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『今こそ「お金の教養」を身につけなさい』

サブタイトルは「稼ぎ、貯め、殖やす人の”37のルール” 」。お金に対する考え方の参考になればと思って読んだが、反面教師にしかならなかった。所々、引っかかりながら読み進んだら、第4章にこんなことが書いてあってあきれた。

そもそも、貧乏な人と付き合ったら、自分も貧乏になります。貧乏な人はそれなりの生活習慣を送っています。一緒にいると、その習慣が似てくるのです。

著者はお金を3倍増やす方法として良い人脈を作ることを勧める。いい人脈と情報は貯蓄や投資のチャンスを生むそうだ。それはそうかもしれないが、金持ちとだけ付き合って貧乏人と付き合うなという考え方は人間的にどうかと思う。人間関係を損得勘定だけで判断するのは器が余りにも小さすぎる。

著者の菅下清廣は会社代表で経済評論家、国際金融コンサルタント。裕福な家に生まれ、父親の事業失敗で一転して貧乏を経験した。貧乏から抜け出すために猛勉強したそうだが、成り上がる過程で著者と付き合ってくれた金持ちはいなかったのだろうか。

この考え方を著者に教えたのは研修でニューヨークへ行った際に教育係を務めた男(ポール・ニューマンに似ているのでポールと呼ぶ)。ポールはレストランの食器に自分の名前が刻まれているのを見せて、こう言う。「ミスター・スガシタ、君がウォール街で成功して大金持ちになるために、最も重要な要素は、グッド・ピープルだ」。悪い影響を受けたとしか思えないが、著者はそれ以来、海外旅行に行く際にファーストクラスや一流ホテルを使うようになった。

一度そのなかに身を置くと、彼ら・彼女らに近づこうという気持ちが嫌でも湧きます。
「ファーストクラスの顧客にふさわしい自分になろう」
と思うのです。そのために、私は一流の場にお金を投じることを勧めるのです。

ファーストクラスの乗客に著者のような考え方の持ち主が多かったら、効果はないだろう。

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「鳥類学者 無謀にも恐竜を語る」

「鳥類学者 無謀にも恐竜を語る」

「鳥類学者 無謀にも恐竜を語る」

恐竜が鳥類の先祖という説が一般に広まったのはマイクル・クライトン「ジュラシック・パーク」(1990年)が出版された時だろう。それは単なる一説だろうと当時は思ったが、本書の序文によると、今では「鳥類が恐竜から進化してきたことを疑うことは容易ではない」ということになっているそうだ。

鳥類学者の立場から恐竜をプロファイリングした本。恐竜の種類や生態、鳥類との共通点、白亜紀の絶滅(鳥類が子孫であるなら絶滅はしていない)に至るまでを語り、最後まで楽しく読める。その大きな要因は著者が至るところにユーモアを織り込んでいるからだ。それは本文中だけでなく。脚注にもある。例えば、著者は「鳥類が恐竜から進化したと考える以上、羽毛恐竜の発見は想定内だった」と書いた上で、脚注にこう書く。

かくいう筆者は先ほどまで使っていたはさみを見失い、潤滑剤の雄、KURE5-65をあったはずと思いつつも発見できずに4本も買い直すような人間である。そんな私が、この発見を想定内とするのは確かにおこがましい。心から謝りたい。

あるいは以下のような部分。

鳥の最大の特徴は、空を飛ぶことだ。飛べない鳥もいるじゃないか、なんて指摘は盛り下がるばかりなので、問答無用で門前払いである。

著者のプロフィルに生年が書いてないので年齢は分からないのだが、森林総合研究所の主任研究員という肩書きとReaD&Researchmapにある写真から見て30代だろうか。その割にはギャグがいちいち、こちらの好みに合っている。同じ年代かと思うほど。

もっとも著者はそうしたユーモアに関することばかり褒められてもあまり嬉しくないかもしれない。付け加えておくと、というかこっちが本筋だが、この本は恐竜に関して少しは知識があると思っていたこちらの考えを見事に打ち砕いてくれた。プテラノドンなどの翼竜や首長竜は系統的には鳥類や恐竜とはまったく異なるものなのだそうだ。おまけにその翼竜が四足歩行もしていたなんてまったく知らなかった。翼竜が空を飛ぶための皮膜より鳥類の羽毛がいかに優れているかも本書は詳しく教えてくれる。羽毛恐竜に関する調査研究はこの10年でかなり進んだそうだ。本書は最新の研究を踏まえた恐竜の全体像をつかむのに格好のテキストだと思う。

20代のころ、アイザック・アシモフの科学エッセイが好きでよく読んでいた。楽しく読みながら知識を深めさせてくれる本で、アシモフは当時、この種の読み物の第一人者だったと思う。この本はアシモフの科学エッセイに共通するものがある。著者は恐竜や鳥類に関するエッセイをもっと書くべきだと思う。どこかで連載してはどうだろう。

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「マネー・ボール 完全版」

「マネー・ボール 完全版」

「マネー・ボール 完全版」

 すべてはビル・ジェイムズの自費出版本「野球抄1977」から始まった。元大リーガーでアスレチックスのフロントに入ったビリー・ビーンはゼネラルマネジャーのサンディ・アルダーソンを通じてこの本に出会い、従来とは違った評価基準で選手を起用するようになる。ビル・ジェイムズが始めた野球データの研究はセイバーメトリックスと言われるようになった。

アメリカが野球の本場だなと思えるのはジェイムズのようなファンが多いことだ。セイバーメトリックスは徐々に広まり、統計学の専門家も加わって充実していく。ただ、大リーグの球団からは相手にされなかった。たった一つ、アスレチックスを除いては。

著者のマイケル・ルイスは「メジャー球団のなかでもきわめて資金力の乏しいオークランド・アスレチックスが、なぜこんなに強いのか?」という疑問を持って調べ始める。2002年当時、ニューヨーク・ヤンキースの選手年俸総額が1億2600万ドルだったのに対して、アスレチックスは4000万ドル程度。なのにアスレチックスは毎年優勝争いに絡んでくる。年俸の高い選手を集めたチームが強く、「金銭ゲーム」と言われるようになったのに、このアスレチックスの強さはそれに反している。一流選手になると有望視されながら、大リーグでは花開かなかったゼネラルマネジャーのビリー・ビーンを核に据え、アスレチックスの強さの秘密に迫っていく過程が抜群に面白い。同時に心に残るのは右肘を痛めた選手スコット・ハッテバーグだ。

ハッテバーグはボストン・レッドソックスの捕手として活躍したが、右肘の手術を受けて送球ができなくなったため、年俸を半分に減らされてコロラド・ロッキーズにトレードされそうになる。ハッテバーグはそれを拒否。ロッキーズとの交渉権が切れた1分後、アスレチックスから電話連絡が入る。一塁手として起用するという。第8章「ゴロさばき機械(マシン)」はそのハッテバーグのエピソードを描く。経験したことのない一塁の守備練習をするため、ハッテバーグは妻ビッツィーと娘たちを連れて自宅近くのテニスコートへ行き、妻に「ゴロを打ってくれ」と頼む。ビッツィーは身長155センチ、体重45キロ。メジャーリーグ向けの練習につきあえる体格ではない。ゴロを打つまともなテクニックも持ち合わせていない。

試合前、ほかの選手はファンにサインをする。ところが、夫はサインなどしたことがない。サイン嫌いなのではなく、サインしたって自分のことなんかファンはどうせ知らないだろうと思い込んでいるふしがある。そういう状態がビッツィーはあまり好きではなかった。ファンにもっと夫を知ってもらいたいという意味ではない。ファンはとっくにあなたを知っているのだと、夫に気づいてもらいたかった。だから、十二月末から春期キャンプが始まるまで、夫の練習につきあい続け、霧雨の降るなか、おうちに帰りたいと泣く娘たちをなだめながら、夫めがけてゴロを打つ。

ハッテバーグは徐々に守備を上達させ、水準以上の一塁手という評価を得るようになる。そして大リーグ記録の20連勝がかかったカンザスシティ・ロイヤルズとの試合でサヨナラホームランを放つ。

アスレチックスがハッテバーグに目を付けたのは出塁率の高さと一発を期待できるパワーがあるからだった。守備は関係ないと考えていた。これが他の球団からほとんど無視されたハッテバーグを救うことになった。長い間、固定観念や常識となっていた評価基準を変え、新たな価値観で選手を起用したことがアスレチックスの成功につながった。文庫版の帯に「全ビジネスパーソン必読の傑作ノンフィクション」とあるように、この本に書かれていることは他の分野でも通用することだ。

「世紀の空売り」とは違って、ユーモアが随所にある。マイケル・ルイスにとって、野球は客観的に見られる対象だからだろう。「世紀の空売り」はかつて自分が働いた業界を題材にしているので、ユーモアを挟み込みにくかったのではないかと思う。

本を読み終わってブラッド・ピット主演の映画「マネーボール」(2011年、ベネット・ミラー監督)を見た。原作をうまくまとめた佳作に仕上がっている。これは主にスティーブン・ザイリアンが加わった脚本の出来が良いからだと思う。ひげ面のビル・ジェイムズも写真で登場している。

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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

最高の友情とその崩壊を巡る物語。中盤まで、そんなことを考えながら読んでいた。その時、頭にあったのはレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」だ。村上春樹はチャンドラーのファンだし、「長いお別れ」をはじめとしたチャンドラー作品を翻訳し直してもいる。これは「長いお別れ」の変奏曲なのだろう。

しかし、終盤に至ってそれを撤回せざるを得なくなった。この作品の終盤はとても力強い。人を勇気づけるような言葉があふれている。「記憶は隠すことができても、歴史を消すことはできない」。何度か繰り返されるこの言葉通りに、主人公の多崎つくるは死ぬことさえ考えた過去の大きな出来事と向き合い、それを乗り越えようとする。これはかけがえのないものを喪失した男が再生への道をたどり始める物語だ。

BGMはフランツ・リストの「ル・マル・デュ・ペイ」(「巡礼の年」第1年:スイスの第8曲)。多崎つくるには名古屋市の公立高校時代、4人の親密な友人がいた。男2人、女2人で、男は赤松と青海、女は白根と黒埜。つくる以外はみんな名字に色が入っている。つくるだけが「色彩を持たない」というわけだ。5人はお互いに恋愛感情を持ち込まず、親密な共同体として機能していたが、つくるだけが東京の大学に行く。大学2年の夏休み、名古屋に帰ったつくるは突然、4人から拒絶された。理由は分からない。アオ(青海)からの「悪いけど、もうこれ以上誰のところにも電話をかけてもらいたくないんだ」と告げる電話が最後だった。翌年1月まで、つくるはほとんど毎日死ぬことだけを考えて過ごすことになる。

16年後、つくるは付き合い始めたばかりの恋人沙羅から「あなたは何かしらの問題を心に抱えている」と指摘される。「あなたはナイーブな傷つきやすい少年としてではなく、一人の自立したプロフェッショナルとして、過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ。そうしないとあなたはその重い荷物を抱えたまま、これから先の人生を送ることになる」。

過去の出来事の真相を探るために関係者を訪ね歩くという構成は私立探偵小説の形式を踏まえたものだ。「長いお別れ」を連想したのは友情の崩壊という題材とともにこの形式があったからにほかならない。以下の2つの場面もフィリップ・マーロウとテリー・レノックスの関係を彷彿させる。訪ねてきたつくるに対して、アカ(赤松)はこう言う。

「そんなに表現に気を遣ってくれなくてもいい。好きになろうと努力する必要もない。おれに好意を抱いてくれる人間なんて、今ではどこにもいない。当然のことだ。おれ自身だって、自分のことをたいして好きになれないものな。でも昔はおれにも、何人かの素晴らしい友だちがいた。おまえもその一人だった。しかし人生のどこかの段階で、そういうものをおれは失ってしまった。シロがある時点で生命の輝きを失ってしまったのと同じように……」。

今はフィンランドに住むクロ(黒埜)のサマーハウスでの会話。つくるは事前に連絡せず、クロを訪ねる。

「先に連絡したら、会ってくれないかもしれないと思ったんだ」
「まさか」とクロは驚いたように言った。「私たちは友だちじゃない」
「かつては友だちだった。でも、今のことはよくわからない」

友情の喪失のほかにもう一つ、この作品の大きなモチーフとしてあるのは輝きを失うということだ。つくるが抜けて数年後、シロと再会したアカはシロが輝きを失ったことに気づく。沙羅も高校時代に「なにをやらせても人目を惹いた」友人が少しずつ色合いを薄くしていったという体験を話す。よくあることだが、若くて純粋で理想に燃えていた人間が俗物になっていくのを見るのは悲しいことだ。村上春樹はそうした悲しみもこの物語にしのばせている。

喪失と再生の物語。現時点でこれは東日本大震災後に書かねばならなかった物語であり、村上春樹流の「がんばろう!日本」と受け取ってもそれほど間違ってはいないだろう。ただ、この作品はもっと普遍性を備えている。20年後、30年後でも十分に通用する物語。「長いお別れ」がそうであるように、優れた小説は何年たっても輝きを失わず、朽ち果てないものだ。

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リスト:《巡礼の年》全曲

「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」

「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」

「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」

マイケル・バーリが登場する第2章「隻眼の相場師」から引き込まれるようにして読んだ。バーリは子供の頃に病気で左目の眼球を摘出された。医師になったバーリは人並み外れた集中力と分析力で株式投資に抜群の才能を発揮し、ヘッジファンドのサイオン・キャピタルを立ち上げる。そしてサブプライム・モーゲージ債の破綻を予測して、空売り(ショート)を仕掛けることになる。

複雑な感動を残すこの傑作ノンフィクションには空売りを仕掛ける3組の男たちが登場するが、最も印象的なのはこのマイケル・バーリだ。バーリは子供の頃から自分が他人と少し違っていることを自覚してきたが、それは自分の義眼のせいだと考えていた。35歳の頃、自分の子供がアスペルガー症候群と診断され、アスペルガー関係の書籍を読んで、自分もまたアスペルガー症候群であることを知る。

“視線を合わせることなど、言葉を用いない多様な行動に、著しい欠陥が見られる……”
当てはまる
“同年代の友人関係が築けない……”
当てはまる
“楽しみや興味、あるいは達成感などを、他人と分かち合おうという自発性に欠け……”
当てはまる
“相手の目つきから、社会的もしくは情緒的もしくはその両方のメッセージを読み取るのが困難……”
当てはまる

バーリはジェームズ・グレアムやウォーレン・バフェットと同じくファンダメンタルズを重視したバリュー投資家であり、企業の財務資料を読むのにはアスペルガー症候群であるがゆえの集中力の高さが利点となっていた。バフェットと違うのは人付き合いが苦手なことだが、これは個人が株式投資をする限りにおいては欠点にはならない。問題は凡人であるファンドの顧客たちがバーリの行動を理解しなかったことだ。

サブプライム・モーゲージ債の破綻を予測したのが一番早かったかどうかは分からないが、一番早く動いたのがバーリであったことは間違いないだろう。バーリはゴールドマン・サックスなどの投資銀行にモーゲージ債の保険となるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を販売するよう提案し、これを大量に購入する。モーゲージ債が破綻すれば、巨額の利益を手に入れることができる。

モーゲージ債にはムーディーズなどの格付け会社がトリプルAを付けていた。CDSの大量購入はそれに反しているばかりか、金融システムの崩壊に賭けることを意味する。もし、万が一、モーゲージ債が破綻するにしても、それまでは毎月保険料(プレミアム)を支払わなければならず、損失が続くことになる。実際、サイオン・キャピタルは損失を出し続けるようになり、顧客たちはバーリを公然と非難するようになる。

「わたしに最も近い共同出資者は、いずれ必ずわたしを憎むことになるような気がする。……この事業は、人生のかなり大事な部分を殺してしまう。問題は、殺されたのが何なのか、見きわめられないことだ。しかし、人生に欠かせない何かが、わたしの中で死んだ。わたしは、それを感じることができる」。

もちろん、サブプライム・モーゲージ債は破綻し、結果的にバーリは顧客に出資額の2倍以上の利益をもたらすが、顧客たちは礼の一つも言わなかった。バーリは金融市場にすっかり興味を失い、静かに退場していく。

著者のマイケル・ルイスはサブプライムローン問題の全体像を描きながら、周囲に理解されない孤独な天才投資家の姿を鮮やかに浮かび上がらせている。天才であるがゆえの孤独と苦悩。バーリの姿は悲劇的ではあるが、深い関心と共感を持たずにはいられない。バーリは2012年3月にフェイスブックに登録している(Burry)。ほとんど書き込みはしてない。SNSでの交流には興味を持てないのだろう。

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