月別アーカイブ: 2009年6月

「霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造」

篠田節子「仮想儀礼」が面白かったのでこの本を読んだ。著者の櫻井義秀は北海道大学教授。第1章で神世界、第2章で統一教会を強く批判した後、神社や寺、教会など厳しい経営の実態を3章で紹介し、4章がヒーリングやスピリチュアルなものがなぜ流行るのかの解説、5章は安易なスピリチュアルブームへの警鐘という内容。分かりやすい書き方で、一般向けに書かれた良書だと思う。

神世界について僕は何も知らなかったが、ヒーリング・サロンを経営する有限会社で教典にはこう書かれているそうだ。

もし万が一、神様への代金支払いがあまりにも少なすぎたり、神様との取引材料があまりにも小さすぎたりする場合は、神様との取引は自動的に解消されるから、その後人間の方の結果がどうなろうと当方は一切関知しない。

「霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造」

「霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造」

思わず笑ってしまう文言である。大金を支払わなければ、効果はないわけである。神様はそんなにせこいのか。こんなに経営者に都合の良い教典は一般の人ならバカバカしく思うだろう。しかし、ヒーリングに効果があったと思う人は金を払ってしまう。ヒーリングやカウンセリングに始まって、次第に高額な宗教グッズを買わせていくのがさらに問題で、著者は「無料広告や景品で釣って最後は高級羽毛布団を買わせる催眠商法のようなもの」と批判している。神世界の商法については、先月、東京や神奈川の主婦ら17人が被害を受けたとして、1億6800万円の賠償を求めて集団提訴した。

怪しげなヒーリング・サロンには近づかない方が無難なのだが、なぜ人はヒーリングを求めてしまうのか。気軽な相談場所がないという問題もあるが、それ以上に著者は格差社会を要因として指摘している。「希望を持ちにくい社会では、合理的な思考で積み上げていくような人生設計よりも、自分の力の及ばない部分で人生や社会が決まっていくという感覚や運任せの人生観を持ちやすい」。だからスピリチュアルに走るわけだ。確かに、どう努力しても上に上がれないのなら、霊的な力が人生を左右すると考えた方が慰めにはなるのかもしれない。テレビの影響も大きい。細木数子や江原啓之が出てくるようなスピリチュアルな番組を見ている人、ほかにすることがなくてそういう番組を見ざるを得ない人はスピリチュアルな考え方に毒されていると思った方がいい。「癒し」などというキーワードで喧伝される事柄も疑ってかかった方がいいのだろう。

第5章のリスク認知に関する説明も面白かった。著者の分かりやすい説明を要約すると、最初に1000円の献金をする時、人は強い心理的抵抗感を持つ。次に2000円の献金をする時にも2倍の献金をするわけだから抵抗がある。しかし、次に3000円を出す時には2000円の1.5倍なので抵抗感は薄れる。「この調子で献金を出し続けていくと、何回目かには1000円増しというのは心理的には実にたいした金額ではなくなってしまうのだ。心理的負担は実額ではなく、その都度参照される金額からの相対的な比較によって決まる」。これが統一教会などに何億円もの献金をしたり、高すぎる印鑑を買ってしまう心理なのだそうだ。スピリチュアル・ビジネスは人のリスク認知を歪ませる勧誘の仕方をしてくる。

こうしたスピリチュアル・ビジネスの実態を読むと、「仮想儀礼」の主人公は善良すぎたなと思う。宗教で儲けるためには心理的な操作をしながら、人をとことん騙していく必要があるのだ。金を払えば幸せになるというようなことがあるわけがない。そういう状況に陥ったら、難しいとは思うが、我に返ることが必要なのだろう。

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「仮想儀礼」

「仮想儀礼」

「仮想儀礼」

上巻469ページ、下巻445ページ。この長さにもかかわらず、退屈させずに最後まで読ませる。久しぶりに篠田節子の小説を読んで思ったのはやっぱりリーダビリティーのある作家だなということだ。僕にとっての篠田節子は直木賞を受賞した「女たちのジハード」などではなく、新型日本脳炎ウイルスが猛威を振るう「夏の災厄」やホラーの「絹の変容」「神鳥 イビス」の方だったりするが、どれを取っても読みやすく、引き込まれる小説なのは同じだ。

「仮想儀礼」は金儲けのために男2人がでっちあげた新興宗教団体の繁栄と没落、カルト化を描く。プロットとしてはそれだけで、筆力のない作家が書いたら、よくある話というだけの小説になっていただろう。篠田節子はこのプロットに沿いながら、たくさんのエピソードと描写を重ね、まず細部で読ませる。

都庁に勤めていた鈴木正彦はゲーム会社の矢口誠に誘われて都庁を辞め、5000枚の原稿を書くが、会社は倒産。妻からは離婚され、生活のあてもないときに、行方をくらました矢口と偶然再会し、金儲けのために新興宗教団体・聖泉真法会を設立する。教義の元になったのは正彦が書いた原稿「グゲ王国の秘宝」だ。ホームページを開設すると、信者は徐々に増え、食品会社の社長がバックに付いてから飛躍的に伸びて、5000人の信者を抱えるようになる。

という前半はトントン拍子に話が進みすぎて、これはコメディかと思ってしまうが、下巻に入ってすぐに没落が始まる。怪しげな会社と宗教団体に近づいたのが運の尽きで、マスコミから叩かれ、脱税で摘発されて、世間的な信用を失う。残ったのはかたくなに教義を信じる女性信者数人。信者の兄に代議士の息子がいたことから、聖泉真法会は徹底的に迫害され、正彦たちは逃走。その過程で女たちがカルト化を推し進めることになる。

こういう宗教団体を描くなら、信者の立場から教祖の嘘くささを告発するのが一般的ではないかと思うが、正彦は最後まで常識人だ。自分が教祖のはずなのに、女性信者たちの信仰が先鋭化し、その暴走を止められなくなってしまうのだ。教義を狭く理解すると、その宗教は世間一般の常識からかけ離れてカルト化する。その過程をじっくり描いて読み応えがある。無条件に信じることは危険なのだろう。先鋭化するのは信仰だけではない。カンボジアのポル・ポト政権のように主義を額面通りに推し進めると、何百万人もの民間人を虐殺する極端なことになってしまう。篠田節子は「ゴサインタン 神の座」でもそうした先鋭化した国の悲劇を描いていた。

この小説は面白かったけれども、著者が篠田節子でなかったら、まず手に取らなかっただろう。こういう一般小説もいいが、たまにはSFも書いて欲しいと思う。

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「MW」(ムウ)

「MW」

「MW」

玉木宏、山田孝之主演で映画化された。予告編が面白そうだったので、手塚治虫の原作を読む。ヒューマニズムを基調にした作品が多い手塚治虫としては異色の内容で、悪事の限りを尽くす男が主人公。問題作と言われるのも納得だが、犯罪を続ける主人公の動機と設定、その発展のさせ方の説得力がやや弱いと思う。復讐のためという動機なら分かりやすいが、これに毒ガスの影響による狂気という要因が加わる。終盤に至って主人公の動機はあきれるほど自分勝手かつ幼稚なものに変わってしまう。ここが説得力に欠けるのだ。1976年から78年にかけての雑誌連載なので、物語の設定にはベトナム戦争の影響があるが、戦争批判にはなり得ていない。女装しても違和感がない美しい主人公の造型は魅力的で、作品を読ませる力があるのだけれど、すっきりしない部分が残った。

南西諸島の沖ノ真船島(おきのまふねじま)で某国の毒ガスMWが漏れ、島民全員が死ぬ。本土から来ていた結城美知夫と賀来巌は洞窟にいて辛くも難を逃れた。事件は日本政府と某国によって完全に隠蔽された。15年後、結城はエリート銀行員となっているが、その裏で誘拐や殺人の犯罪を重ねる。毒ガス事件の関係者への復讐が目的だった。神父となった賀来は結城の犯罪をやめさせようとするが、同時に結城とホモセクシュアルな関係にもある。悪の道をためらいなく突っ走る結城と、結城の行為を否定しながら結城に惹かれる賀来。やがて結城の目的が世界に惨禍をもたらすことであることが分かってくる。

事件の隠蔽にかかわった大物政治家の名前が中田英覚である点など時代を感じさせる(ロッキード事件で田中角栄が逮捕されたのは1976年だった)。ストレートに世相を反映させると、物語は古びるのも早いが、当時のことを知らない若い世代には関係ないかもしれない。

結城はバイセクシュアルだが、寝た女をためらいなく殺すところなどを見ると、ホモセクシュアルの傾向の方が強いのだろう。結城の美しさと、結城との関係は間違いと悩む賀来の在り方を見て、山岸涼子「日出処の天子」の影響があるのではないかと思ったが、発表はこちらの方が早かった。ということは山岸涼子が影響を受けたのか。手塚治虫はやはり偉大な先駆者であり、その影響力は大きかったのだと思う。

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