「連合赤軍物語 紅炎」
「今から振り返ってみれば、左翼の運動だといわれていたものが全部右翼に見える」という中上健次の言葉を解説の鈴木邦男が引用している。確かに革命左派(日本共産党革命左派神奈川県常任委員会)をはじめ当時の左翼が唱えた「反米愛国路線」は幕末の「尊皇攘夷」と変わらないように見える。反米愛国なんて右翼が唱えても何らおかしくはない。
塩見孝也を中心にした赤軍派誕生の経緯から始まり、連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の獄中での自殺で終わるノンフィクション。連合赤軍事件の全体像をつかむのに絶好のテキストと言える。著者の山平重樹はヤクザや右翼関係の著書が多い人で、自身も民族派学生運動をしていたそうだ。全体像を俯瞰するのに、対象に近すぎる人は向かないから、鈴木邦男が言うように連合赤軍について書く著者として山平重樹はふさわしいのだろう。
よど号事件、山岳ベース事件、あさま山荘事件にはそれぞれ1章を割いている。総括によって12人の男女がなぶり殺しにされた山岳ベース事件に関して言えば、左翼がどうの革命路線がどうのと言うより、リーダーになってはいけない狭量な人物がリーダーになってしまったために起きた悲劇という以上の意味はないように思う。
ここで映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007年、若松孝二監督)の感想を読み返してみたら、なんだ僕は同じことを書いているじゃないか。
「山岳ベース事件はリーダーの器ではなかった卑小な男女がリーダーになってしまったために起きた事件だろう。森恒夫も永田洋子も共産主義と武力闘争に忠実であるように見えて実は自分勝手なだけである。赤軍派と革命左派の幹部が次々に逮捕されて組織が弱体化していたために生まれた連合赤軍はこういうバカな人間たちがリーダーにならざるを得なかったのが悲劇の始まりだ」。
この感想はこの本を読んだ後でも変わらないわけである。ただし、連合赤軍以前からブント(共産主義者同盟)の中での内ゲバはあったし、リンチもあった。ちょっとした考え方や路線の違いから相手を排除する狭量さは、こうした流れと無関係ではないのだろう。
あさま山荘や山岳ベース事件、よど号事件は知っていても、そこに至る経緯を僕は表面的にしか知らなかった。この本はそこを十分に詳しく教えてくれる。
過激派が登場する前の「牧歌的な学生運動」について心に残るのは本書の200ページから描かれる東大安田講堂攻防戦のエピソード。屋上で最後まで旗を振った明大の上原敦男が後年、紛争当時の警視総監と語った話である。安田講堂を占拠した学生たちの中には階段を上がってくる機動隊員に対してガソリンをかけ火だるまにしようという意見があったそうだが、当時の学生たちにはまだ真っ当さがあり、それは禁じられた。
ずっと後年になって上原は何かのパーティで、先輩から参議院議員の秦野章を紹介されたことがあった。東大闘争当時の警視総監である。
おのずと安田講堂攻防戦の話になって、秦野が、
「僕はあのとき、学生に死者を出さないということを一番に考え、同時にうちの子らにも死者を出さないことを願ったんです」
と言った。「うちの子ら」とは、機動隊員のことだ。
そこで上原も、例のガソリンを撒くことを禁じたという話をした。
すると、秦野は感動した面持ちになり、
「今日はありがたい話を聞かせてもらった」
と上原に深々と頭を下げたという。
1人の死者も出さなかった「よど号事件」まではまだ良かった。当初はキューバへ向かう予定が、途中で燃料給油しないと行けないことが分かると、とりあえず北朝鮮に行き先を変えるあたりのアバウトさは牧歌的と言えないこともない。乗客とハイジャックグループとの間にストックホルム症候群のような関係が生まれたというのも分かる話である。ちなみに乗客の中に日野原重明がいたというのは有名な話らしいが、僕は知らなかった。
山岳ベース事件と逃走途中の苦し紛れとしか思えないあさま山荘事件は徹底的に批判しても足りないぐらいだが、本書の前半で僕が感じたのは考え方の若さ。出てくる関係者は大学生が中心だからいずれも20代前半。その倍以上の年齢になってこうした闘争の経緯を読むと、頭でっかちの若さと短絡的な考え方が目に付いてしまうのだ。もっとも若くなければ、革命なんて目指そうとは考えないだろう。
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