシネマトゥデイにオタキング岡田氏が大絶賛!映画『ウォッチメン』の原作が凄いことになっている!という記事があった。「『日本のコミックは世界イチ』と浮かれるなかれ。とんでもない黒船がやってきた。世界一のSFコミックに戦慄した!」とコメントしているそうだ。これは本のオビにある推薦文のようで販売元の小学館集英社プロダクションのページにも引用してある。

そこまで言われれば、原作を読んでみたいものだが、amazonでも楽天ブックスでもセブンアンドワイでも売り切れ。amazonには中古品が6000円で売られている。元が3570円なのに6000円で買ってたまるかと思う。重版が決まったそうなので、そのうち手に入るだろう。それに近くの本屋に行ったら、案外あったりするものなんですよね。

「ウォッチメン」は映画の方も評判が良くて、IMDBでは8.1の高得点。これは絶対見に行かなくちゃ。

全然話は変わるが、今日は県立高校の合格発表。9時半ごろ、家内から電話があり、長女が志望校に合格したとのこと。B科がダメでもF科には通るだろうと思っていたので、全然心配はしていなかったが、長女に言わせると、「奇跡的にB科に通ってた」そうだ。県立高校の競争倍率なんて大したことないのでこれで喜んではいけない。問題は入学してからだな。